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食味歳時記18

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:鮎 の 月02 私が鮎に血道をあげたのは、やはり、あれが、季魚であるせいだろう。年百年中、鮎が魚屋の店頭に出てたら、アジと
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鮎 の 月02

 私が鮎に血道をあげたのは、やはり、あれが、季魚であるせいだろう。年百年中、鮎が魚屋の店頭に出てたら、アジと変らないことになるだろう。アジもウマい魚で、初夏と共に味を増すが、それほど、夢中にもならない。年中あるからである。
そこへいくと、銀宝《ぎんぽ》という魚は、鮎よりも、季節が短かいせいか、私は珍重して、措かない。銀宝なんて、無論、アテ字であり、東京付近のテンプラ屋が、タネに用いるだけで、関西では、食用にしないらしい。東京湾産らしいが、もう、よほど房州に近い方でないと、獲れないらしい。現物を見たことがないが、泥鰌《どじょう》のバケモノのような、グロテスクの形相だそうである。
しかし、世の中には、不思議な魚もあるもので、どんな料理にも向かず、ただ、テンプラにした場合、王者の風格を発揮し、それも、一ケ月ぐらいで、姿を消し去るのである。まさか、テンプラになる使命を果たして、死んでしまうわけでもあるまい。季節外は、マズいとか、皮が硬くなるとか、そんな理由があるのだろう。
ギンポの季節は、桜の若葉が出る頃に始まって、ほんの短期間で、本来は、前の月にとりあげるべき魚かも知れない。とにかく、ギンポのシュンになると、懇意なテンプラ屋のオヤジが、電話をかけてくる。
「出ましたよ。今年のギンポは、すばらしいですよ」
私は、胸をワクワクさせて、出かけずにいられない。グズグズしてると、季節を逸してしまう。
私が、テンプラで好きなのは、アナゴであって、それも、塩やレモンの厄介にならず、天ツユで食うのを、最上とするが、ギンポのある時は、アナゴに見向きもしない。そして、やはり、天ツユで食う方がいい。
ギンポを、ちょっと過ぎるくらいに揚げて貰って、コロモの歯触りを愉しめる程度のものが、私には、最も好適である。アナゴより、やや味が軽く、そして、肉の厚さが、タップリと、口中をふさぎ、食道へ送るのが、惜しいほどである。
(ああ、何と、ウマいものが、世の中にあることか)
私は、ギンポのテンプラを食う時に、心の中で、三嘆することがある。ことによったら、地上最高の美味ではないかと、思うことがある。無論、そういう時には、何者かに対して、感謝の念が、湧いてくる。
だから、ギンポが出廻ってくると、質に置いてもという気持になるのだが、昨年の春は、膵臓炎を患って、テンプラ屋から、電話があっても、出かけられなかった。医師が、脂肪食を厳禁したからである。今年は今年で、二月に胆嚢炎をやって、同じような、食餌制限を受けた。両方とも、消化器系の病気で、痛い思いをして、その上、テンプラも、ウナギも、ビフテキも、食べられない。私は、いい気になって、食べ物のことなぞ、文章にしてるが、その報いではないか、という気にもなるのである。何がウマいとか、好きだとかいうことは、ソッと、胸中に蔵って置けばいいので、ツベコベいうのは、道に外れてるかも知れない。
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