しかし、商売、商売。
私の好きなものは、鮎、ギンポと、薫風と共に、世に出てくるが、もう一つ、忘れてならぬものがあった。
そら豆。
私は、そら豆が店頭に出る頃から、枝豆と交代する盛夏まで、一日も休みなしに、晩酌の膳に載せる。そら豆の皮が硬くなり、茶色の斑点を生じても、まだ未練たらしく、追いかける。
といって、四月頃の走りのそら豆が、小指の爪ほどもない大きさの時には、それほど愛着を感じない。何か、残酷な気がする。やはり、黒い眉ができて、皮からハジき出して食べるぐらいに、育ってくれないと、真味がない。そして、二ケ月間ぐらい、毎晩食っても、ちっとも、飽きない。
若い頃は、酒のサカナとしても、枝豆の方が、好きだった。いつか、それが、そら豆に、とって替ったのである。なぜかと考えるのに、やはり、年のせいだろう。枝豆は、歯も胃も、丈夫でないと、不向きなのだろう。そら豆の方は、軟かく、独特の匂いがあり、温雅で、且つ爽かな、食べものである。
そら豆は、軟かい豆として、値打ちがある。近年は、八百屋でも、莢《さや》入りのを、売ってるから、大体、軟かいものを、入手できる。私の子供の頃は、サヤ入りなぞは、ゼイタク品であり、売ってるのは、剥きそら豆が、多かった。そして、塩ゆでで、下物とするよりも、砂糖を沢山入れて煮て、惣菜としたものだった。
それでも、八百屋で売ってるそら豆は、ほんとに軟かいとは、いえない。そうなれば、わが家の菜園に、植える外ない。穫れたてのそら豆なら、絶対に、硬いことはない。
大磯在住の頃は、近所のお百姓さんに頼んで、裏の畑に、そら豆を植えてもらった。そら豆なんて、蒔いたら、すぐ食べれるものかと、思ったら、前の年の秋に、種をおろした。そして、冬を凌ぎ、春になって、花が咲く姿が、なかなか美しかった。そして、
「もう、実《な》ってますよ」
と、家人が知らせにくるまで、意外に、早かった。勿論、その頃は、小指の爪ほどもないやつで、私が食べ始めるには、もう少しの時間を、待たなければならなかった。
穫れたてのそら豆は、むしろ、軟か過ぎるのが、難といえるほどである。夕食の支度が始まってから、畑へとりに行くのだから、ほんとの穫れたてである。欲をいえば、そら豆の種を選ぶべきだが、私は、お百姓任せにして、ゼイタクをいわなかった。
しかし、世の中には、そら豆キチガイというべき人がいるらしい。私よりも、もっと、そら豆に、血道をあげてるのだろう。その人は、瀬戸内海の沿岸だか、島だかに住んでいて、金持ちで、広い地所に住んでるらしいが、そら豆の最良種というのを、沢山蒔いて、丹精をこめて、育てるらしい。そして、走りの時から、最後の収穫まで、毎日毎日、そら豆を食べ続け、悦に入ってるらしい。無論、塩ゆでにして、食べるのだろう。さもなかったら、毎日は、続かない。
自宅でできるそら豆を、食べるのが、最上であるが、私は、他所で食うのだったら、国技館がいい。この頃は、角力見物も、桟敷でゴタゴタものを食って、帰りにまた、大風呂敷に包んだ土産までくれて、何か仰々しくなったが、以前は、五月場所だと、そら豆と、ヤキトリぐらいしか、運んでこなかった。そのそら豆が、不細工な木の箱に山のように入っているのが、角力場らしく、それを抓《つま》みながら、ビールでも飲んで、土俵を見るのは、気分がよかった。私は、五月場所に角力場へ行くのが、好きだが、それは、そら豆の魅力が、与《あず》かってた。
そら豆には、ビールが好適のようである。私は、決して、ビール好きでなく、飲み盛りの頃でも、ビールは一本、後は日本酒にした。大佛次郎、火野葦平両君の如く、十五本もビールを飲むことは、とうてい不可能のようである。しかし、少量なら、ビールのウマさを、解さないこともない。
そして、ビールの味が、一番よいのは、私にとっては、盛夏ではない。五、六月頃の晴天の日で、喉が渇きを感じるか、感じないかという状態の時が、最高である。汗をダクダク流して、喉がカラカラという時に、氷のように、冷蔵庫で冷やしたビールを飲めば、快適ではあるが、ビールの味というものは、逃げるようである。ビールの冷え方は、私は、井戸水の程度を、最も好む。戦前、私が千駄ヶ谷に住んでいた頃、裏に井戸があり、氷を用いる旧式冷蔵庫もあったが、井戸で冷やした方が、味はよかった。
そして、ビールのツマミモノに、何がいいかということは、そう決定的ではないようである。その辺のビア・ホールへ行くと、ポテト・チップやチーズのようなものの外、料理類も多種に亙って、用意されてる。ビールを飲むのに、そんなにサカナが必要だろうか。
私はベルリンや、ミュンヘンのビア・ホールを歩いたが、食べるものは、至って少い。ドイツ人は、赤カブに塩をつけたものが、一番、ビールに合うと、思ってるようだ。肉類なら、ソーセージだが、それは、腹の減ってる場合だろう。
日本でビールを飲むのだったら、私には、そら豆が一番である。そら豆の出る季節が、ビールの最もウマい時だからでもあろうが、そら豆の淡味と、渇を誘う性質とが、向いてるように、思われる。ドイツ人に食わして、赤カブとどっちが優ってるか、聞いてみたい気もする。
ただ、季節が短かいのが、難である。近頃は、冷凍そら豆が出廻って、見たところ、実に食指をそそる色と形をしているが、食膳に上せて、満足したことがない。
季節のものがウマいのは、人間が季節の中にいるからである。人間の諸条件が、体も、心も、季節の中にあるからである。
私の好きなものは、鮎、ギンポと、薫風と共に、世に出てくるが、もう一つ、忘れてならぬものがあった。
そら豆。
私は、そら豆が店頭に出る頃から、枝豆と交代する盛夏まで、一日も休みなしに、晩酌の膳に載せる。そら豆の皮が硬くなり、茶色の斑点を生じても、まだ未練たらしく、追いかける。
といって、四月頃の走りのそら豆が、小指の爪ほどもない大きさの時には、それほど愛着を感じない。何か、残酷な気がする。やはり、黒い眉ができて、皮からハジき出して食べるぐらいに、育ってくれないと、真味がない。そして、二ケ月間ぐらい、毎晩食っても、ちっとも、飽きない。
若い頃は、酒のサカナとしても、枝豆の方が、好きだった。いつか、それが、そら豆に、とって替ったのである。なぜかと考えるのに、やはり、年のせいだろう。枝豆は、歯も胃も、丈夫でないと、不向きなのだろう。そら豆の方は、軟かく、独特の匂いがあり、温雅で、且つ爽かな、食べものである。
そら豆は、軟かい豆として、値打ちがある。近年は、八百屋でも、莢《さや》入りのを、売ってるから、大体、軟かいものを、入手できる。私の子供の頃は、サヤ入りなぞは、ゼイタク品であり、売ってるのは、剥きそら豆が、多かった。そして、塩ゆでで、下物とするよりも、砂糖を沢山入れて煮て、惣菜としたものだった。
それでも、八百屋で売ってるそら豆は、ほんとに軟かいとは、いえない。そうなれば、わが家の菜園に、植える外ない。穫れたてのそら豆なら、絶対に、硬いことはない。
大磯在住の頃は、近所のお百姓さんに頼んで、裏の畑に、そら豆を植えてもらった。そら豆なんて、蒔いたら、すぐ食べれるものかと、思ったら、前の年の秋に、種をおろした。そして、冬を凌ぎ、春になって、花が咲く姿が、なかなか美しかった。そして、
「もう、実《な》ってますよ」
と、家人が知らせにくるまで、意外に、早かった。勿論、その頃は、小指の爪ほどもないやつで、私が食べ始めるには、もう少しの時間を、待たなければならなかった。
穫れたてのそら豆は、むしろ、軟か過ぎるのが、難といえるほどである。夕食の支度が始まってから、畑へとりに行くのだから、ほんとの穫れたてである。欲をいえば、そら豆の種を選ぶべきだが、私は、お百姓任せにして、ゼイタクをいわなかった。
しかし、世の中には、そら豆キチガイというべき人がいるらしい。私よりも、もっと、そら豆に、血道をあげてるのだろう。その人は、瀬戸内海の沿岸だか、島だかに住んでいて、金持ちで、広い地所に住んでるらしいが、そら豆の最良種というのを、沢山蒔いて、丹精をこめて、育てるらしい。そして、走りの時から、最後の収穫まで、毎日毎日、そら豆を食べ続け、悦に入ってるらしい。無論、塩ゆでにして、食べるのだろう。さもなかったら、毎日は、続かない。
自宅でできるそら豆を、食べるのが、最上であるが、私は、他所で食うのだったら、国技館がいい。この頃は、角力見物も、桟敷でゴタゴタものを食って、帰りにまた、大風呂敷に包んだ土産までくれて、何か仰々しくなったが、以前は、五月場所だと、そら豆と、ヤキトリぐらいしか、運んでこなかった。そのそら豆が、不細工な木の箱に山のように入っているのが、角力場らしく、それを抓《つま》みながら、ビールでも飲んで、土俵を見るのは、気分がよかった。私は、五月場所に角力場へ行くのが、好きだが、それは、そら豆の魅力が、与《あず》かってた。
そら豆には、ビールが好適のようである。私は、決して、ビール好きでなく、飲み盛りの頃でも、ビールは一本、後は日本酒にした。大佛次郎、火野葦平両君の如く、十五本もビールを飲むことは、とうてい不可能のようである。しかし、少量なら、ビールのウマさを、解さないこともない。
そして、ビールの味が、一番よいのは、私にとっては、盛夏ではない。五、六月頃の晴天の日で、喉が渇きを感じるか、感じないかという状態の時が、最高である。汗をダクダク流して、喉がカラカラという時に、氷のように、冷蔵庫で冷やしたビールを飲めば、快適ではあるが、ビールの味というものは、逃げるようである。ビールの冷え方は、私は、井戸水の程度を、最も好む。戦前、私が千駄ヶ谷に住んでいた頃、裏に井戸があり、氷を用いる旧式冷蔵庫もあったが、井戸で冷やした方が、味はよかった。
そして、ビールのツマミモノに、何がいいかということは、そう決定的ではないようである。その辺のビア・ホールへ行くと、ポテト・チップやチーズのようなものの外、料理類も多種に亙って、用意されてる。ビールを飲むのに、そんなにサカナが必要だろうか。
私はベルリンや、ミュンヘンのビア・ホールを歩いたが、食べるものは、至って少い。ドイツ人は、赤カブに塩をつけたものが、一番、ビールに合うと、思ってるようだ。肉類なら、ソーセージだが、それは、腹の減ってる場合だろう。
日本でビールを飲むのだったら、私には、そら豆が一番である。そら豆の出る季節が、ビールの最もウマい時だからでもあろうが、そら豆の淡味と、渇を誘う性質とが、向いてるように、思われる。ドイツ人に食わして、赤カブとどっちが優ってるか、聞いてみたい気もする。
ただ、季節が短かいのが、難である。近頃は、冷凍そら豆が出廻って、見たところ、実に食指をそそる色と形をしているが、食膳に上せて、満足したことがない。
季節のものがウマいのは、人間が季節の中にいるからである。人間の諸条件が、体も、心も、季節の中にあるからである。