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食味歳時記36

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:熟  す02 新米もウマいが、新ソバのウマさも、酣わな秋の恵みだろう。ソバは、春にも収穫があるが、秋の方が、ずっと、味がい
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熟  す02

 新米もウマいが、新ソバのウマさも、酣わな秋の恵みだろう。
ソバは、春にも収穫があるが、秋の方が、ずっと、味がいいのではないか。十一月というのは、ソバを食う月として、暦にでも載せたいくらいである。
新ソバの香りは、新米のような異臭でなく、幽かではあるが、何ともいえない、芳香である。爽かで、素朴で、田園無名の高士と接するような、感じである。あの香気がなかったら、ソバの魅力は半減するし、また、あの香気を愛するか否かで、ソバ好きとなるか、ならぬかの別れ目にもなる。
私は例によって、不勉強であるから、信州のソバ粉がいいのか、北海道産が優れてるのか、よく知らない。近頃は、ソバ粉も、中国だの、アフリカだの、飛んでもない国から、入ってくるから、産地を云々しても、仕方がないが、私にとって、いい匂いのソバが、最上である。
世にソバ通というものがあって、ソバの食い方をやかましくいうが、あれも、ソバの香りを、少しでも愉しもうとする工夫なのだろう。
ソバを噛まないことも、ツユを沢山つけないことも、匂いを消さない法に、適ってるのだろう。ソバの匂いは、どうやら、口腔の奥を通過する時に、発散するようで、丸呑み式といったって、少しは噛んでるにちがいないが、唾液のあまり混らない方が、美味なようである。
ツユも、あまりドップリつけると、匂いを消すと、思われる。それで、末端をツユに浸すだけにするのだろうが、私も、そうする方が、ウマいと思う。しかし、それを金科玉条にするのも、愚である。
昔の小咄に、ソバのツユを、沢山つけて、一度、食べたかったと、死に際にいう人の話があるが、無論、それは、食通のマネを笑ったのだろうが、私は、その笑話の作者は、あんまりソバが好きではなかったろうと、推察してる。ソバは、やはり、ソバ通方式でいく方が、合理的と思う。といって、ツユなしでソバを食うのが、一番だというのは、暴論である。
いつか、四万温泉に行った時に、奥の方の山の湯で、ソバを食わせる旅館があると聞いて、秋の午後の山道を歩いた。ひなびた、静かな宿で、きっと、うまいソバを食わせるだろうと思って、二階へ上った。
ところが、ソバを打つ職人が外出したという。私は、大いに落胆したら、女中が気の毒がって、ソバがきでよかったら、自分がこしらえるという。仕方がないからそれを頼んだら、やがて、大丼一ぱいの大量を、持ってきた。
私の家では、あまり、ソバがきをやらないので、これは、もてあました。そして、酒を飲みながら、サカナのつもりで、少し宛、口ヘ入れてるうちに、いつか、全部、食べてしまった。それほど、ソバがきがウマかったわけでもない。ただ、ソバの匂いが、とても高く、それに釣られて、食べてしまったのだろう。
その後、私は、よいソバ粉を貰った時には、ソバがきにするのを、常とするようになった。見た眼は、汚らしいが、不手際な素人ソバを打つより、気がきいてる。そして、あれは、ひどく、消化のいいものらしい。
とにかく、私にとって、ソバは、ありがたい食物なのだが、東京のソバの水準が、戦後、ガタリと落ちてしまったのを、悲しく思う。昔は、場末のつまらないソバ屋でも、タネモノはダメとしても、カケなぞは、一応、食える家が、多少あった。庶民の一時の腹ごしらえに、ソバ屋ほど適当なものはなかった。私が最初に外国から帰った時に、ソバ屋へ入るのが、愉しみで、入っても、カケばかり食べた。名もないソバ屋では、カケを食うのが、一番だろう。
そのカケが、ひどくなった。ソバ粉なぞ、全然使わず、コンニャクの粉のソバを食わせるソバ屋があるというから、驚き入る。ソバ粉の払底と値上りが、ソバを堕落させたのだが、庶民も、ソバを見放して、シナ・ソバの方へ、親しんでしまった。その失地回復は、もう、見込みがあるまい。
戦後、ソバ屋がシナ・ソバを始めたことが、堕落の理由だというが、私は、関東大震災後、ソバ屋で天丼や親子丼を、商うようになったのが、第一因だと思う。ソバだけでは、儲からなくなったのだろうが、飯類に手を出すようでは、ソバに自信を失ったのである。その頃から、根底が揺らぎ、戦後の大荒れで、一たまりもなかったのだろう。
今では、東京で四、五軒の名店が、ソバを食う満足を与えてくれるが、ソバ屋なんてものは、道を遠しとせず、というべきものではあるまい。パリのキャフェのように、どの町にも、一軒あり、行きずりに飛び込んで、大して腹も立てずに、出てこれる、というようなことを望むのは、時世に反するのか。
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