トンガの社会では、日本と同じように子供は父親の系譜をたどるし、財産の相続も父から子へとひきつがれる。結婚のときには、妻は夫のところへ嫁入りをしてくる。つまり、トンガ社会は、父系社会の原理で構成されていると、一応は考えてよい。しかし、トンガでの女性の地位は非常に高い。
おなじ家族内でも、姉妹は兄弟の上位にたつのである。年下でも、妹が兄よりも優位になる。そこで、妹の要求したことに、兄はなんでもしたがわなくてはならない。妹がほしいというものを、兄はなんとかして手に入れなくてはならない。妹がノドがかわいたといえば兄はヤシの木にのぼって実を落してやるし、自分の持物でも妹がほしがったら与えなければならない。男の子は幼年期をすぎて、十歳前後になると、姉妹と同室に住むことはできない。女の子は結婚するまで両親といっしょに母屋に住むが、兄弟は別棟で寝起きしなくてはならない。男の子のためのちゃんとした別棟のある家ならよいが、炊事小屋の片隅に少年は追いやられて寝なくてはならないような例も多い。姉妹にお客があるときには、兄弟はそばに居てはいけないし、姉妹に話しかけるときには兄弟はきちんとすわって礼儀正しくして話さねばならない、等々。兄弟は姉妹に対して、女王につかえる騎士のように対さなくてはならないのである。姉は妹よりも上であり、妹は兄よりも優位にある。
そこで、トンガの慣習によると、王の家族のなかでは、王の姉が国王よりも地位がたかく、したがって国内で最高の権力をもつ者であった。この関係は次の世代にまでもちこされ、イトコ同士にまでおよぶ。兄弟の子供は姉妹の子供には頭があがらないのである。それどころか、姉妹の子供は母親の兄弟、つまり叔父よりも優位にたつ。この関係をファフウという。甥、姪は叔父になんでも好きなことを要求できるのだ。叔父の持物を、甥、姪がねだったら、叔父はこれを拒否することはできない。そこで、王室でいえば王の姉である長女は、弟である王になんでも要求できる地位にあった。王に対してファフウの関係になる王の姪はタマハと呼ばれた。
このようなファフウの制度によって叔父が甥、姪の世話をしなくてはならないという事実は、どうやらトンガの過去に母系社会の原理が強く影響していたことを推測させる。トンガの西側に位置するメラネシアの島じまには母系社会がいくつもあり、そこではトンガと同様叔父と甥、姪の特別な関係が見出される。トンガのファフウの制度は、おそらく一番近いメラネシアの島であり、歴史的にもトンガと親密な交渉をもったフィジー諸島から伝わってきたものであろう。
このような慣習による背景をもつトンガの女性の地位は、ポリネシアで一番高いものである。男、女の労働の区別をあげてみよう。
家屋の建築、カヌーつくり、道具つくり、重いものを運ぶことなど、いっさいの力仕事は男の役目である。ヤブを切り開いて開拓すること、耕作すること、植えつけ、収穫など農業関係の仕事もいっさい男がしなくてはならない。もし、女が畑仕事をしたとしたら、その夫は近所の人びとの物笑いの種にされてしまう。もし、家族内に適当な労働力がなかったり、女がヤモメだった場合には、ファフウの制度を利用して、甥をよんできて仕事をさせるのである。
魚釣りや、航海などカヌーに関係した仕事もすべて男の役割である。
女のおもな仕事は、育児、洗濯、炊事、家庭内の整理、環礁のなかの浅瀬での貝ひろい、タパとよばれる樹皮布の製作、ゴザやバスケットを編むことなど、家事に関係した軽労働ばかりである。
洗濯は、トンガ人が輸入品の布をまとうようになってから、女につけくわわった仕事である。昔、樹皮布を腰にまとっていたころは、洗濯という仕事はなかった。樹皮布はアオイ科植物の木の内皮を水につけてからたたきのばして、ノリではりつけ、マングローブの根からとった染料などで文様を染めつけたものである。厚手の和紙みたいな布だ。洗濯のために水につけたら、ノリが溶けてばらばらになってしまう。
女が炊事をうけもつようになったのも、どうやら新しい習慣らしい。白人の手によって、金属製のナベが輸入されるようになってから、日常の食事は女の仕事になってきたもののようだ。初期の白人の航海者の記録をみると、料理人は男であったらしい。すくなくとも、人を接待したり、儀式のさいの食事をつくるのは、男の仕事であった。
トンガの伝統的な料理法は、トンガ語でウムとよばれる穴のなかでの石むし料理である。ウム料理をつくるには、まず地面に深さ五十センチ、直径一メートル程度の穴を掘る。穴の大きさは、ごちそうの量によって左右される。穴のなかに|薪《たきぎ》を入れて火をつける。薪には、コプラをとったあとのココナツの殻が使われることが多い。焚火のうえに、レンガくらいの大きさの石ころを三十─四十個のせて石がまっ赤になるまで熱する。ウム料理用の石ころは、火成岩質のものが火持ちがよいというが、珊瑚礁でできた島の場合には、珊瑚礁の塊りを割って用いる。
焼石ができたところで、薪を穴の外にはらいのけて、食物を入れる。まず、ヤムイモ、タロイモ、キャッサバ、サツマイモなどのイモ類を焼石のうえに直接のせる。文宇どおりの石焼きイモをつくるわけだ。つぎに、イモ類のうえに魚、肉や野菜などをココナツソースであえて、タロイモの葉でくるんだもの——これをルーという——をのせる。ルーのうえにココナツの殻を重ねて間隙をつくりそのうえに横木をわたしたうえに、ヤシの葉を三重、四重にかさねておおってしまう。そのうえに土をかける。盛土の厚さは十センチ以上。
つまり、地面のなかに焼石を熱源とした天火をつくって料理するのだ。二時間近くたってからとりだすと、直径二十センチもあるタロイモでもシンまで火のとおったヤキイモになっているし、ルーはタロイモの葉の包み焼きになっている。葉でくるんであるから材料の持味を逃さない。
のちにのべるニューギニアの石むし料理と原理的には、まったく同じである。ウム料理の手法は、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアの太平洋世界にひろがっている。根栽文化にともなう料理法と考えてよいであろう。現在でも、トンガではウム料理をつくるときには、女は手をださない。女は料理の材料をととのえるだけであり、調理をするのはかならず男である。
小乗キリスト教(太平洋の島じまでは、前近代的な戒律のきびしいキリスト教の宗派が勢力をもっていることがおおい。日曜には歌、踊りをしてはいけない、サンデー・ディナーをかならずとるとか、細かな生活規範がキリスト教によっておしつけられている)のトンガでは、日曜日にはどの家でもかならずウム料理による正餐をとる。ウム料理をつくる日曜日には、亭主か息子がせっせと炊事にとりかかり、その間に女たちは教会の女たちの祈りの集会へいくのである。もしも、女が、ウム料理をしているのをみつけられたら、島中のゴシップの種にされる。
おなじ家族内でも、姉妹は兄弟の上位にたつのである。年下でも、妹が兄よりも優位になる。そこで、妹の要求したことに、兄はなんでもしたがわなくてはならない。妹がほしいというものを、兄はなんとかして手に入れなくてはならない。妹がノドがかわいたといえば兄はヤシの木にのぼって実を落してやるし、自分の持物でも妹がほしがったら与えなければならない。男の子は幼年期をすぎて、十歳前後になると、姉妹と同室に住むことはできない。女の子は結婚するまで両親といっしょに母屋に住むが、兄弟は別棟で寝起きしなくてはならない。男の子のためのちゃんとした別棟のある家ならよいが、炊事小屋の片隅に少年は追いやられて寝なくてはならないような例も多い。姉妹にお客があるときには、兄弟はそばに居てはいけないし、姉妹に話しかけるときには兄弟はきちんとすわって礼儀正しくして話さねばならない、等々。兄弟は姉妹に対して、女王につかえる騎士のように対さなくてはならないのである。姉は妹よりも上であり、妹は兄よりも優位にある。
そこで、トンガの慣習によると、王の家族のなかでは、王の姉が国王よりも地位がたかく、したがって国内で最高の権力をもつ者であった。この関係は次の世代にまでもちこされ、イトコ同士にまでおよぶ。兄弟の子供は姉妹の子供には頭があがらないのである。それどころか、姉妹の子供は母親の兄弟、つまり叔父よりも優位にたつ。この関係をファフウという。甥、姪は叔父になんでも好きなことを要求できるのだ。叔父の持物を、甥、姪がねだったら、叔父はこれを拒否することはできない。そこで、王室でいえば王の姉である長女は、弟である王になんでも要求できる地位にあった。王に対してファフウの関係になる王の姪はタマハと呼ばれた。
このようなファフウの制度によって叔父が甥、姪の世話をしなくてはならないという事実は、どうやらトンガの過去に母系社会の原理が強く影響していたことを推測させる。トンガの西側に位置するメラネシアの島じまには母系社会がいくつもあり、そこではトンガと同様叔父と甥、姪の特別な関係が見出される。トンガのファフウの制度は、おそらく一番近いメラネシアの島であり、歴史的にもトンガと親密な交渉をもったフィジー諸島から伝わってきたものであろう。
このような慣習による背景をもつトンガの女性の地位は、ポリネシアで一番高いものである。男、女の労働の区別をあげてみよう。
家屋の建築、カヌーつくり、道具つくり、重いものを運ぶことなど、いっさいの力仕事は男の役目である。ヤブを切り開いて開拓すること、耕作すること、植えつけ、収穫など農業関係の仕事もいっさい男がしなくてはならない。もし、女が畑仕事をしたとしたら、その夫は近所の人びとの物笑いの種にされてしまう。もし、家族内に適当な労働力がなかったり、女がヤモメだった場合には、ファフウの制度を利用して、甥をよんできて仕事をさせるのである。
魚釣りや、航海などカヌーに関係した仕事もすべて男の役割である。
女のおもな仕事は、育児、洗濯、炊事、家庭内の整理、環礁のなかの浅瀬での貝ひろい、タパとよばれる樹皮布の製作、ゴザやバスケットを編むことなど、家事に関係した軽労働ばかりである。
洗濯は、トンガ人が輸入品の布をまとうようになってから、女につけくわわった仕事である。昔、樹皮布を腰にまとっていたころは、洗濯という仕事はなかった。樹皮布はアオイ科植物の木の内皮を水につけてからたたきのばして、ノリではりつけ、マングローブの根からとった染料などで文様を染めつけたものである。厚手の和紙みたいな布だ。洗濯のために水につけたら、ノリが溶けてばらばらになってしまう。
女が炊事をうけもつようになったのも、どうやら新しい習慣らしい。白人の手によって、金属製のナベが輸入されるようになってから、日常の食事は女の仕事になってきたもののようだ。初期の白人の航海者の記録をみると、料理人は男であったらしい。すくなくとも、人を接待したり、儀式のさいの食事をつくるのは、男の仕事であった。
トンガの伝統的な料理法は、トンガ語でウムとよばれる穴のなかでの石むし料理である。ウム料理をつくるには、まず地面に深さ五十センチ、直径一メートル程度の穴を掘る。穴の大きさは、ごちそうの量によって左右される。穴のなかに|薪《たきぎ》を入れて火をつける。薪には、コプラをとったあとのココナツの殻が使われることが多い。焚火のうえに、レンガくらいの大きさの石ころを三十─四十個のせて石がまっ赤になるまで熱する。ウム料理用の石ころは、火成岩質のものが火持ちがよいというが、珊瑚礁でできた島の場合には、珊瑚礁の塊りを割って用いる。
焼石ができたところで、薪を穴の外にはらいのけて、食物を入れる。まず、ヤムイモ、タロイモ、キャッサバ、サツマイモなどのイモ類を焼石のうえに直接のせる。文宇どおりの石焼きイモをつくるわけだ。つぎに、イモ類のうえに魚、肉や野菜などをココナツソースであえて、タロイモの葉でくるんだもの——これをルーという——をのせる。ルーのうえにココナツの殻を重ねて間隙をつくりそのうえに横木をわたしたうえに、ヤシの葉を三重、四重にかさねておおってしまう。そのうえに土をかける。盛土の厚さは十センチ以上。
つまり、地面のなかに焼石を熱源とした天火をつくって料理するのだ。二時間近くたってからとりだすと、直径二十センチもあるタロイモでもシンまで火のとおったヤキイモになっているし、ルーはタロイモの葉の包み焼きになっている。葉でくるんであるから材料の持味を逃さない。
のちにのべるニューギニアの石むし料理と原理的には、まったく同じである。ウム料理の手法は、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアの太平洋世界にひろがっている。根栽文化にともなう料理法と考えてよいであろう。現在でも、トンガではウム料理をつくるときには、女は手をださない。女は料理の材料をととのえるだけであり、調理をするのはかならず男である。
小乗キリスト教(太平洋の島じまでは、前近代的な戒律のきびしいキリスト教の宗派が勢力をもっていることがおおい。日曜には歌、踊りをしてはいけない、サンデー・ディナーをかならずとるとか、細かな生活規範がキリスト教によっておしつけられている)のトンガでは、日曜日にはどの家でもかならずウム料理による正餐をとる。ウム料理をつくる日曜日には、亭主か息子がせっせと炊事にとりかかり、その間に女たちは教会の女たちの祈りの集会へいくのである。もしも、女が、ウム料理をしているのをみつけられたら、島中のゴシップの種にされる。