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食味歳時記24

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:議  論01八月の炎天に、食べものの話をしたって、しようがないようなものである。前にも書いたとおり、二月の食べものは、まだ
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議  論01

八月の炎天に、食べものの話をしたって、しようがないようなものである。前にも書いたとおり、二月の食べものは、まだ救いがあるが、八月となると、なるべく食べない算段をして、炎暑の過ぎ行くのを、待つより仕方がない。夏痩せという語があるが、食う愉しみがなく、ソーメンのようなものばかりに、頼っていては、痩せもするだろう。
しかし、それは、私のようなオイボレや、昔風の柳腰の美人のいうことであって、盛夏だって、天は旺盛なる食欲を恵んでる人もあるのである。ものがマズいというのは、老衰か、不健康の証拠であり、また、根性も曲ってるのだろう。
若い学生と労働者の健康なる食欲を、私は尊敬する。
私も、曾て、若い学生だったが、暑いからといって、食が減るという経験は、なかったように思う。むしろ、夏の方が、腹が空いた。泳いだり、運動したりする機会が多かったからだろう。もっともマズいオカズの時には食わず、牛肉でも出ると、五、六ぱいの飯を代えた。土用のうちでも、肌寒い日が、よくあるもので、そういう時に、母親が牛鍋でもこしらえてくれると、実に、大食した。私の若い頃は、肉食が高価で、魚が安かったのだろう。肉料理は、せいぜい、週二回ぐらいだった。近頃は、逆になって、家庭料理も、すっかり、内容が変ってしまった。
カレー・ライスなんてものも、今では、どこの家でも、安直なお惣菜として、食事に出るが、私の若い時には、ご馳走だった。その頃は、国産のカレー粉がないから、私の母親なぞ、舶来のを、大事そうに、使ってた。そして、料理法も幼稚で、バターで材料の下ごしらえなぞせず、水煮の肉と野菜に、カレーとウドン粉を、混じるに過ぎなかったから、大変、水っぽかった。
それでも、私たちは、スープ皿に山盛りのカレー・ライスを、二はい、或いは、三ばい食べ、水をガブガブ飲んだ。
私が濃いカレー汁を、初めて見たのは、最初の渡欧で、船がシンガポールに寄港した時だった。碇泊が長いので、上陸して、日本旅館に休憩に行ったが、何しろ暑くて、ものを食う気になれず、アイスクリームを取ってもらって、渇をとどめた。
その旅館の奥座敷は、町の汚ない裏通りに面していて、そこに、数軒の露店が出てた。一軒は、ミカン水のようなものを売り、もう一軒は食べもの屋だった。往来に黒い肌の労働者が、見るからに暑そうに、ダランとして、往来にシャガんでたが、そのうちのある者は、食事をしてた。露店から、蓮の葉のようなものに、飯を盛り、汁をかけたものを、買ってきて、左手の指で、ジカに、口ヘ持ってった。
「何を食ってるんだね」
と、女中に聞くと、カレー・ライスだと、教えてくれた。左の手は、清潔のものとなってるので、ものを食べる時には、そうするのだとも教えてくれた。
その汁というのが、日本のカレーと似ても似つかず、赤褐色で、ドロドロしてた。黒人は、それを丁寧に、指さきで飯を混じ、ゆっとりと食べてた。大変カラいものだと、女中がいってた。その時の情景を、私は、拙作『南の風』に、書き入れた。
私は、そんな場合に、一食を試みたい好奇心を湧かすのだが、暑さと、不潔さで、全然、その気にならなかった。
しかし、カレー料理が、熱帯のものであることは、ひどく実感を誘った。シンガポールでも、高級なカレー料理を食わせる家があるそうだが、ジャバのオランダ人経営のホテルのカレー・ライスが、南洋第一のものだという話も聞いた。カレーそのものよりも、チャツネのような添加物が、四十幾種とかあって、自分の好みによって、味を整えるらしかった。きっと、ウマいように、思われた。
でも、一体、カレー・ライスというのは、洋食なのか、熱帯料理なのか、疑問が浮んだ。そして、やがてパリヘ着いて、数年間を送ったが、その間に、一度も、カレー・ライスにお目にかからなかった。レストオランのメニユにないのである。ただ、一軒だけ、例外があった。日本人クラブの食堂である。そこへ行くと、カレー・ライスがあった。トン・カツもあった。両方とも、日本人の食う洋食で、フランスに関係ないのだろう。
しかし、ロンドンへ行くと、インド料理店があって、カレー・ライスが食べられると、聞いたが、トン・カツを注文しても、断わられるだろう。私がヨーロッパでトン・カツを食ったのは、ただ一度。それも、ベルリンの友人の下宿の婆さんが、こしらえてくれたので、犢のカツレツは、ドイツの料理店にあっても、豚はその時にとどまった。
カレー料理は、熱帯のものだから、夏に食うべきだろうが、われわれ老人には、閉口である。しかし、若い学生が、白い半袖シャツ一枚の姿で、汗をかきながら、熱いカレー・ライスを掻き込んでるのは、壮観であり、日本の将来を背負って立つ意気ごみすら、感じさせる。旺盛なる食欲の前に、暑気も寒気も、あったものではない。私は、若い人がカレー・ライスを食うのを、見るのが好きだ。
同様に、健康なる労働者が、一日の仕事を終って、飲み食いする愉しみも、想像できる。といって、近頃の労働者が飲食する場所は、大衆食堂にしろ、洋食風、中国風の料理が、著しく殖えたらしいから、カレー・ライスを食う学生と、大差ない食事だろうが、昔は、ちがってた。
飯屋《めしや》というものがあった。労働者は、そこへ行って、食事した。
文字通り、飯を食わせる店で、副食物も、それに適合したものだったが、酒も売り、飯屋で酔払ってる人力車夫というのも、珍しい風景ではなかった。
飯屋は、バカにできなかった。飯屋というだけあって、ここで食わせる米飯は、なかなか美味だった。炊き方が、上手なのだろう。そして汁類——ことに味噌汁がウマく、漬物が上手だった。
明治から大正にかけて、東京の各所に、飯屋が栄え、労働者ばかりでなく、下級サラリー・マンも、足を運んだが、学生は、立ち寄らなかった。それなのに、どうして私が飯屋を知ってるかというと、私の級友に、神田の大きな飯屋の息子があって、よくその家へ、遊びに行ったからである。
飯屋も大きいのになると、普請もドッシリして、入口の繩ノレンからして、堂々としてた。しかし客は印半纒《しるしばんてん》の労働者が多く、削りっぱなしの長いテーブルの両側に、縁台に腰かけ、空席のないほどだった。でも、彼等はあまり話をせず、サッサと飯を食って、帰るから、回転率がよく、薄利多売の商売が、成り立ったのだろう。
夏の蒸暑い夕でも、彼等は、熱いドジョウ汁のようなものを註文し、山盛りの飯茶碗を抱え、いかにもウマそうに、頬張ってた。空腹だからだろう。空き腹にマズいものなしというが、それは、料理の必要を否定する言葉に聞えるけれど、私の友人の家のような、大きな飯屋の食べものは、安価なのに、決してマズいものではなかった。飢餓線上の空腹は、問題にならぬけれど、一日三食をしてる者が、体を動かした結果、烈しい食欲を感じるのだったら、飯屋の食べもの程度の食味は、非常な満足感を、与えるだろう。私はその満足や悦びを、かなり大きく評価したい。茶人が心をこめた懐石を味わう時とちがって、鑑賞や批判は働かなくても、肉体の味わう悦びは、それに優るだろう。
フランス語で、食いしん坊のことをグールマン(Gourmand)といい、食通のことをグールメ(Gourmet)と呼ぶけれど、日本語に訳して感じるほど、截然たる区別があるものではない。むつかしくいえば、グールマンには、大食家の意味があり、グールメは、味の鑑定家をいうけれど、普通、両者の意味を混同して、用いてる。グールマンディーズ(Gourmandise)といえば、食道楽の意味になるのである。
それが、正しいと思う。味の鑑定家というものも、動物的食欲の所有者というものも、たとえ存在したところで、あまり意味のあるものではないと思う。真の意味で、味の鑑定家になるには、食欲のインポテンツになる必要があり、ガツガツと大食する者に、味のことを聞いても、仕方がないだろう。
この問題について、私は、個人的経験を語ることができる。
三十代の私は、健康であり、暴飲暴食をしても、消化器の故障もなく、かなりの食いしん坊だった。その頃、私の友人に、金持ちの息子がいて、彼のオゴリで、ものを食いに出かけたが、彼は胃病で、小量しか飲食せず、私の大食を軽蔑した。
「君のように、大食いの奴に、食物を語る資格はないね」
「何いってるんだ。雀の餌ほどのものを食って、ウマいのマズいのというのは、滑稽だよ。ウマいものを、ウンと食うところに、喜びがあるんだ。満腹感の幸福を君は知るまい」
「満腹感なんてものは、外道だよ。それは、胃の問題であって、舌の問題ではない」
「舌と胃とを、無関係な器官と思ってるのか。食欲あってこその食味ではないか」
「君のいうのは、空腹にマズいものなしという俗論で、とるに足りないよ」
二人の議論は、どこまで行っても、キリがなかった。その癖、他の友人の憐れむべき味覚を、悪評する場合は、いつも話が合った。
「あいつは、犬みたいなものだ。何を食わしても、味がわからねえ奴だ……」
そして、それから、長い歳月がたった。彼は胃病が嵩じて、胃ガンとなり、戦争中に死んでしまった。私は、その頃の暴飲暴食の祟りで、胃潰瘍、膵臓炎、胆嚢炎と、消化器の病気ばかりやって、大食なぞ思いもよらない、老残の身となった。脂肪の多い、重い食物は、医者に禁じられ、食事の分量も、あの当時の半分以下で、小食だった彼よりも、もっと小食になってしまった。
そして、私は、よく、彼のことを、思い出す。あんなことをいって、議論したけれど、こっちが食欲のインポテになり、彼の気持が、よくわかるような気がする。
といって、私は、彼の主張に与《くみ》するわけでもないのである。よい料理、ウマい料理も、それを味わうには、やはり、ある程度の空腹を条件とすると、思ってる。近頃は、若い時のような空腹を、感じる機会はないが、それだけに、昔が恋しい。そして、空腹というものを、貴重に感じるのだろう。
しかし、空腹美味論というのは、料理のことを考えれば、一つの危険思想にちがいない。若い、強健な胃袋だけが、食物の醍醐味を知るというのは、暴論である。中年以後の生理が、ものの味、料理人の腕を、最もよく鑑賞できる。それは事実であり、料理の価値と存在理由を、教えてくれるのである。
とはいっても、その議論を、極端に押し進めることも、危険である。私が亡友に反対したのも、そんな考えがあったからだろう。
料理人は、よく、味見《あじみ》ということをやり、猪口かなんかで、汁なぞの加減を、ちょいと味わって見るが、あの場合は、純粋な鑑定家の態度ではあっても、ものを食う人からは、遠いのである。ものを食うという態度は、そんなものではない。
更に、酒の鑑定人が、利き酒をする時を見ると、彼等は絶対に、酒を嚥下しない。口に含み、すぐ、吐き出すのみである。そうしないと、鑑定ということが、むつかしいそうだが、私等から見ると、酒を飲まないで、酒を批評するなんて、意味を失ってると、思うのである。
料理の鑑賞ということも、あまりむつかしいことをいい、あまり純粋さを求めようとすると、鑑賞そのものの成立を、妨げることになる。私が食通という語を信ぜず、強いて、そんなものになろうとすれば、不幸の道を歩くことになると、考えるのも、その点にある。
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