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食味歳時記08

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:貝 類 な ぞ02 ヌタという料理は、子供の時に、好きではなかった。そういう食物は、大人になってから、再評価するものだが、ヌ
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貝 類 な ぞ02

 ヌタという料理は、子供の時に、好きではなかった。そういう食物は、大人になってから、再評価するものだが、ヌタだけは、今もって、好物とはいえない。
しかし、女の人は、不思議と、ヌタが好きである。私の妻も好きで、よく食べさせられる。関東地方では、ヌタは雛節句の料理だから、女性は、その郷愁があるのかも知れない。といって、それほど上品な料理でもない。以前は、居酒屋のようなところで、必ず、ヌタが献立ての中にあり、荒くれ男の酒のサカナになってた。
本山荻舟の飲食事典には、ヌタの漢字を、饅と書いてある。饅頭《まんじゅう》のマンの字だが、どういう意味を持ってるのか。しかし、要するに、ヌタは味噌和えであって、極めて広く行われる日本料理だろう。味噌も、冬のうちは鍋の中に基地を持ってるが、春の声と共に、冷たい食物として、皿の上に出てくるのだろう。
お節句のヌタは、貝類を材料にすることが多い。ハマグリ、アサリの剥き身が、ネギやワケギと共に、使われるが、春を感じさせないこともない。
その他、サザエの壺焼なぞも、お節句に食べるが、その頃、貝類の味がよくなってくるのかも知れないが、それより、潮干狩の季節であることも、考えねばならない。旧暦の節句の頃は、海の風も暖かく、そんな行事が始まったのだろう。
潮干狩というものを、子供の時以来、やったことはないが、私の生地横浜では、海が近いから、よく出かけた。もっとも、私が貝を拾った山下海岸でも、磯子でも、埋立てが行われて、今は夢物語である。
貝塚の貝殻の分量から見ても、われわれの先祖は、よほど貝を食ったものらしいが、今でも、貝類と海草を食う点で、日本人は世界一だろう。フランス人も、貝は嫌いでないらしく、カキは秋の最高の味覚とされてるが、年中食うのは、ムール(カラス貝)のスープである。貝ごと皿に盛ってくるが、フォークで身をほじるのは厄介だから、女の人でも、貝をつまんで、口ヘ直接持っていく。しかし、身よりも、スープの味がいい。私は、最初、パリで、ムールを食べた時に、日本でも、確かに、この貝を食べたことがあると、思い出した。幼時のことである。だから、確かに、日本産のムールがあるのだが、近頃お目にかからないのは、どういうわけか。
しかし、フランスでも、マルセーユあたりへ行くと、実に、よく貝を食う。ハマグリ、アサリは無論のこと、私なぞ名も知らない貝が、貝屋の店に、列んでる。貝屋という商売が、マルセーユに存在し、中年の女が、屋台店を出してるのだが、戯曲�マリウス�には、彼女等の一人が、活躍する。あれは、映画や新劇で、日本に紹介されたから、知ってる人も多いだろう。
私は、磯子の潮干狩に行って、カラのついたカキを拾い、その場で食べたことがあるが、あの附近では、沢山、獲れたのだろう。そういえば、磯子に近い根岸の橋の袂に、カキ専門の洋食屋があった。
その店の顧客は、外人が主だったが、店の構えも、食べさせるものも、決して、立派ではなかった。貧弱なテーブルが、数は列んでるだけの店内だが、ただ、その頃はのどかだった磯子の海を、見晴らすことができた。メニユは、生ガキと、カキのスープと、カキ・フライのみで、スープは、牛乳入りだったと記憶する。材料が新鮮なので、外人客が行ったのだろうが、料理も、皿運びも、中年の女一人で、やってた。彼女は黒襟をかけた、双子縞の着物をきてたが、それは、外人の家で働く日本の女の風俗だった。恐らく、彼女は、アマさんと呼ばれる、外人の家の女中上りか、ことによったら、ラシャメンでもあったかも知れない。そういう女が、昔の横浜には沢山いた。私が食べにいったのは、大正年間だが、その当時では、珍しい風俗ではなかった。
ところで、カキ・フライという食べ物だが、あれは、一体、どこの国の料理なのか。右のカキ洋食屋でも、女主人は、外人の家で働いてるうちに、覚えたのだろうが、どこの国の人だったのか。私は、パリに数年間いた間に、一度もカキ・フライというものを、食べたことはない。普通のレストオランのメニユになかったし、魚介料理専門の料亭�プルニエ�でも、見かけなかったように思う。欧米人の考えからすれば、カキは生食を最高とし、かつ贅沢な食品でもあるから、フライなぞにするのは、勿体ないのだろう。しかし、カキ・フライが日本の創作とも思われず、どこかの国の料理にきまってるが、どうも、審らかでない。
しかし、マズいものではない。熱いうちに、レモン汁でもかけて食えば、相当の味が愉しめる。ただ、カキ・フライは贅沢料理と考え、材料も、油も、揚げ方も、吟味した方がいいだろう。南欧の揚げもの料理は、オリーブ油を用いるが、それが最適にきまってる。そして、日本人のテンプラ感覚をもって、揚げ加減を知ったら、立派なフライができるだろう。戦前、新橋駅前の小さな洋食屋で、カキ・フライを得意とする店があったが、一食に値いした。
とにかく、日本人は、貝類の味わい方を、よく知ってる。例えば、東京附近でいうハシラ——バカ貝やウバ貝の小型なハシラは、味も質も、ほんとにデリケートであって、生食が一番いいのだが、吸い物や揚げ物にする場合にも、その味を落さない工夫を、知ってる。よく調理されたハシラの吸い物なぞ、ヘタな詩歌よりも、春を感じさせる。ハシラのカキアゲなぞも、テンプラ職人の修錬を要するだろう。しかし、最も簡単なハシラの食べ方は、名あるソバ屋で、アラレ・ソバを註文することである。ハシラも、ソバも、よく味が生かされてる。
新鮮な貝類の料理法は、日本人が得意だけれど、干した貝の処置になると、とても、中国人には敵わない。
干した貝柱、干した鮑《あわび》、そして、干したナマコ(貝ではないにしても)のモドシ方を、心得てる点で、中国料理人の腕は、驚くべきものがある。フカのヒレだって、干蔵品で、あんなウマいものを、つくりあげるが、ことに感心するのは、鮑である。石のように固く、干し上げたものを、よく、あんなに軟かくモドせるものと、驚いてしまうが、それよりも、生鮮な鮑と異った、特別な美味を生み出すところに、料理というものを、感じさせる。あのような料理は、科学の発明とひとしく、すばらしい人間の知恵を考えさせるが、エジソンの名は残っても、干鮑を巧みにモドすことを発見した昔の中国料理人は、誰からも顧みられなくて、気の毒である。
干蔵品は、魚介に限らず、野菜から高野豆腐のようなものまで、われわれは、よく馴染んでるが、欧米には、少いようだ。乾燥肉というものも、存在するらしいが、日常食ではない。干蔵品なぞ食わなくても、欧米人は、物資豊富な環境に、住んでたのだろう。しかし、貧しい東洋人は、そうはいかなかった。そして、干鮑の料理のようなものを、発明したのである。
中国料理で、干蔵品の処理の巧みなのは、北京料理だが、日本でも、京都が優れてる。両方とも、海に遠く、しかも、文化の中心地で、住民の舌が、肥えてたからだろう。京都人は、高野豆腐ひとつ煮るにも、よくその方法を知ってる。やはり干蔵品である豆類の煮方も、上手である。
それで思い出したが、欧米人といえども、豆類は、干蔵品を食べないこともない。私はフランスにいる間に、ジゴ・ロチといって、羊肉のローストを、よく食べさせられたが、その添え野菜に、必ず、白隠元豆のスープ煮がつくのである。その白隠元豆が出ないと、ジゴ・ロチを食った気がしないくらいである。第一、ウマいのである。羊肉を一口食べ、そして、白隠元豆にかかると、大変、味の調和を感じる。また、パンの味と、よく合い、ブドー酒の味をも、よくする。
フランス人は、ジゴ・ロチの時には、かなりの量の豆を食べるが、誰も好きなようである。その白隠元豆が、干蔵品であるのは、いうまでもない。しかし、水に漬けてモドす場合、日本のそれより、ずっと簡単なようである。白隠元の外に、赤隠元を使う料理もあるが、この方も、同様である。干し豆に限らず、人参でも、大根(大根もフランスにある。ナーベと称する)でも、大変、早く煮え、早く軟かになるのである。私はパリで自炊の経験があるから、その点をよく知ってる。どうも、日本の隠元豆や人参、大根は、人間に食われないために、必死の抵抗を試みてるのではないか。
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