鯡《にしん》という魚は、春告げ魚の別名があり、今の季節がシュンなのだろうが、私は新鮮なのを、食べたことがない。
北海道の人は、ニシンの美味を説くのが、常である。獲れたてのニシンを、塩焼やカバ焼で、食うらしいが、きっとウマいだろうと、想像できる。そして、新鮮なものに限るだろうと、思うせいか、近頃、東京の魚屋が、生ニシンを持ってきても、つい手が出ない。また、料理法も、ほんとのことを、知らないからである。東京の人は、ニシンは臭い魚と、思ってる。そして、下魚として、軽蔑してるが、そういうものでもあるまい。
英国人は、ニシンをよく食うらしい。ことに、朝飯の食物にするらしいが、フランス人は、オードーブル用とする。ニシンの身をおろしたのを、玉ネギその他の香辛料と共に、油に漬け込んだものである。缶詰としても、売ってるが、食料品屋で、バラにして、皿の上に列べてる。朝食べないのは、フランスの朝飯は、食事ともいえないほど簡単で、コーヒーとパンだけの習慣だからだろう。
私は新鮮なニシンの味を、知らないけれど、決して嫌いな魚ではない。ことに、あの魚の持ってる渋さ(精神的意味ではない。舌に感じる渋さ)が、好きである。そんな味が出るのは、無論、生鮮品ではなく、干しニシンの場合である。
また、話が干蔵品に戻るが、干しニシンの味は、格別なものだと思う。もっとも、東京では、一度も、その美味に接したことがない。わが家でも、時々、生干しのニシンで、試みる時もあるが、いつも失敗する。
やはり、あの種のものは、京都の人が、料理法を知ってる。彼等は、干しニシンでも、干し鱈でも、巧みに処理して、独特の味を引き出す。円山の平野屋へ入ってくと、干し鱈の臭気で、鼻をつくが、出す料理は、私の好物だった。しかし、近年、味つけが大変甘くなり、足が遠退いた。その点、野菜を主とする懐石料理の�雲月�では、結構なニシンの焚き合せを、味わわせてくれた。それから、祇園の近くにあるニシン・ソバも、名物といえないこともなかろう。
京都のニシン料理は、洗練されてるけれど、栃木県の那須温泉のそれは、ほんとの山家料理で、別種の趣きがある。ニシンが那須の名物というわけではない。昔、交通不便だった頃に、あの山奥では、干し魚ばかり食べてたのだろうが、ある旅館の老女将は、今もって、その料理法を心得てる。ニシンをワラビかゼンマイと共に、煮ただけのものだが、大変ウマい。一度、私が賞めたら、私の行く度に出してくれるばかりでなく、便があれば、東京へも届けてくれる。
彼女としては、私という鑑賞者を見出したことが、うれしいのである。なぜといって、宿泊客はもとより、彼女の息子や娘たちも、ニシンなぞは、全然バカにして、見向きもしない。氷詰めのあまり新鮮でないエビなぞを、喜んでる。エビがこの山奥へ侵入してきたのは、戦後のことに過ぎない。婆さんはエビ・フライよりも、昔ながらのニシンの煮つけの方が、美味であることを信じ、それを認めてくれた私を、多とするらしい。しかし、私なぞがいくら賞めたって、山奥の郷土料理なんて、やがて亡びるだろう。那須の場合ばかりでなく、すべての郷土料理は、土地の若い人に背を向けられ、老人たちの死と共に、絶滅してしまうだろう。残念なことである。
北海道の人は、ニシンの美味を説くのが、常である。獲れたてのニシンを、塩焼やカバ焼で、食うらしいが、きっとウマいだろうと、想像できる。そして、新鮮なものに限るだろうと、思うせいか、近頃、東京の魚屋が、生ニシンを持ってきても、つい手が出ない。また、料理法も、ほんとのことを、知らないからである。東京の人は、ニシンは臭い魚と、思ってる。そして、下魚として、軽蔑してるが、そういうものでもあるまい。
英国人は、ニシンをよく食うらしい。ことに、朝飯の食物にするらしいが、フランス人は、オードーブル用とする。ニシンの身をおろしたのを、玉ネギその他の香辛料と共に、油に漬け込んだものである。缶詰としても、売ってるが、食料品屋で、バラにして、皿の上に列べてる。朝食べないのは、フランスの朝飯は、食事ともいえないほど簡単で、コーヒーとパンだけの習慣だからだろう。
私は新鮮なニシンの味を、知らないけれど、決して嫌いな魚ではない。ことに、あの魚の持ってる渋さ(精神的意味ではない。舌に感じる渋さ)が、好きである。そんな味が出るのは、無論、生鮮品ではなく、干しニシンの場合である。
また、話が干蔵品に戻るが、干しニシンの味は、格別なものだと思う。もっとも、東京では、一度も、その美味に接したことがない。わが家でも、時々、生干しのニシンで、試みる時もあるが、いつも失敗する。
やはり、あの種のものは、京都の人が、料理法を知ってる。彼等は、干しニシンでも、干し鱈でも、巧みに処理して、独特の味を引き出す。円山の平野屋へ入ってくと、干し鱈の臭気で、鼻をつくが、出す料理は、私の好物だった。しかし、近年、味つけが大変甘くなり、足が遠退いた。その点、野菜を主とする懐石料理の�雲月�では、結構なニシンの焚き合せを、味わわせてくれた。それから、祇園の近くにあるニシン・ソバも、名物といえないこともなかろう。
京都のニシン料理は、洗練されてるけれど、栃木県の那須温泉のそれは、ほんとの山家料理で、別種の趣きがある。ニシンが那須の名物というわけではない。昔、交通不便だった頃に、あの山奥では、干し魚ばかり食べてたのだろうが、ある旅館の老女将は、今もって、その料理法を心得てる。ニシンをワラビかゼンマイと共に、煮ただけのものだが、大変ウマい。一度、私が賞めたら、私の行く度に出してくれるばかりでなく、便があれば、東京へも届けてくれる。
彼女としては、私という鑑賞者を見出したことが、うれしいのである。なぜといって、宿泊客はもとより、彼女の息子や娘たちも、ニシンなぞは、全然バカにして、見向きもしない。氷詰めのあまり新鮮でないエビなぞを、喜んでる。エビがこの山奥へ侵入してきたのは、戦後のことに過ぎない。婆さんはエビ・フライよりも、昔ながらのニシンの煮つけの方が、美味であることを信じ、それを認めてくれた私を、多とするらしい。しかし、私なぞがいくら賞めたって、山奥の郷土料理なんて、やがて亡びるだろう。那須の場合ばかりでなく、すべての郷土料理は、土地の若い人に背を向けられ、老人たちの死と共に、絶滅してしまうだろう。残念なことである。