一月の十一日に、正月のオカガミ(供え餅)を実にして、汁粉をつくる習慣があるが、もうあまり行われてないだろう。
第一、お供え餅を飾らない家が、多くなった。私の家なぞ古風だから、まだやってるが、それでも、昔の半分の大きさもない。家の者が、大きい餅だと、後の始末に困るといってる。オカガミ開きの汁粉に使う分量は、知れたもので、後は水餅なぞにするが、カビくさくて、うまいものではない。オカガミの小さいのは、貧乏たらしいといって、大きさを競う風があったが、後の処分を考えると、そんなこともいってられない。
それに、日本の都会人は、だんだん餅が嫌いになってくのではないか。昔は子供が喜んだが、今はあまり食いたがらない。私は逆で、子供の時に餅を好まず、人となってから、味を解したが、もう沢山は食えなくなっていた。友人のうちでも、小林秀雄君なぞは餅好きで、かなりの分量を食うようだ。鈴木信太郎君も餅好きの上に餅通で、どこの餅米でなければ食うに値しないというようなことを、よくいってる。二人とも、フランス文学系で、酒好きだが、餅も好きらしい。世間では、酒と餅を両立しないもののようにいうが、事実としては、そうでもないようである。
私が子供の時に、オカガミ開きを喜んだのは、餅は嫌いでも、汁粉が好きだからだった。家庭でつくる汁粉は、砂糖がきかず、形状もゆで小豆に近いが、何ばいもお代りができるのが、魅力だった。十ぱいぐらい、食ったこともある。
正月の天候によって、オカガミは青カビが生える時と、乾《ひ》割れて、石のように堅くなる時とある。どっちにしても、うまい餅の姿ではないが、今年は、どうやら後者らしい。あの堅い餅を、上手に焼くと、新しい餅よりもうまいと、いう人もあるが、こっちは入れ歯をこわさない用心が、先に立つ。