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食味歳時記64

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:中 華 街この間、久しぶりに横浜の中華街へ行って見て、キレイになったのに驚いた。正直なところ、中華街なんていっても、私に
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中 華 街

この間、久しぶりに横浜の中華街へ行って見て、キレイになったのに驚いた。
正直なところ、中華街なんていっても、私にはピンと来ない。横浜生まれの私には、ナンキン町といい慣れてる。敗戦後はシナもナンキンもいけないことになって、昔の名称を書いては、慌てて消す始末である。
昔のナンキン町には、独特の臭気があったが、今は大変衛生的である。その上、近代的建築になって、銀座あたりと変らぬ冷暖房完備のキレイな料理店が、大部分である。アメリカあたりの中華料理店は、きっとあんな風だろう。まったくナンキン町だの、シナ料理だのといっては、申し訳ないようなものである。
でも、そのキレイな店に、あまり人がはいってない。昔ながらの汚い店が、二、三軒あるが、そういうところは、一ぱいの入りである。横浜人は実質主義なのだろう。
私のナジミの店も、その汚い方の一軒である。そこの主人はもう老人で、ナンキン町時代に有名だった聘珍《へいちん》楼のチーフ・コックだった。この老人は料理も上手だが、実に人間の堅い男である。十数年前に私が小説の中で、この店のことを書いたのを、徳として、今だに仲秋月餅だの、中華風ソーセージなぞを届けてくれる。息子や娘が結婚すると、招待状まで寄こす。
そのくせ、日本語が不得手で、会っても、人相のいい顔で、ニコニコ笑うだけである。息子や娘は日本人以上に能弁なので、その通訳で話をするのが常。
この間行った時にも、私の帰りを主人老夫婦が待っていた。細君も年をとり肥って、見るから太々《たいたい》然となったが、二人とも幸福そうだった。相変わらず話はできず、握手するのみで別れたが、あのような中国人がいるので、いよいよナンキン町が——いや中華街が、好きになるのである。
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