日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

食味歳時記06

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:貧寒の月というけれど03 二月の食物というと、私には、忘れ得ざるものがある。それは、私が二月に食べるもののうちで、最高の味
(单词翻译:双击或拖选)
貧寒の月というけれど03
 
 二月の食物というと、私には、忘れ得ざるものがある。それは、私が二月に食べるもののうちで、最高の味であり、そして、もう、生涯、食う機会もあるまいと思うので、特記せざるを得ない。
私は終戦の年の暮れに、亡妻の郷里である四国の宇和島在に、疎開したのである。戦争が済んで、疎開するなんて、間が抜けた話だが、実は、すでに疎開してた神奈川県の海岸の町が、戦後になって、一層、食物の窮迫を告げ、どうにも堪らなくなって、再疎開ということになったのである。妻の郷里は、物資豊富と、聞いたからである。
果たして、私の家族は、飢えずに済んだ。その上、疎開者の肩身狭さも、知らずに済んだ。というのは、私が借りた家が、土地の素封家の離れ家で、その持主が、大変、私を厚遇してくれ、あらゆる世話を惜しまなかった。私は彼の紹介で、土地の有力者たちと懇意になり、その人々も、十年の知己のように、私を扱ってくれた。
そこは、海と山とに挾まれた、細長い町で、中央に、川が流れてた。私の家も、川に面してたが、石塊の多い河原を、清流が流れ、夏は鮎が橋の上からも、釣れた。ハヤやウナギも獲れた。そういうものは、皆、土地の人が頒けてくれるから、海の幸の他にも、私の食膳を賑わし、再疎開の目的は、達成された。
私はその町に、約二年いたのだが、その間に、二回、二月という月を迎えた。そして、曾て知らざる早春の珍味に接し、疎開者としては、あまりにも幸福な自分を、感謝しないでいられなかった。
それは、白魚なのである。土地の人は、それを、シライオと呼ぶが、どうも、東京あたりで見る白魚と、同種のものとは、思われない。非常に小型で、白魚というより、シラスに近いのである。見たところ、極めて貧弱であるが、土地の人は、小型であることを、自慢にしてる。例えば、宇和島でも、白魚は獲れるが、ずっと、形が大きく、遥かに、風味が劣るという。
「あがいなもん、食われますかい」
と、土地の人は、蔑視してる。
その小型の白魚が、海から川へ溯上してくるのが、二月なのである。それも、せいぜい、十日間か、二週間の短期間に過ぎない。
その代り、大群が溯ってくる。私はその現場を見たが、川の水が瀬となって、音を立てるあたりを、魚群がチリメンのような水の皺を、呈するので、すぐ、それとわかる。しかし、透明な魚だから、側へ寄っても、一疋の姿を捉えることはむつかしい。
それを、四ツ手網のようなもので、掬い上げるのである。無論、私には、そんな芸当はできない。土地の人がやるのだが、彼も素人で、漁師ではない。白魚は、魚屋で扱わないから、もの好きな人が、漁をするに過ぎない。そのもの好きな人は、土地の有力者に多かったから、私と交際があり、獲物も届けてくれるのである。その恩恵を、謝さねばならない。魚屋で売ってない品物だから、普通には、口に入らないわけである。
最初は、ナマで食って見ろといわれ、いわゆる白魚の踊り食いというのを、試みた。生きてるのを、ポン酢で食べるのだが、口の中で動くようなものは、イカモノであって、好味とはいい兼ねた。
それで、最初は、土地の人の自慢を、信じなかったのだが、やがて、亡妻が郷土風の白魚汁をつくってくれ、それを味わって驚いた。こんなウマいものが世にあるかと、感じ入った。
それは実にヤボな料理であって、人参と椎茸のセン切りを湯煮にして、その中に多量の白魚を投じただけの吸物である。都会風の白魚の吸物は、美人の子指のような数疋の白魚と、僅かな青味が清汁に浮いてるだけだが、ここの白魚は、一見、中華料理の羹《あつもの》のように、雑然として、且つ、トロトロしてる。そのヌメリは、多量の白魚から生ずるもので、まるで、カタクリ粉を混じた観がある。そして、生きた白魚でないと、そのヌメリが出ないことも、度々の経験でわかった。
その味は、酒のサカナによく、また、飯のオカズに向き、つまり、一家の誰にも歓迎された。郷土料理というものは、主人だけの食物でないところに、特色があるのだろう。
二月の食味として、これ以上のものを、知らないが、私があまり激賞するので、昨年、その土地の旅館の老女将が、飛行機で上京する時に、獲れたてのものを、持参してくれた。
軒につるす、ガラスの金魚鉢へ、白魚を入れて、持ってきてくれたのは、おかしかったが、彼女の苦心の甲斐もなく、白魚は、もう、死んでいた。
「松山で、飛行機に乗る時までは、まだ生きとりましたんやけど……」
しかし、空港で、水の補給をしたのが、かえって悪かったらしく、それから、急に勢いが弱ってしまったそうである。
それにしても、彼女の親切がうれしく、私は、早速それを、食膳に上すことにした。死んだ白魚といっても、死にたてであることは、まちがいなく、また、普通、東京で食う白魚は、常に、死んでるからである。
そして、妻に、料理法を授けて、あの土地風の白魚汁にしたのだが、味は、決して、悪くなかったにしても、あのヌメリの舌触りは、ついに、望むべくもなかった。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%