銅の鍋というものは、日本でも西洋でも料理の職人が使い、素人は敬遠するが、恐らく、手入れが厄介だからだろう。
でも、よく磨かれたアカの大鍋なぞ見るから、うまい料理を連想させる。
私の子供の時のことを考えると、まだ、アルミ製品は少かったが、鉄鍋が多く、タマゴ焼の道具だけが、銅製だった。でも、その他に、アカの小さな鍋があり、それは、私専用だった。
カルメラという菓子をつくるための鍋である。カルメラは、カルメラ焼とも呼び、砂糖ばかりでつくるのだが、勿論、これはキャラメルの転訛だろう。外国では、キャラメルといえば、例の菓子のことではなく、砂糖を焦がしたものの意味である。
その銅製の小さな鍋に、昔はザラメ砂糖三分の二と、黒砂糖三分の一くらいを加え、長火鉢の火の上で、熱すると、べッコー色の飴になる、その頃合いを見て、小さな棒の先きに重曹をつけて、かき廻すと、三倍くらいに膨れ上ってくる。その時に、鍋を火から降すと、カルメラが一丁上りということになる。
ところが、その手加減がむつかしい。ことに、私は不器用であって、成功したことは、十回に一回だった。重曹を入れて、膨れ上らせるまでは、誰でもできる芸当なのだが、それから先きがむつかしい。どうむつかしいのか、今もって会得できないのだが、とにかく、切角、膨れ上ったものが、また、シュンと萎《しぼ》んでしまうのである。
失敗したカルメラも、食べれば食べられないことはないが、固くて、独特の歯ざわりがない。第一、カルメラの形を成さない。
しかし縁日へ行って、カルメラ屋の前に立つと、そこのオジサンの手際は、見惚れるほどだった。勿論、一回だって、失敗しない。そして膨れ上ってきた時に、紙のコヨリを、ちょいと挿す。カルメラは軽くて、壊われ易いから、携帯に便なように、そんなことをする。それでも、手順が狂わず、失敗もしないのは、まるで神業のように見えた。