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食味歳時記07

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:貝 類 な ぞ01帝釈天のある柴又は、昔から、草餅の団子が名物だが、この間、土地の人が、土産に持ってきてくれたのを見ると、緑
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貝 類 な ぞ01

帝釈天のある柴又は、昔から、草餅の団子が名物だが、この間、土地の人が、土産に持ってきてくれたのを見ると、緑青《ろくしょう》でも吹いてるように、青かった。一見して、人工染料で、色づけがしてある。
柴又は江戸川に近く、昔はその堤に、ヨモギなぞが、沢山、生えてたのだろう。それで、草団子が、名物になったのだろう。もっとも、そんな草の生えるのは、春先きで、あの団子は、年中売ってた。それでも、自然の青い色を、呈してたのは、ヨモギを乾燥するとか、塩蔵するとか、何か、保存の策を、知ってたのだろう。しかし、そんな手間は、面倒だから、人工染料を、用いるのだろう。その代り、草の香りもないし、第一、食物とは思えない、不快な青さである。
柴又の団子ばかりではない。三月の声を聞くと、菓子屋の店頭に現われる、桜餅にしても、うぐいす餅にしても、着色がひどい。長い冬を終った喜びで、人は色彩を欲するのだけれど、食べ物の本質を忘れた着色は、閉口である。その傾向が、年と共に強くなるのは、日本人として、恥かしい。
春の野に出でて、若菜摘むというのは、われわれの祖先の詩情であって、あれは、昔の日本人が貧しかったから、野草を食べたのだという解釈は、必要でない。
私の少年時代には、まだ、摘草《つみくさ》という習慣があった。男の子はやらなかったが、私の姉なぞは、小学校の先生に連れられて、三月になると、きっと、出かけた。そして、餅草《ヨモギ》を、沢山、持って帰った。それを、翌日、母親が、草餅にこしらえて、食べさせてくれた。母親の草餅は、餡を入れず、キナ粉でまぶすのだから、そんなにウマくなかったけれど、野原へ行って、食べることのできる草を採取してくる姉には、一種の尊敬を感じた。私には、どんな草が食用になるのか、見分ける知識がなかった。
摘み草というのは、女の子の遊びかと、思ってたら、幸田露伴の随筆を読むと、そうも限らないことが、わかった。
露伴が相当の年になってから、風流な友人と共に、摘み草に出かけたという。彼の家は、向島にあったし、以前は、あの附近は、田圃だったから、そんな遊びができたのだろうが、子供の摘み草とちがって、手ブラで出かけるわけではない。
出かける前に、良質の杉の薄板を、二枚。その間に、よい味噌を挿んで、火にあぶるのだそうである。杉の香りが、味噌にうつる。それと、一瓢。
瓢箪《ひょうたん》というのは、昔は、どこの家でもあったものだが、携帯酒器として、最上のものだったろう。酒の味を、よくするからである。そして、魔法ビンのように、重いものでもない。昔の人は、何かというと、一瓢を携えて、出遊したものだが、摘み草にも、酒を持ってくのは、初耳だった。
露伴たちは、萌え出した野草を摘み、杉板に挿んだ味噌をつけて、その場で食べるのだそうである。そして、一パイやり、俳句なぞを愉しんだらしい。野蒜《のびる》が、最も、酒のサカナになったそうである。ノビルは、野生のネギのようなものだから、味噌に合うのだろう。
しかし、ずいぶん風流な遊びである。露伴のことだから、そんな遊びを、昔の文献で知ってたのだろうが、清遊という点で、それ以上のものはない。私も、ちょっと、真似がしたくなったが、瓢箪も持ってないし、第一、一緒に行ってくれる仲間も、なさそうである。これは、同好の士がいないと、どうにもならない。
風流は、別にしても、早春の頃、大気の下で飲食するのは、ちょっと趣きがある。私は、四国の疎開先きで、その経験をした。
その町では、町では新暦を、農村では旧暦で、行事をするのだが、三月三日の雛祭りだけは、両方とも、新暦だった。恐らく、農事の関係で、新暦に従う方が、便利な点でもあったのだろう。
そして、三月三日は、誰も業を休み、河原とか、海辺とか、水のあるところへ行って、飲食をするのである。日本の古い習慣の雛流しに、もとづくのだろう。雛を人型と考え、それを水に流して、災厄を追放する考えなのだろう。
雛流しそのものは、もう行われなかったが、飲食の方は、盛大だった。終戦直後だったのに、物資に恵まれた地方だったので、彼等の持参する重箱の中には、カマボコも、卵焼もあった。酒も一升ビンを、担いでる者が、多かった。
そして、白昼の宴会を、開くのである。大声を出して、唄をうたい、その声が、川や海の水に響いた。そんな遊びだから、女子供よりも、大人が主体なのである。といって、彼女等が除外されるわけでもない。
最初の年は、私たちは、見物の側だったが、翌年の雛祭りには、家族と共に、弁当と酒を携え、妻の家の裏山に登った。さすがに、土地の人と共に騒ぐ、勇気はなかったからである。でも、入り江を見降す山の上で、ゴザを敷き、弁当を開いた。瓢箪の代りに、水薬のビンに、酒を詰めて、持参したのだが、それでも、のどかな気持で、盃をあげた。暖かい土地なので、三月三日に、もう桜がほころび、松林の間を渡ってくる微風が、絹のように、柔かだった。
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