亡くなった山本為三郎氏は、私の知る範囲で、最も食べ物の味や知識に通じた人だった。和洋の食べ物のどちらも、食べわけるし、本格とゲテの両方の味を知ってた。生まれつきの食通なのだろう。谷崎潤一郎もずいぶん食いしん坊だったらしいが、山本氏ほどに広くなかったろう。
しかし、私は故人の洋酒道楽に、最も感心してる。外国の金持には、珍しからぬことだが、日本人であれほど、古酒美酒を貯えた人はないだろう。ありとすれば、昔日の宮内省ぐらいのものである。
何でも若い時から洋酒を研究して、よき年代のブドー酒なぞを取り寄せ、地下室に貯え始めたらしいが、私はその数本を、味わわせてもらったことがある。
一番驚いたのは、シャンパンである。戦前から貯蔵の一本を抜かれた時に、私は何の期待も持たなかった。シャンパンなんて泡が立って、景気のいいうちに飲むべき酒と思ってたからだ。そしてグラスに注がれたのを見ると、すっかり気が抜けて、色も飴色に変わっていて、いかにもマズそうだった。
ところが、一口飲んで見て驚いた。こんなウマい酒は、生れてから飲んだことがないのである。それはシャンパンの味ではないが、さりとて白ブドー酒の古酒の味ともちがう。何とも言えぬ独特の気品ある味だった。こうしたシャンパンの飲み方があると知って、私は浅学を恥じた。
故人はよほど洋酒のことを知ってたらしいが、自分は飲酒家でなかった。酒の味はよくわかるらしいが、自分では飲まないのである。酒の好きな人に飲ませるのが、愉しみだったらしい。そういうことをハイカラというのである。
私は同じ年の氏の死が寂しいが、このハイカラな人を失ったことが、もっと寂しい。追憶の一言を、述べざるを得ない。