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食味歳時記41

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:鍋04 鴨で思い出すのは、パリの銀塔亭《トゥル・ダルジャン》である。遠い昔から、パリにくる日本人は、そこの鴨料理と、プルニ
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鍋04

 鴨で思い出すのは、パリの銀塔亭《トゥル・ダルジャン》である。遠い昔から、パリにくる日本人は、そこの鴨料理と、プルニエの魚料理へ案内される例だが、両方とも、日本向きといえるのだろう。
私が最初に銀塔亭へ行ったのは、四十年以上も前で、その頃は、世紀末風の建築で、店の空気も、食器類も、古風で、重厚だった。
そして、問題の鴨料理だが、まず、色よくローストしたのを、銀盆に載せて、受持ちのボーイが、見せにくる。こんな焼け工合で、いかがでしょうというつもりらしい。無論、客は頷くだけで、文句はいわない。
その鴨を、今度は、チーフ・コックが現われ、車輪つきテーブルの上で、料理して見せるのである。まず、鴨のテバや胸の肉をおろし、それから、ソースづくりにかかる。アルコール・ランプの上の銀鍋に、鴨の血や、香料や、数種の酒を加え、ソースをつくる。小脇に、ナプキンをはさみ、両手にスプーンとフォークを持ち、慣れといいながら、手順よく運ぶ動作が、ちょっとイキなものである。
そして、そのソースの中で、鴨の肉をちょいと煮て、席へ持ってくる。確かにウマい。肉の適度の柔かさといい、ソースの味といい、立派なものである。
そして、客の食べ頃を、見計らって、ボーイが、お代りを、聞きにくる。前に、腿の肉を食ったのなら、今度は、胸の肉はいかがと、いう風である。現在の私なら、一皿で結構だが、昔は、お代りを辞さなかった。
そのソースづくりをやるチーフ・コックは、私の最初行った頃には、有名な料理人で、劇作家のイプセンそっくりの顔つきだった。私は、イプセンに『鴨』という名作のあったことを、思い出さずにいられなかった。そして、帰る時には、銀塔亭で、紀念カードをくれるが、それには、貴下の食べたのは、開店以来何万疋目の鴨であると、番号が入ってた。
ところで、この鴨料理の鴨は、ほんとをいうと、ホンモノではないのである。合鴨《アヒル》なのである。もっとも、日本人が勝手に、鴨料理と呼んでいるので、銀塔亭では、キャナール(合鴨)と、メニユに書いてある。もし、鴨を用いるなら、キャナール・ソーヴァージュ(野鴨)と、正体を示すだろう。
しかし、野鴨を用いては、この料理は、店の看板にならないだろう。野鴨は季節だけしか、手に入らぬ鳥だし、また、形の大小もあり、商売がしにくいにきまってる。そこへいくと、合鴨には、そういう欠点がない。また、フランス人は、合鴨を珍重し、始めから、それを食うつもりで、銀塔亭へくるのである。鴨でなければ、季節の詩情を味わえないというわけではない。
この鴨料理(アヒル料理)は、銀塔亭の専売ではなく、名ある料亭では、よく見かけた。しかし、銀塔亭のが、ウマかったから、評判になったのだろう。そのウマさは、ソースからきたのだろう。日本の大食通北大路魯山人は、銀塔亭へ行って、ソースの代りに、持参のミソや醤油をつけて食ったそうだが、つまらぬことをしたものである。
しかし、銀塔亭も、改築以来、店内の空気も、食器類も、新しくなり、かえって、昔日の権威を、墜したようである。日本人やアメリカ人は、相変らず食べに行くようだが、フランス人は、あの値段なら、他の店を選ぶだろう。
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