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食味歳時記44

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:魚 の 味私は子供の時に、決して、魚好きではなかったのだ。魚の臭いが、どうにもイヤであった。つまり、西洋人に似てるのだが
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魚 の 味

私は子供の時に、決して、魚好きではなかったのだ。魚の臭いが、どうにもイヤであった。つまり、西洋人に似てるのだが、今の日本の子供だって、大体、同じである。今の子供は肉を好み、魚を嫌う。それでも、フライやバタ焼にすると、食うところを見ると、魚の味よりも、臭いを嫌うのだろう。
魚の臭いは西洋人にとって、よほど難物らしい。洋食のコースで、魚のナイフとフォークを別にするのは、その表れであるが、日本へきた彼等は、卵も、豚肉も、魚臭くて困ると、いってる。鶏や豚の飼料に、魚のハラワタなぞ用いると、魚臭を生ずるらしい。私たちには、気づかぬことだが、彼等は、ひどく敏感である。
それでも、パリあたりには、魚専門の料理店もあるから、彼等が、全然、魚の味を解さないとは、思われない。もっとも、そんな店へ行って、彼等の註文するものを見てると、カキだとか、エビだとか、魚臭の少いものが多い。
フランス人の家庭では、カトリック教徒の習慣で、金曜日が精進日であるが、精進といっても、肉を食わないだけで、卵や魚を食う。パリでは、魚は肉より安いから、主婦はこの日は、家族に魚料理を食わせたがる。それに悲鳴をあげるのは、子供たちである。母親に叱られながら、ベソをかいて、鱈のムニエールか何かを食べてる。よほど、マズいらしい。
フランスの子供が魚の次ぎに嫌いなのは、麺類であって、スパゲッチ、ヴェルミセールといったものの料理は、しかめ面をする。一つには食べにくいからだろう。でも、野菜類は、日本の子供より、むしろ好きである。野菜が好きなので、栄養のバランスがとれてるのだろう。
ドイツヘ行くと、魚を、食わず嫌いという人が多い。ベルリンは海が遠くて、魚を食う習慣がないのだろう。私はあるドイツ婦人が、パリへきた時に、食事に案内したが、その時に、エビのボイルを註文したら、気味悪がって、しばらく手を出さなかった。聞いてみると、生れて初めて、エビを食膳で見たというのである。ゼイタク料理店のショー・ウインドでは見たが、食うのは初めてだというのである。試みに、食って見ろとすすめたら、彼女は怖々、口に入れて、思ったほど、マズくないと答えた。
ベルリンにいる間、私は一度も、海の魚を食わなかった。でも湖や沼からとれた淡水魚は、古くないと思ったから、食べた。珍味だと思ったのは、ウナギの燻製である。ウナギといっても、丸太棒ほど太く、燻製といっても、ひどく油気の多いものだったが、それを輪切りにして、レモンをかけて食べると、なかなかの味であり、ビールの肴によろしい。でも、日本のカバヤキを考えると、ウナギの味を生かしたものとは、思えなかった。
西洋のウナギといえば、イギリスによい品物があるという。ロンドンの日本料亭の職人が、こんないいウナギは、日本にも少いといって、大変うまいカバヤキを、食わせたというが、英国人は、ウナギをシチューにして食うらしい。そして、日本人には、一向にうまくない料理らしい。
私がロンドンへ行ったのは、エリザベス女王の戴冠式の時だから、もう、日本料亭が廃業していて、カバヤキを食うこともできなかった。ウナギのシチューは、まずいにきまってるからこちらから敬遠した。
しかし、イギリスの魚で、絶対に、うまいものが、二つあるのを発見した。一つはドーヴァー海峡のソール(舌平目)であり、もう一つは、鮭の燻製である。
ソールはパリでも、相当のものが食えるけれど、鮭の燻製の方は、まったく他地に比を見ない。近頃は、日本でもやってるナマ燻製であるが、鮭が大きいのか、薄切りにした肉片が、大変なハバである。それに、レモン汁をかけて食うのが、一番うまい。また、肉の色の鮮かさも、食欲をそそる。戴冠式の済んだ頃に、日本の新聞の連中と、私室で酒盛りをしたが、その時の肴に、鮭の燻製を、誰かが買いに行った。五人分ぐらいで、邦貨一万円に相当したといって驚いて帰ってきた。今では、もっと値が上ってるだろう。それほど、高価なものらしい。
その時に、皇太子が陛下の御名代で、ロンドンに来ていたが、一度、日本大使公邸で、殿下に食事をさしあげる会があった。殿下は、ライス・カレーとスシが、お好きということで、料理番もその用意をした。スシの方は、マグロの代りに、鮭の燻製を厚切りにして、用いたということだったが、殿下も、列席者も、舌鼓を打たれたということだった。それは、マグロの代用というよりも、独特の風味があったからだと思う。とにかく、イギリスの鮭の燻製は、塩分が少いし、その上、あの美しい紅色を呈してるので、立派に、スシ用になると思う。銀座の高級スシヤさんは、真似をして、高価を要求したらいい。
でも、ヨーロッパに、マグロがいないことはない。そして、決して、マズいマグロではない。私はパリの日本大使館の夜食に招かれ、日本料理のご馳走になったが、日本を出てから、まだ一週間目ほどで、あまり和食の欲望を、感じなかったのに、マグロのサシミだけは、まったく美味だった。隣席の大使夫人に、そのことをいうと、地中海のマグロが、その頃(五月)には、シュンなのだという話だった。もっとも、本マグロではなく、キハダであったが、あんなにうまいキハダは、日本でも滅多に食えないと思った。
その晩の給仕は、男と女のフランス人ばかりだったが、代々の日本大使に仕え、和食のディナーにも、慣れてると見えて、日本酒の酌をしてくれる手つきも、上手なものだった。ただ、エンビ服を着て、お銚子を持つ姿は、よほど滑稽だった。
フランスのマグロのうまさは、その時初めて知ったのだが(もっとも、近頃は、日本の漁船が地中海まで、マグロ漁に行くようだが)フランス人は、あまり食わぬようだ。大体、フランスの魚は、日本よりマズいといえる。鯛なぞは、もっともマズいが、その代り、値段も安い。鱈の方が、少し高いだろう。でも、日本人は鯛好きだから、パリの日本料理店ではよく使う。シナ料理店でも、丸揚げなぞに使う。一時、大学街のシナ料理店で、鯛のさしみを出したことがあった。日本人の客が多かったからだろう。そのサシミは、いつも鮮度が悪く、それにシナ醤油を使うので、一向にうまくなかった。
フランスの魚で、日本に匹敵するのは、鯖であろう。鯖をムニエールにして、食うのだが、さすがにフランス人のことだから、食い方を心得ていて、ひどく熱いうちに持ってくる。熱いうちなら、そう魚臭はない。味もフランスの魚に珍らしく、小味である。
しかし、フランスの魚介類の中で、最上のものは、カキだろう。これは日本よりずっとうまい。第一、何ともいえない芳香がある。そしてカキの種類も多い。日本だって、種別はあるのだろうが、好みによって註文する風習はない。形の大小、肉づき、色が、種類によってちがい、従って、味もちがう。
秋が深まると、パリの料理店では、カキをメニユに加えるが、普通の店でも、三種類ほどのカキを用意してる。客は好みによって、註文するのだが、普通、一ダースは食う。最低でも半ダースである。カラつきの生ガキだから、一ダースだと、皿一ぱいになる。それに、レモンを絞って食べる。日本では、ケチャップだの、西洋ワサビだのを添えるが、私はレモンだけで食べるのが、一番うまいと思う。フランス人も生ガキにレモンはつきものと心得てる。そして、カキの身を食べてから、カラに残った汁を吸うのも、フランス人の習慣である。また、生ガキの時は、必ず、白ブドー酒の冷えたのを飲む。実によく調和する。
フランス人がカキを食うのは、生の場合に限るようである。ポタージュやグラタンに使う場合も、ないではないが、何といっても、生で食うのが一番うまいのを、知ってる。そして、カキ・フライというものは、絶対に、フランス料理ではない。カキ・フライは、どこの国から、日本へ伝わってきたのだろうか。
貝類で、カキに次いでフランス人が好むのは、カラス貝だろう。日本にもカラス貝はあるが、フランス産の方が小振りのようである。あれを、日本のシジミの吸物のように、スープで煮て、貝ごと皿に盛る。スープのコースの時に食べるのだが、貝の中の身を食べるのに、スプーンやフォークでは、役に立たない。女性も気取っていられないから、貝をつまんで、口ヘ持っていくのである。一体、フランス人は、イギリス人より、テーブル・マナーが寛大であり、ロースト・チキンの骨を持って、噛ったところで、不行儀にはならないのである。
フランスも南の方へいくと、ずいぶん貝を食べる。ハマグリを、生で食べるし、ウニなぞも賞味する。ウニもカラごとテーブルに出すが、カラをひっくりかえすと、裏側にトゲのない、白い場所があり、そこから小さいスプーンを入れて、身をすくい出す。無論、生であって、味も日本のウニとまったく変らない。
 私は子供の時に、魚が嫌いだったと、前に書いたが、魚もなかなかうまいものだと知ったのは、中学二年生ぐらいだった。
その年の夏に、私の家では、片瀬と鎌倉の間の腰越の漁師の家を借りた。その頃は、片瀬も腰越も、まったくの漁村であって、旅館なぞは一軒もなく、海水浴客は漁師の家を借りて、一夏を過すのが例だった。
少年の私は、家族と共に出発するのが、待ち切れず、第一日の朝早くから、弟と共に漁師の家に出かけ、すぐ着物を脱いで、海水浴を始めた。ところが、午飯頃になっても、母親たちが到着しなかった。泳ぎの後で、腹は減ってるし、大いに困った。すると、漁師のおかみさんが、気の毒がって、午飯をこしらえてくれたのである。
それは鰈《かれい》の煮つけと、タクワンと、炊き立ての飯だけの食事だった。魚は嫌いだったから、イヤイヤ食って見ると、驚くべきうまさだった。魚とはこんなうまいものかと、驚倒するくらいだった。
私は空腹だったので、うまいと感じたのは、いうまでもない。しかし、決して、それだけではない。海からとれたばかりの鰈の味が、非常によかったからである。それを、少年の私の舌が、味わったのである。子供なんか、味がわかるものか、という人があったら、飛んでもないことである。現在、私の家にも少年がいるが、うまいものとマズいものは、実にハッキリと味わいわける。それより見事なのは、猫である。猫のくせに、魚の新鮮なもの、本場もののうまさを、チャーンと知ってる。いい魚の時は、食い方からしてちがう。
人間は本能的に、もののうまさを知ってるので、食通なぞが威張るのは、滑稽なほどである。うまいものは、うまいのである。ただ、本来の味覚が悪い影響を受けて、堕落することはあるが、それは人間が大人になってからのことである。
とにかく、私は腰越の漁師のおかみさんによって、魚のうまさを教えられ、それからは、魚の料理にも手を出すようになった。といっても、中年に達するまでは、肉類の方に魅力があった。中学時代は、肉と魚と、五分五分の嗜好だった。
でも、老年に達してからは、魚が主となった。一週間のうち、肉を食べるのは一回ぐらいで、後は魚ばかりである。味もうまいし、その方が、体の調子もいい。フランスに生れて、魚ばかり食わされたら、やりきれないが、日本に生れた恩恵を、感謝してる。
しかし、その恩恵も、東京に住んでたら、百パーセントに、受けられるか、どうか。私は海浜の大磯に住み、また、東京の赤坂に住む経験を持ってるが、魚を味わって見て、ずいぶん懸隔を感じるのである。
東京の魚を、一概に古いとはいえない。赤坂なぞは、ずいぶん良心的な魚屋があって、御用聞きが持ってくる品書きのものなら、全部が腐敗から遠いものと、いっていい。その上、大磯とちがって、日本の全国から集まってくる本場ものの数が多く、ヴァライティに富んでる。
しかし、味の点で、何か物足りないのである。例えば、サシミを註文する。マグロ、鯛、平目、カンパチ、シマアジ、何でもある。でも、私には、一人前がどうしても、食べきれない。何か一本、欠けてるものがあって、味が単調で、飽きてしまうのである。
ところが、大磯へ行くと、一人前をきれいに平らげるのである。しかも、魚の種類は、大磯の方が少く、かつ下魚である。土地の漁師が土地の海でとってくるのだから、本マグロなぞはない。せいぜい平目ぐらいだが、赤坂の魚屋の平目と、まるでちがう味がする。その他、イナダとか、ワカナゴとか、価格の安い魚のサシミだって、なかなかイケる。
私は大磯へくると、土地の魚しか食わないことにしてるが、アジだって、サシミにして食うと、初夏の頃は、実にうまい。その他、何でもサシミにして貰って、食って見る。エチオピアとか、バクチウチなぞという奇名を持つ魚も、サシミで食った経験があるが、なかなか結構である。
その中で、最高の味は、ヤガラという魚である。体の半分がクチバシのような、奇型の魚だが、魚屋が中気の予防になるから、食って見ろというから、試みてみたら、非常な好味である。サシミにしてもいいが、チリがうまい。雪のような美しい身で、味は淡泊のうちに、滋味が深い。
私はヤガラなんて下魚と思ってたら、ある本を読んで、宮中料理に用いられる祝儀魚と知って、驚いたことがある。まず、大磯の海でとれる魚で、これが最高であるが、一年のうちに算えるほどしか、漁獲がない。土佐では、沢山とれるという話を聞いたが、一度行って、存分、食べて見たい魚である。
もう一つ、大磯の海の珍味は、カキである。大磯海岸は、岩礁の部分があって、そこで獲れるのだが、一種の奇型のカキである。普通のカキの十倍ぐらい大きい。そして、食べる時季も普通のカキとちがって、夏である。私も最初は気味が悪く、食べる勇気がなかったが、人に薦められて、酢ガキで試みた。磯の香が、非常に高く、なかなか美味だったが、何分、大きいので、一つ食うと、もう結構だった。まるで、柔かい鮑《あわび》を、一つ食べたような気がした。要するに、カキのバケモノであるが、冷蔵庫でよく冷やして、酢も冷やして、食べるのが、コツだと思った。そして、生で食べるのが、一番であり、一度、フライにして見たが、カツレツの感じになった。
普通の魚では、アジがうまい。ことに、五、六月ごろの大磯のアジ──小アジは、逸品である。酢のものにするのが一番だが、魚屋は、サシミにして、持ってくることもある。そのサシミが、大変うまい。もっとも、ワサビよりも、ショーガの薬味の方がいい。
ところが、そんなうまいアジがあるのに、大磯のスシ屋は、アジを使わない。わざわざ、他地の魚市場へ行って、コハダを仕入れてくる。なぜ、そんなばかなことをするのだと、スシ屋のオヤジに聞いて見たら、大磯の町の人は、アジなんて軽蔑して、食べてくれないのだという。それなら、私の家では軽蔑しないからといって、特に註文して見ると、やはり、うまい。小田原にはアジのスシを看板にして、流行してるスシ屋があるが、大磯のスシ屋は、一種の舶来品崇拝家なのだろう。
大磯のカンパチもうまいので、私は曾て『自由学校』の中で、それを書いたことがある。それからカマス、キスも、悪くない。以前は、キスがよほど獲れたと見えて、大磯の有名なカマボコ屋では、そればかり材料に使ってた。軽くて、独特の味があった。でもこの頃は、そうもいかないようである。私は大磯へくると、魚ばかり食ってるが、魚屋の持ってくる品物は、五、六種の場合が多い。私は土地で獲れた魚しか食わないので、どうしても品数が少くなる。昨日もアジ、今日もアジということもある。だから、細君に料理を変えて貰わねばならない。そして、冬になって海が荒れると、漁船が出ないから、魚が皆無という日もある。
それでも、私は大磯の魚が好きである。ここで、赤坂あたりの魚屋の持ってくる魚と、大磯の魚を比較せねばならないが、単に鮮度ということを問題にしたら、ほとんど変らないのである。しかし、東京の魚は、何かが欠けてるのである。
東京のいい魚は、漁場から氷詰めにして、冷蔵庫に載せられて、魚河岸へきて、それから、魚屋が店へ持って帰って、すぐ冷蔵庫へ入れるから、昔のように腐敗の心配はない。見たところ、ずいぶんイキがいい。それでいて、大磯で食べる獲れたての魚と、大変、味がちがうのである。
どうちがうかというと、匂いである。獲れたての魚を、生で口に入れると、いわゆる磯臭さとちがった、一種のいい匂いがある。あれが、東京の魚にない。その他、触覚の問題もあるだろうが、ただ硬ければ新鮮というわけではないらしい。
その匂いと、触感のよさも加わって、何か、魚の真味というようなものを、感じさせる。それが魅力なのである。
私も大磯にばかり住んでいた頃は、そういうことを感じなかったが、東京の生活をして見ると、ハッキリと差異を知るようになった。そして、その問題を、大変、面白く思うのである。
東京には全国の本場物の魚が集まる。
関西料理に使う魚は、飛行機で関西から送られる。九州の有明湾のムツゴローなんて魚でさえ、飛行機で送られて、一応の鮮度で東京人の口に入る。交通の発達と、冷凍技術の進歩のためである。従って、そういう費用のために、東京のいい魚屋の魚は高い。しかし、いくら高くても、ほんとにうまい魚が食えるのだったら、東京人は日本一の果報者なのだが、そうはいかない。
いくら金を積んでも、できないことだってあるのである。私が大磯で獲れたてのアジのサシミで、味わうような満足は、東京人には不可能なのである。やはり、海の近くに住む者だけが、海の幸に浴すことができる。それでいいのではないか。その代り、大磯には映画館は一軒もないし、ロクな本屋もない。不自由な生活は、我慢しなければならない。
誰も彼も、東京に集まる世の中だけれど、海浜に住む人が、魚の真味を味わう幸福を考えて、東京移住を見合せるという世の中になったら、面白いと思う。四面環海の日本では、東京への人口集中がよほど避けられると思う。
味覚の幸福を、それだけ尊重するようになったら、日本人も文化的国民の名に値いすると思われる。
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