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食味歳時記37

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:熟  す03 大根が太くなって、晩秋。昔は、十一月に初霜が降りて、畑の黒い土から、肥えた大根が首を出し、青い葉が、少し萎れ
(单词翻译:双击或拖选)
熟  す03

 大根が太くなって、晩秋。
昔は、十一月に初霜が降りて、畑の黒い土から、肥えた大根が首を出し、青い葉が、少し萎れたりするのを見ると、とても、日本的風景を感じたが、近来、陽気がおくれてきたし、近郊の農家も、土地の値上りを待つ間に、まァ大根でもつくって置こうという量見らしい。
しかし、関東の大根は、それほどマズいものではない。ちょっと、味に癖があり、大根臭さが強く、火の通りも悪いが、そこが、特色である。輪切りにして、水に放つというような、食い方をすれば、関東産が随一だろう。
それにしても、大根というものは、日本の食物として、不思議な重要さを持ってる。大根なんて、明日から無くなってもいいという、若い人は多いだろうが、まァ聞きなさい。大根ほど、日本的な味わいを持ってる野菜は、少いのである。そして、日本ほど、大根の食べ方の研究が、進んだ国もないのである。
フランスあたりにも、大根はある。しかし、料理は、スープ煮にして、ドミ・グラスかなんかで、食べるだけである。中国料理も同様、肉と共に煮るとか、炒めるとかする、程度だろう。大根の真味を生かした食べ方とは、思われない。
日本の大根の食法で、天才的なのは、タクワンだろう。あの食法の創始者、沢庵和尚という人は、シナあたりのマネをしたか、どうか知らないが、よほど、食物知識の優れた人にちがいない。大根という無味な野菜を、糠と塩の簡単な加工で、あれほど深い味を、ひき出すというのは、大した発見である。よく漬けられたタクワンの食べ頃の味というものは、やはり、この世のウマいものの一つである。末世の昭和商人が、有害着色料やサッカリンを用いて、世にもマズいタクワンを製造するのは、沢庵和尚の責任ではない。
もっとも、タクワン嫌いという若い人も、ずいぶんいる。外国人がタクワンの臭気を嫌うように、若い人も、鼻をつまんだりする。でも、臭気の強いチーズ、カマンベールの類なら、平気だという。しかし、どうだかな。タクワンも、カマンベールも、同質の味であり、両方ウマいと、感じなければ、超日本的味覚の持主と、いえないだろう。
しかし、タクワンは嫌いでも、べったら漬なら食べる、という人もいる。私なぞは、そうでもないが、秋が深くなり、お酉さまとか、べったら市とかいう行事の始まる、日本の季節感は好きで、それを味わう意味で、べったら漬を食べる。しかし、副食物としてよりも、厚く切ったのを、熱い番茶で、間食にするのは、悪くない。
私は、漬物のことを、よく知らないが、以前は、べったら漬を浅漬といい、その他に新タクワンと呼ぶものが、あったと思う。べったら漬ほど、甘くなく、おカズとして、適当だった。近頃、新タクワンをといって、買いにやっても、べったら漬のことですと、八百屋さんは、取り合ってくれない。
私は、子供の時から、タクワンは好きだったが、煮た大根は、どうにも、口にし難かった。微かな苦味と、特有の臭気が、堪えられなかった。肉類を煮た場合に、辛うじて、食べるに過ぎなかった。
しかし、二十代の半ばを、過ぎた頃から、風呂吹き大根の味を、覚えた。そんな年齢で、フロフキの味を、知るなぞ、ナマイキであるが、偏えに、酒をたしなんだお蔭である。飲酒の癖も、マイナスは多いが、それによって、食べものの幅も、味の深さも、啓明されたことは、明らかである。ことに、日本の料理は、酒を味わう舌によって、そのウマさを知る、因果関係があるようだ。酒量の多寡は、問題ではないが、酒に始まって、飯に終る順序に適うように、日本の料理は、できてるのだろう。私も、晩酌を始めるようになってから、急に、食べ物に対する眼が開け、従来マズいものと、きめてたものが、ウマいものの部に入るようになった。
フロフキなぞも、その一つだが、これは、母の縁辺に、フロフキの名人のいたせいもあろう。その人は茶人で、三河の国に住んでたが、非常にウマい、フロフキをつくる。一つには、三州味噌のいいのが、あるためだろうが、そればかりではないらしい。その人の直伝で、母がつくったが、それで、味を覚えた。夜寒の始まる頃に、熱いフロフキの純白の輪切り大根と、黒い味噌のトロリとした味は、絶妙であって、その時分から、私は日本料理の価値を、知るようになった。
やがて、中年になって、煮た大根の味も、解するに至った。最初は、鴨だの、猪だのの肉と、煮たのが、よかったが、次第に、カツブシだけの方を、好むようになった。その方が、大根の味が残って──つまり、大根臭さが消えず、それをウマいと思うようになったのだから、ほんとの大根好きになったのだろう。
そのうちに、最も大根臭い、キリボシまで、好物になった。キリボシの煮つけなんて、子供の時に、母親に食べさせられ、泣いたものだが、それがいうべからざる滋味を、感じさせるのである。ウマい、マズいなんていったって、アテにならない例である。
秋更けると共に、菜もウマくなる。
ホーレン草、小松菜、白菜──皆、味が出てくる。ナッパというと、日本の粗食の代表だが、新鮮なものを、あまり手をかけない料理で食えば、ずいぶん味がある。ただ、都会人は、イキのいいナッパが食えないのが、気の毒である。だんだん、人間が食いしん坊になっていくと、都会の狭い庭に、石を置き、松を植えるよりも、ささやかな畑にする必要が、切実に考えられるだろう。都会人こそ、新鮮な野菜を、要求するだろう。
白菜というものは、昔の日本になかった。私がその味を知ったのは、大正年間に、韓国の平壌で、名物の牛肉と共に、スキヤキの鍋に用いられた時だった。白菜と、あの地方独特のフィレ肉の味が、よく調和した。香の物の朝鮮漬にも、出てきた。私は異国味を感じたのだが、爾来五十年、日本で最もありふれた野菜に、なってしまった。
ホーレン草は、パリで、ずいぶん食った。ポタージュや、バタいためで、食べるのだが、パンによく調和した。ホーレン草に似た、スカンポのような菜も、よくお目にかかったが、この方は、アクが強かった。
日本の菜の料理には、ゴマを用いたものが多いが、脂肪を加えることによって、味が生きるからだろう。私は中国人の飯店の経営者に、惣菜料理をと頼んだら、山東菜の植物油いためを出され、非常にウマいと思った。また、台湾の前大使に、招かれた時も、公邸の食堂で、何かの菜のシンだけを選び、いためたものが出たが、美味であり、且つゼイタクな料理と、聞かされた。
�おひたし�というものを(私は好きではないが)、日本の女性は、わりと好むのは、ヨーロッパの女性が、生サラダをよく食うのと、一脈通じるのだろう。単なる美容食以外に、何か、生理的、心理的な要求なのかも知れない。ことによったら、女性というものは、根は気が優しくて、殺生を嫌い、菜食主義者ではないのか。血の出るビフテキなぞ、美わしの女神たちの食物ではあるまい。
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