演劇関係の亡友に、長田秀雄という人がいたが、酒好きで、しばしば私と会飲した。彼は、どこで聞いてきたのか、飲酒家は、一年のうち一カ月を禁酒して、体から酒の気を抜くと、害を受けぬと信じ、それを実行してた。そして、一カ月間禁酒を行うのは、毎年、二月だという。二月は月が短いから、トクだという計算らしい。
「それに、二月は、食べもののマズい月ですからね。酒の誘惑も、ありませんよ」
と、いってた。
その当時は、私もそう信じてたが(つまり、二月は食味に恵まれない月であることを)、よく考えて見ると、あながち、そうもいえないのではないのか。
二月と八月というのは、一年のうちで、商人の景気の悪い月とされてるが、食べものの方から見て、八月は、確かに恵まれない月である。わずかに、下旬に入って、新秋を想わせる食物に、ありつくだけである。
しかし、二月の初頭は、まだ寒中であり、日本独特の寒の美味というのがあり、事実、月一ぱいの寒気は酷しいので、冬の食物の魅力は、続くのである。八月と、どっちを選ぶかとなれば、私は、躊躇なく、二月がいいと思う。
例えば、鍋物——これは、正月に続いて、二月の愉しみとなるだろう。鍋という台所器具を、座敷に持ち出して、直接、箸をつけるという習慣は、日本では、そう古いものではない。
「八笑人」なぞを読むと、すでに江戸人が鍋物を食べてたことがわかるが、恐らく、それ以前を遠く溯るものではあるまい。自分の好みで調味して、家族か親友と、隔てない気持で食べるところに、意味があるが、やはり、熱いものを、ジカに食べる、寒さ凌ぎの目的が、主だろう。その証拠に、鍋物は、九州よりも東北地方が、発達してるし、味もすぐれてる。
戦前も、ずっと前のことだが、私は、新宿の�秋田�という家で、ショッツル鍋の味を覚え、すっかりファンになった。ショッツル汁を入手して、自宅でも試みたが、どうしても、本場へ行って、食べたくなった。初冬の頃だったが、夜汽車で秋田へ行くと、雪が積ってた。
それで、一層、鍋の味を恋しく感じたのだが、いかんせん、一人旅で、且つ土地不案内。仕方がないから、旅館で註文したら、どこでもやる料理らしく、午食の膳に出てきた。でも、貝鍋は用いず、アルミ鍋で、魚も、季節のハタハタでなく、鱸《すずき》だった。ただ、野菜は、新鮮な芹で、これは、ショッツル鍋に、最高のものと思った。
しかし、美味という点では、翌日泊った温海《あつみ》温泉の宿で頼んだ、ショッツル鍋の方が、優ってたが、材料は、鱈だった。一緒に出た松葉蟹の味も、忘れ難かった。
そして、一昨年だったか、羽黒三山へ詣でた帰りに、秋田へ泊り、鍋もの専門の料理屋で、試食したが、特にいうほどの味でもなかった。ショッツル鍋などというものは、料理屋や旅館で食うより、土地の家庭で、味わわして貰う方がいいのだろう。家庭料理なのである。だから、わが家のショッツル鍋を、決して軽蔑できない。東京では、いい芹がないので、白菜を代用し、魚も、ヒゲ鱈があれば一番だが、近海のホーボーや小鯛を用いて、結構、満足できる。鍋も、江の島土産の貝鍋を使う。肝心のショッツル汁だけは、上等品に限るのだが、私は、鉄道関係の人に頼んで、秋田から取り寄せるけれど、近頃は、東京のデパートでも、入手できるようである。
ショッツル鍋が好きになるのは、チリ鍋の愛好者が、新味を求める場合が多いが、チリ鍋そのものを、忘れる人は少い。チリ鍋は、依然として、その魅力を失わないのである。チリ鍋がショッツル鍋に優る点は、つけ汁の橙の香りもさることながら、豆腐の味の愉しみがあるからだろう。ショッツル鍋には、コンニャク類は適しても、豆腐は、せいぜい焼豆腐でないと、味を悪くする。豆腐の水分が、ジャマをするのかも知れない。しかし、チリ鍋の場合は、豆腐なしには、意味がないのである。それも、良質の豆腐に、越したことはない。
大磯に住んでると、魚が新鮮だし、柑橘類の北限地帯だから、チリ鍋を試みることが多いが、幸いにして、豆腐も、わりと、いいものがある。平塚も、いい豆腐があるが、あの附近の豆腐水準は、わりと高いのである。
大磯の豆腐屋さんも、主人が軽四輪車で行商する世の中となったが、この間、散歩の途中で、彼と会ったら、
「吉田さんも、惜しいことをしましたね」
と、私に挨拶した。
古田茂の死んだ直後だったが、一体、この豆腐屋のオヤジは、その日につくった豆腐のうちで、よくできた部分を、吉田邸と私の家へ届けてくれるのを例とした。ワンマンも豆腐好きだったらしいが、私もそれに劣らないことを、彼は知ってたのである。
「もう、うちの豆腐も食べて、頂けねえと、思うと……」
といって、彼は手の甲で、涙を拭った。ほんとに、泣いてるのである。自分のつくった豆腐にそれだけの自信と愛着を、持ってるからなのだろうが、いま時の職人に珍しい心がけと思って、私は感心した。
「まア、おれの生きてるうちは、できるだけ、沢山、豆腐を食うようにするからな」
と、彼を慰めて、別れた。
確かに、チリ鍋の豆腐はウマいが、しかし、ほんとに豆腐の好きな人(例えば、僧侶)は、湯豆腐鍋の方を、選ぶだろう。私なぞも、夏の冷奴よりも、冬の湯豆腐を愛する方だが、豆腐の選択、そして煮方と考えると、なかなかバカにならぬ料理である。いい豆腐といい昆布を、適度の火加減で食うのが、道であるが、醤油と調味料も厄介である。醤油の質は、戦後落ちたけれど、それを、削りカツブシでゴマかすのは、愚である。私は化学調味料を、あまり好かないが、豆腐には、まだ合うと思ってる。しかし、何も用いず、生醤油で食うと、案外、ウマいのである。豆腐好きの坊主は、カツブシも、化学調味料も、味をジャマするといってるが、一理あると思う。
考えようによっては、湯豆腐は、鍋もの料理の王者であるが、それと反対の下賤の位に相当するのは、ハマ鍋ではないかと思う。
ハマ鍋は、剥きハマグリを味噌で煮るのだが、以前は、東京の小料理屋で、よくお目にかかった。ことに、品川や羽田では、名物のようにいわれた。最も下町風な、そして、東京的な野趣を持った鍋料理だが、必ずしも、マズいものではない。ハマグリが新鮮で、味噌が上等でなければならぬが、それよりも、食う頃合いに、気をつけねばならない。煮えたか、煮えないかという時が、美味で、ハマグリも柔かいのだが、それを過ぎると、始末が悪い。味噌を用いるのも、火の効き過ぎない用心なのだろうが、酒でも飲んでると、つい、固くなってしまう。添え野菜は、ネギと焼豆腐だが、牛豚肉が常食とならぬ以前に、東京の職人あたりは、ハマ鍋で満足してたにちがいない。要するに、上等の料理ではない。同じようなものでも、カキ鍋の方には、鉄火趣味はない。しかし、カキ鍋も、関西のカキ船へ行って、カキの酢のものから始まって、カキ鍋、カキのフライと出てくると、ゲンナリしてしまう。単一料理というものは、どんな材料を用いても、そうウマいものではない。例外は、フグだけだろう。
最も下賤な鍋ものとして、馬肉鍋があるが、私は、ふと人に誘われて、その味を知り、これを蔑視できなくなった。私は老人であるから、牛肉を多食することを、医師から戒められてるが、馬肉は味が軽く、繊維も柔かく、甚だ好適である。老人の肉食として、これに過ぎるものはあるまい。
東京で馬肉鍋の老舗が、吉原と深川と、二軒あるが、味噌タレを用いることに、変りはない。味噌で獣肉を煮ることは、日本古来の習慣で、牛肉なぞも、最初はそのようにして食べたらしいが、馬肉の場合、最も適合した料理法だろう。そして、馬肉鍋のことを、サクラ鍋と呼び、猪鍋のことを、ボタン鍋と称するのも、日本人らしい風流である。私にとっては、松阪肉のスキヤキより、老舗のサクラ鍋の方が、結構であって、若い男女が馬肉を軽蔑し、従って、値段も安いのがありがたい。第一、馬肉の生産は少いだろうから、誰も馬肉の味を覚えたら、奪い合いの食品になるかも知れない。