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食味歳時記48

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:桃人魚を食えば、若くなるとか、死なぬとかいうが、仙界の桃を食っても、同様の効果があるという。しかし、人魚も、仙界の桃も、
(单词翻译:双击或拖选)

人魚を食えば、若くなるとか、死なぬとかいうが、仙界の桃を食っても、同様の効果があるという。
しかし、人魚も、仙界の桃も、共に求め難い。第一、仙界なんて、どこにあるのか、誰も知らない。昔のシナでは、仙界のことが信じられてた。ほんとに、存在してたのかも知れない。
そういえば、桃という果実の感じは、多分に中国である。キャリホルニア産の桃の缶詰なぞ見ても、そんな気は起らない。現在、わが国で市販してる水蜜桃を見ても、一向、仙界の連想を誘わない。
でも、私の若い頃、まだ、日本種の桃を、売ってた。日本種といっても、シナから来たからだろうが、その形は、頭が尖り、割れ目が深く、紅と淡緑色の外皮を扮ってた。つまり、桃太郎の絵の桃なのである。しかし、果肉はガリガリして、水気も、香気も乏しく、決して、うまくなかった。形も貧弱で、値段も安かった。
そのうちに、天津桃というのが、店頭に列び始めた。これは、明らかに、シナ種であって、果皮も、肉も、濃いクリムソンで、形も大きく、日本桃より味がよかった。しかし、水分は少かった。
洋種の水蜜桃の出現は、その後であるが、私は十七歳頃に、四国へ旅行して、途中、岡山の駅で買った水蜜桃が、非常にうまかったのを、記憶してる。今でも、あの地方の白桃は、優れてるが、私の少年の頃から、栽培研究した賜物だろう。東京の附近では、茅ヶ崎が桃の産地で、ヨネ・ノグチ夫人の米人が、在住してる頃に、遊びに行って、帰りに、水蜜を一箱買ってきたことがあった。それも、昔の話で、今の茅ヶ崎は、家ばかり建って、桃園なぞは、まるで見当らない。
水蜜桃は、まことに結構であるが、食べる時だけの話である。見たり、感じたりする点では、昔の日本桃に及ばない。
日本桃を、もう一度食べたいとは、思わないが、形は美しかった。あれを器に盛って、飾りものにして見たい。青春を呼び返す効力も、少しばかりあるかも知れない。
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