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食味歳時記62

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:愛 茶 弁家で飲むコーヒー、紅茶、緑茶のうちで、それほど愛用しないのは、紅茶である。恐らく、入れ方をよく知らないせいだろ
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愛 茶 弁

家で飲むコーヒー、紅茶、緑茶のうちで、それほど愛用しないのは、紅茶である。恐らく、入れ方をよく知らないせいだろう。ロンドンで紅茶を飲んだ時には、うまいと思ったことが何度もあり、イギリスの婆さんに、入れ方もよく教わってきたのだが、もう忘れた。ただ、ミルクをあとから注いではいけない、先にするのだということだけ、覚えてる。
私はもう三十年以上、朝のコーヒーを飲んでるが、一向に飽きない。しかし、コーヒーとパンの食事を済まし、新聞を読み、さて仕事にかかろうとする時に、必ず日本茶——緑茶が飲みたくなる。どうも、そうしないと、仕事にかかる気分のクギリがつかない。
煎茶の苦味というものが、やや、精神的だからだと思う。サッパリした気分を誘うのである。しかし、やや精神的な味を出すために、茶を入れるのは、人手に任せられない。濃過ぎても、淡過ぎても、そういう味は出ない。仕方がないから、自分でやるほかはない。
ところが、旅行をして、宿の女中さんのいれるお茶は、文字通り滅茶である。ドビン一杯湯を注いで、ガーッと出す。京都あたりの宿で、年増の女中だったら、時に例外を見いだすが、あとは全部滅茶党である。つまり、今の若い女性は、日本茶に興味を失ってるのである。お茶なんて、どっちにしたって、うまくないものと、きめてるのである。
あの連中が主婦になる時のことを考えると、おそらく日本茶の嗜好は滅びるのではないか。近ごろの茶舗は、インスタント・コーヒーも売ってるが、今にコーヒーと紅茶だけの店になるのではないか。
ちょっと惜しいと思う。シナから輸入して、より以上の立派な茶に仕上げたものであり、あのやや精神的な味は、これからの日本文化にも、貢献させなければならない。小学校で茶の入れ方を、教えたらどうか。
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