近ごろは、おふくろの味ということが、流行文句になってるが、多くは結婚した男性が、そういうことをいうのである。
母親が幼時につくってくれた料理が、美味だったというのは、一つの母恋いであり、その母親がすでに亡い場合、一層、誇張の傾向をとる。
しかし、一面から見れば、多くの亭主が、現在、細君の料理に不満だという証拠にもなる。今の細君の家庭料理は、大体、婦人雑誌が載せる料理と一致し、洋風や中国風が多く、亭主は無意識のうちに、国粋運動を起してるのだろう。また、味つけの点でも、近ごろの家庭料理は砂糖味が強くなり、少し酒でも飲む亭主は、やりきれなくなってるのだろう。
昔、おふくろのつけた味は、今と大いにちがうし、料理法も材料も質素なもので、つまり、昔の日本の惣菜である。それが、懐しくなるのである。亭主というものは、本来、保守的であり、そういう傾向をとるのは、自然だろう。しかし、細君とのケンカは、免れない。まず、細君が初老の年になるまで、待つよりしかたがない。
私の細君は若くないから、彼女自身がおふくろの味を作り出すが、オカラの製法だけは、私のおふくろに及ばないようだ。
オカラなんて、かくべつの料理法を要さないが、オカラは煮るのではなく、煎るのだから、手間はかかる。三時間ぐらいは、気長に、煎らねばならぬだろう。急ぐと焦げて、臭くなるから、忍耐と注意が肝心。つまり、心をこめて鍋に向わねばならぬが、これが今の奥さんには、ニガ手なのだろう。
東京のオカラは、サラッとしたところが、身上であるが、この間、京都へ行ったら、有名な小料理屋で、オカラのオジヤのようなものを食わせた。何でも京都のほうが、料理は上だと思ったら、まちがいである。
手間をかけなければ、うまくない料理は、たくさんあるが、おふくろの味というものは、たいてい、そのような料理法から生れるようだ。