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食生活を探検する01

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:アフリカ・チョンガーたちの食生活 大きなカスバのあるようなアフリカの都市には、日本の商社の駐在員が数人はいる。たった数人
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アフリカ・チョンガーたちの食生活

 大きなカスバのあるようなアフリカの都市には、日本の商社の駐在員が数人はいる。たった数人だが、あつかっている仕事は大きい。ある人は、その国の自動車の五分の一を売っている。ある人は、その国へ入るラジオの半分をとりあつかっている。あとの半分のトランジスタラジオは、別の日本人が輸入している。あるいは、一国の学校の生徒の持つビニール製の手提カバンを、全部まかなっている人など。
たった数人だが、この人びとのとりあつかう商品は国のすみずみにまであふれ、一般の民衆は、ラジオや自動車を通じて日本を知っている。大きな商売をしているが、皆若い。二十代から、三十代の人が多い。独身の人がほとんどだ。結婚していても、奥さんの異国での生活の苦労、子供の教育などを考えて、単身赴任している。こんな日本人の何人かが住んでいるところなら、どこにでもアフリカ・チョンガーたちの集会場がある。いつとはなしに、誰かの家が町の日本人達のたまり場となり、自称どこそこの日本人クラブということになる。
日本人クラブには、碁盤、将棋盤、マージャン道具一式と持ち寄りの日本からの古雑誌と一年くらい前の流行歌のレコードが、かならず置いてある。日曜あるいは金曜日(回教国には金曜が休日のところがある)の午後、スコッチウイスキーを飲みながらのマージャンがひとしきり終ったあと、誰かが立ちあがって台所で食事つくりということになる。
大ナベに肉塊をほうりこんでダシをつくり、そこヘスパゲッティをぶちこみ、塩味をつけ、ネギのブツ切り、卵を入れた鍋焼きウドンのごときものは、日本人クラブ定食の一つである。味付けは、塩を基本として、貴重品の醤油は、ほんの数滴たらしこむだけである。スパゲッティは、いくら煮こんでも腰があって、シコシコとして、ウドンの舌ざわりからは、ほど遠い。
このアフリカ製鍋焼きウドンをスープ皿からすすりながら、「ああ、ケツネウドンがたべたい」と大阪人がさけぶのである。
「今朝、サルタン通りをナットウ売りが通る夢をみたぞ」と東京人がいう。そして、「ケツネウドンが、ザルソバが、ナットウが、ヒヤヤッコが食いたい」という話が長々と続くのである。
鍋焼きウドンまがいとスコッチウイスキー。何とも妙なとりあわせである。億単位の商売をしている人びとの食事としては、あまりにもわびしいではないか。このような食事風景をみるたびに、わたしは「大英帝国は粗食のうえにきずかれた」ということばを思いだすのである。
アフリカ・チョンガーたちは日常の食事は、レストランでとる。地中海沿岸のアフリカ都市でだったら、かなり味付けのよいイタリア料理、フランス料理の店がいくつもある。しかし、「洋食にはうんざりしている」のである。そうかといって、カスバのアラビア料理は、不潔そうでたべる気がしないし、あんなものがうまいはずはない、と信じこんでいるのである。また、カスバで立食いをするのは、紳士の体面にかかわることでもある。もちろん、トルコ風呂になど足をふみこんだこともない。そして日本へ帰ったらあれも、これも食おうと日本料理を永遠の恋人のようにあこがれているのである。
アフリカで調査をしているとき、たまに都会へ買物や連絡に出ることがある。町へ出て、わたしは宿に不自由をすることはなかった。「料理の先生がやってくる」というので、わたしが町に出て来るのを、心待ちにしている人びとが沢山いる。町へ出ると、在留邦人の間で、わたしのうばいあいがはじまる。「今日は、ぜひわたしのところへ泊って、ボーイに味噌汁のつくり方を教えて下さい」「いや、うちのほうへ来て下さい。酒が沢山用意してありますよ」といった工合である。
皆、わたしに日本料理をつくってもらうことが目当てなのである。わたしは、わたしで、奥地での現地食にあきて、都会でさまざまの材料を使って、ひさしぶりに、うまいものをくってやれと思って、町へ出てきているのだ。結局わたしが都会に滞在している期間は、毎晩日本料理と酒盛りにあけくれ、わたしが居候する家は、その町に住む独身の日本人達のコンパ会場と化する。わたしのあやしげな日本料理でも、アフリカまで行けば、感激してたべてくれる人びとがいるのである。
そのうちに、アフリカの日本人の間に噂がひろまって、隣りの国へ行っても、「あなたが、その料理の名人ですか」ということで、歓迎されることとなる。ある国では若手の外交官で、広壮な住宅に住んでいながら、独身のため人をもてなすことができずにいた人を助けて、各国の外交官を集めて日本料理のパーティーを開いて、社交界にデビューさせてあげる役目まで引き受けた。
ついには、めんどうになって、
「わたしは、海外在留邦人食生活改善員です」
と名乗りをあげることとした。こんな役目で日本政府が、わたしを派遣したのだと本当に信じ込んでしまった人が何人かいる。
わたしは、アフリカ在留の邦人に実にお世話になった。わたしにできるせめてものお返しは、日本人クラブでせいぜい腕をふるって美味い物をつくることぐらいである。
「今日は、ひとつ日本料理をこしらえましょうか」とわたしがいうと、「そんなこといっても、アフリカじゃ材料がありませんよ」といわれる。「いや、何とかなります」と言いすてて、わたしは材料をしこみに町を一廻りしてくる。
市場で魚と野菜を、ヨーロッパ人相手の食料品店で、マギーのソースを買ってくる。
海外では、よその家の味噌、醤油のような貴重品扱いの日本の調味料をやたらに消費しないことがエチケットである。ヨーロッパだったらスーパーマーケットで醤油も売っているが、アフリカでよその家の醤油を使うのは、気のとがめることだ。あまり知られていないことだが、マギー・アロマという食卓ソースは、塩気の強い薄口醤油とまったく同じ味がするものである。このソースは、アフリカでもたいていの西洋人相手の食料品店やスーパーマーケットで手に入る。
さて出来あがった献立の一例といえば、|潮《うしお》汁、ナマス、サシミ、テンプラ、ナットウと漬物の晩飯。
潮汁は、市場で買ってきたタイの頭に塩をふっておいてつくる。三枚におろした身はサシミにする。オロシショウガをそえる。外国では、タイは高級魚の部類に入らないので、値段もやすい。ナマスは、ダイコンとニンジンを千六本にきざんで塩もみしたのち、甘めの酢にひたしておく。西洋のサラダ用の酢を日本料理に使う場合には、砂糖、白ブドウ酒を加えて、刺激性の味をやわらげることが必要である。
テンプラは、レモンと塩でたべてよし、チーズおろしの道具を使って、ダイコンおろしをつくり、マギーソースにダシ、白ブドウ酒を加えて煮た天つゆでたべてよし。
ナットウの正体は、オクラである。オクラは、アフリカではよくある野菜だ。オクラをゆでてから、ミジン切りにする。すると、ねばついた糸をひき、まるでナットウをつぶしたようだ。味も似ている。これに、ネギの薬味をそえ、卵を入れる。あるいはマスタードを加えて、ねって熱いメシにかけてたべたら、ナットウ売りがアフリカまで出張してきたような気分になる。ギリシャやスペイン製のオクラの罐詰をあけて、そのままミジン切りにしてもよし。漬物は、ナスをこまかく切って塩もみをしたうえに、針ショウガを加えた浅づけのようなたぐい。マギーソースをかけてたべる。
アフリカでも、都市に住むかぎりは、日本料理の材料には不自由しないものである。問題は食うことに関する熱意と、工夫にかかっている。そしてまた、どれだけ料理の献立を知っているかという教養の深さによる。思い返すことのできる料理の種類が多ければ、そのなかにはかならず、その土地の材料でつくれる品がいくつかあるはずだ。
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