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食味歳時記43

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:米 の 味米の味というものは、非常にうまいのである。私は都会に生れたので、幼少の頃は、米の味がわからなかった。餅の味も、
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米 の 味

米の味というものは、非常にうまいのである。
私は都会に生れたので、幼少の頃は、米の味がわからなかった。餅の味も、わからなかった。飯も餅も、なるべく食わない算段をした。
ところが、三十歳ごろ、フランスで暮らしてるうちに、ふと、米の味がわかってきた。
こんなに、うまいものなのかと、私は驚いた。
パリで米の飯を食わすところは、日本人クラブの食堂か、中国料理店なのだが、どちらも、あまり上等な米を使っていない。ことに、中国料理店の方は、粗悪の米であって、おまけに、蒸気でフカす炊き方である。日本から来たての人には、口にできないような代物だったが、それでも、私は結構うまかった。フランス料理店では、パンは客の自由に任せてるが、中国料理店でも、飯は山盛りにして、テーブルに出し放しだった。それで、私は、四杯ぐらい食べることもあった。
その習慣がついて、私は日本へ帰っても、よく飯を食った。朝はパンとコーヒーだが、午食に日本風の朝飯——ミソ汁と暖かい飯を食わないと、気が済まなかった。その時が、一番、米の飯の味を、うまく感じた。そして、いつも、三杯半を平げた。つまり、腹一ぱい詰め込む感じを愛した。
そんな習慣を、私は三十年以上、続けたろう。その間には、戦争があり、腹一ぱい詰め込むことが、困難となったのは、いうまでもないが、戦後はまた、午飯三杯半を続けているうちに、私は胃潰瘍になり、手術を受けた。
そういうと、どうも、私が米飯を大食した結果、胃病になったように、聞えるが、それは、事実無根である。同じく米に関係はあるが、酒の過飲が原因であることは、当人が身に沁みて、認識してる。
手術の結果、胃袋が小さくなった。少くとも、腹一ぱい飯を詰め込んだら、切って縫ったところが、ホコロびる恐怖があって、私が飯を沢山食わなくなったことは、事実である。
そして、戦後の新風潮として、米飯の蔑視が始まった。それを私は、一種の反米運動として、書いたことがあるが、米を食えば頭が悪くなるとか、栄養が不足するとか、学者が宣伝する一方、米の飯なんか、いつまでも食っているのは、野蛮であるというような風潮が、主として、都会人、知識人の間に、起ってきた。
私は、飯が沢山食えなくなったのだから、その風潮に、便乗すればいいようなものだが、因果なことに、その時分——初老に達してから以後に、特に、米の飯がうまくなってきたのである。外国へ行って、米の飯の味を覚えたが、今度は、それどころではない。実に、うまくて、うまくて、最上の美味としか、思えないことになった。
そこで、私は、米の飯に対する考えを、変えることにした。つまり、それを、主食と考えないのである。おカズと考えるのである。こんな、うまいものを、主食としたら、大変である。米の飯は、美食の一つとして、少量を摂取すればよろしい。口舌を陶酔させる食物と、考えればいい。
そのようにして、私は午食に一杯、夕食に半杯の米を食うことで、満足してるのだが、ほんとをいうと、もうちっと食いたい。でも、消化力の減退を考えると、そうもいかないのだが、美食として米を食う以上、飯のうまさを、あくまで味到できるような工夫が必要だと、思うようになった。
それには、いい米をうまく炊いて、飯の味を最大限に生かすおカズを、選択することである。
ここで、困難なのは、いい米の入手である。供出制度の悪弊で、農家は量産のきかない米をつくらない。いい米とは、少ししか穫れない米なのである。でも、量産米のうちでも、多少の格差はあるから、比較的いい米で我慢して、炊き方も、薪だの、カマドだのと、面倒なことをいわない。ガスで結構ということにする。
それで、普通に炊けた飯を、さて、何で食うか、というところに、問題がある。
スキ焼がいいとか、マグロの刺身がいいとか、天丼、ウナ丼という説も、あるだろう。
そのどれも、米の飯によく合うのは、わかってるが、でも、飯の味を主体にして、それを最大限に生かす、という食べ方ではない。
まず、ミソ汁。これは、米の飯の伴侶として、欠くべからざるものだろう。これも、いいミソで、うまくつくらねばならないが、その次ぎには何となると、私は、漬け物を選びたい。
沢庵がいい。だが、ほんとにうまい沢庵を、店舗で買うことは、もう不可能である。農家の自家用でも、分けて貰う外はない。しかし東京へ持ってくれば、味が変ってしまう。
われわれに可能なことは、わが家のヌカミソに頼ること以外にないが、何が最も適当かとなれば、ナスを推す。
ナスは季節の制限を受けるのが、残念だが、いいナスを、うまく漬けることができたら、これは、米飯の味を生かす最上のものとなるだろう。私の独断ではない。米どころのお寺の坊さんから、啓示を受けたのである。
ミソ汁と、ナスの漬け物と、それだけあれば、充分である。どうしても、他に一品というのだったら、良質の海苔ぐらいにしとく方がいい。そういう淡味で、簡単なおカズでないと、米の味は生きてこない。何しろ、少量の飯を、いかにして、うまく食うかという課題の下には、苦心を凝らさねばならぬが、私は上述の結論を得たのである。
もっとも、そんなものを食ってると、栄養の点で、医者から文句がくるだろうが、一向かまわない。年中、食うわけではない。真の美食というものは、毎日口にしてはならぬものである。
新米の出始めの頃には、まだナスもあるから、その時分に、ちょいと食えばいい。それでも、文句をいう医者があったら、ヤブにきまってる。
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