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食生活を探検する12

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:トンガ人のたべもの トンガ人の日常の食事に主食として使われる作物には、ヤムイモ、タロイモ、クワズイモ、サツマイモ、キャッ
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トンガ人のたべもの

 トンガ人の日常の食事に主食として使われる作物には、ヤムイモ、タロイモ、クワズイモ、サツマイモ、キャッサバ、バナナ、パンの実がある。
トンガ人の栽培している主要な植物のグループには、共通した特徴がある。それは、みな種子まきをしないでふやすことができる植物であるという点である。イモ類は、親イモを切って土に埋めておいたら芽がでてくる。キャッサバは木質の茎を三十センチほどに切って地面につきさしておけば、水もやらず、草とりもせずにほうっておいても、半年したらばイモができる。パンの実、バナナも親株から出る芽を移植したらどんどんふやすことができる。
このように栄養繁殖によってふやすことができる植物のグループを主作物とした農業を根栽農業とよぶ。根栽農業はもともと、東南アジアの熱帯から、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの太平洋の島じまへひろがっていったものと考えられる。東南アジア起源の根栽農業の主な作物には、ヤムイモ、タロイモ、バナナ、パンの実などがある。現在では東南アジアからインドネシアにいたる地帯には種子繁殖による農業が伝播して、古来の農業におおいかぶさりアジアでは根栽農業の典型はみられない。ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアの太平洋のなかの島じまにだけ、典型的な根栽農業が残っている。
根栽農業は、農業技術としては、大変原始的なものである。本来の生産用具としては、木を切り倒して開墾するための|石斧《せきふ》と、地面を掘るための掘り棒だけだ。掘り棒とは本来は、棒の先端をけずってとがらしただけの耕作具である。現在トンガ王国で一般的に使用されている掘り棒はもうすこし進歩した形式のものである。二メートル近い棒の先に、鉄の細長い刃先をつけたものだ。日本のヤマイモ掘りの道具によく似ている。鉄の刃先をつけたトンガの掘り棒は、百年くらいまえ、捕鯨船でクジラを解体するときに使う刃物をそのまま掘り棒に転用したものだという。
根栽農業では、ふつう肥料を使わない。斧で木を切り倒したあとに火をつける焼畑農業である。土地に養分がなくなったら、また別のヤブを焼きはらって畑にするといった粗放農業である。輪作と休閑を各家族の畑地のなかでくりかえすトンガの農業は根栽農業のなかでは大変進んだ段階といえよう。
根栽農業の収穫物が水分を多く含んだイモ類なので、輸送、貯蔵が困難である。イモ類は同カロリーの穀物の数倍の重量があるし、注意深く貯蔵しても、せいぜい半年しかたくわえることができない。このことは、種子農業にくらべると、大変なハンディキャップである。種子農業地帯では、生産物を中心地に輸送し、貯蔵し、再分配することによって畑で働かなくても食べていける人びと、職人、神官、官僚、王が出現した。社会的分業、階級分化、国家の発生なども種子農業であったからこそ可能であった。
根栽農業で国家らしいものが成立したのは非常にすくない。ハワイ、タヒチ、トンガくらいのものである。いずれも、大国家に発展することはできなかった。根栽農業の限界をしめすものである。あるいは、逆にいったら、トンガは根栽農業のなかで可能性の限界にまで進歩した社会であったといえよう。
トンガで一番重要な作物はヤムイモである。調査隊の一員であった植物分類学の堀田|満《みつる》さん(現在神戸女子大学助教授)によると、トンガで栽培されているヤムイモには百品種以上があるそうだ。人びとは一見しただけで多くの品種を識別することができる。赤ん坊の離乳食用の品種とか、ピクニックに出かけるときベントウにもっていく品種とか、ある儀式のときに国王に献上する品種とかいったふうに、用途別の品種の使いわけがある。自分の畑になるべくたくさんのヤムイモの品種を植えることが、農民のほこりである。現在、トンガで栽培されている作物のうちヤムイモ、タロイモ、クワズイモ、バナナ、パンノキは、もともと根栽農業の中心地である東南アジアに起源をもつ植物である。これらの作物は、ポリネシア人が南太平洋の島々へ移動してきたときから知っていた植物と考えてよいであろう。
これに対して、サツマイモ、キャッサバは南米原産の植物である。キャッサバは、白人と接触してからポリネシアにもたらされたことがはっきりしている。ところが、ポリネシアのサツマイモ栽培起源についてはナゾが残されている。白人が太平洋にやってきてポリネシアを発見するまえから、すでにポリネシア人はサツマイモを栽培していた。トンガでは、サツマイモをクマラとよぶ。となりのフィジー諸島でも、クマラであり、サモア諸島ではウマラ、マルケサス諸島ではクマアとよばれる。このように、ポリネシア全域にわたって、サツマイモをクマラに類似したことばでよんでいる。いっぽう、原産地とされる南米のケチュア語でも、サツマイモをクマラとよぶ。
「コンチキ号探検記」で有名になったトール・ハイエルダールの提出したインカ帝国の子孫たちが太平洋にイカダに乗ってやってきて、ポリネシア人の祖先となったという学説に対しては、現在の学界では、否定的な意見がつよい。すなわち、ポリネシア人の祖先はアジアからやってきたという定説をくつがえすほどの科学的根拠が、ハイエルダール説にはないというのである。しかし、南米原産の植物であるサツマイモをなぜ白人がやってくるまえからポリネシア人が知っていたか、なぜ南米とポリネシアが同じことばでサツマイモをよぶのかという点についてだけは、ハイエルダール説をうまく|反駁《はんばく》できないのである。
サツマイモの原産地を南米ではなく、アフリカや南アジアに求める説、南米からポリネシア人の先祖がきたのではなく、大航海民族だったポリネシア人が南米へ行き、そしてふたたびポリネシアヘもどってきたことによって、南米産のサツマイモがポリネシアに輸入されたのだという説などが、ハイエルダール説に反対する側からのポリネシアにおけるサツマイモの存在についての説明である。
イモ類を主食にしている民族の常で、トンガ人の胃袋は例外なしにおおきい。ほっそりとして可愛らしい十七、八の娘さんでも、食事どきになると、赤ん坊の頭くらいのおおきさのヤムイモ一個をまたたく間にたべてしまう。そこで、中年になるとトンガ人は例外なしに太りだす。成人男子の平均身長が百八十センチ近くある体格のよいトンガ人のことだ。太りだすと、とんでもなく体重がふえる。あるトンガの村でわたしたちは、村人の身長や体重のデータを集めたことがある。わたしたちは百キロまで計れる体重計を用意した。ところが、百キロを超える体重の村人が続出し、あわててハカリを二つ置いて、各々の体重計に片足ずつのってもらって、両方の目盛りを合計して測ることとした。百三十キロくらいの人はざらにいるのである。ツンギ殿下からして身長が約百九十センチ、体重百五十八キロである。しかし、殿下に謁見したときにたまたま話が殿下の体重のことにおよぶと「わたしの国には、わたしよりも体格のよい人間が沢山いる」とおっしゃられた。
イモ類、キャッサバは、もともとは焼くか、ウム料理にしてたべた。トンガ人が、ナベを使用しはじめてから、ココナツソースで水たきにしてたべることもおこなわれるようになった。
ココナツソースは、ポリネシア料理のもっとも基本的な調味料である。ソースといっても、つくりかたは簡単である。ヤシの実を半分に割る。実のなかにつまったジュースは飲むか、すててしまう。ヤシの殻の内側についたまっ白な脂肪のかたまりのような|胚乳《はいにゆう》——これをコプラとよび、ヤシ油、石けん、マーガリンなどの材料になり、トンガ最大の輸出品である——をこそぎとる。コプラをこそぎとるには、ナイフでけずりおとしてもよいが、鋸歯状のギザギザのついた鉄のおろし金のついたココナツソースをつくる専用の道具をつかうことがおおい。けずりおとしたコプラをボールに入れ、水をそそぐ。これを、ココナツの実のセンイでもんでいると、コプラがしぼり出されて水に溶けて白い液体となる。最後にこの液体をココナツのセンイでこして、コプラのカスを取り去ると、ココナツソースができあがる。
トンガ人は、すべての煮たきにココナツソースを使う。イモ類をゆでるときも、水だけでゆでることはしない。かならず、ココナツソースの水たきにする。ココナツソースで調理した食物は、洗濯石ケンくさいにおいがして、はじめてたべるときには、すこし抵抗感がある。だが、慣れると水だけでゆでたイモなど味がさっぱりしすぎていて、ものたりなくて、たべられないような気がしてくるものである。おそらく、ココナツの脂肪がイモにしみこんで、充実感のある味にしているのであろう。ココナツソースを使った料理をたくさんたべると、汗が石ケンくさくなり、トンガ人と同じ体臭になる。
パンノキはクワ料の植物である。パンノキの実、つまりパンの実という名前にまどわされて、パンと同じ味がするだろうとか、実をそのままもいだらたべられるものだと思いこんでいる人がいるようだ。パンの実は生ではたべられない。パンの実の表面はミドリ色をしていて、大きなものは、バレーボールくらいの大きさがある。中心のズイの部分以外の果肉は白色をしたパルプ質になっており、十五〜二十パーセントの澱粉と少量の糖をふくんでいる。トンガで一般的なたべかたは焼くか、ウム料理にする。熱をくわえると果肉はやわらかくなり、マッシュポテトのようなくせのない味がする。
動物質の食物にうつると、ブタ、ニワトリ、イヌそれに魚、貝がおおく用いられる。ブタ、ニワトリ、イヌも、ポリネシア人が南太平洋にやってくるとき、東南アジアから連れてきた家畜である。
ブタは口から尻まで丸太を通しておき火のうえで回転させながら丸焼きにするか、さきにのべたウム料理にする。ブタは、日常の献立というよりは宴会のときの食物である。イヌの料理法もブタとおなじであるが、イヌを食うのは野蛮であるという西洋的偏見がキリスト教といっしょにひろまって、近頃ではイヌをたべても、まわりの者に口をつぐんでいる。
ニワトリ、魚は、ウム料理にするほか、現在では、ココナツソースで煮こんでたべることがおおい。魚のうまいたべかたでは、ライムのしぼり汁、ココナツソース、海水をまぜたソースに生魚の切り身をつけておいてたべるやりかたがある。ライムの酸で、切り身の表面が白くなったところをみはからってたべる。本格的マリネードである。カヌーで海へ出て釣りをしたときなど、とれた魚をその場でブツ切りにして、海水で洗ってたべる。クジラもたべる。クジラの肉はウム料理のほかに、イモ類といっしょにココナツソースで煮こんでたべる。トンガ人はクジラを生でたべることをしない。とりたてのクジラの肉が手に入ったので、わたしたちはサシミにして賞味した。小さな島のことである。翌日には、島じゅうに日本人はクジラを生でたべたということが伝わってしまった。よっぽどゲテもの食いと思われたらしい。
環礁のなかでの貝ひろいは女の役目だ。貝殻をナイフでこじあけて、生のままでたべる。これに庭のライムの実を一つとってきて、しぼりこむと一段とうまい。焚火のなかにほうりこんで、焼き蛤のようにしてたべるし、ココナツソースで煮こむこともする。小さな島ばかりで海岸までどの家からもあるいていけるので、女たちは毎日のように貝ひろいにでかける。どの家でも、庭の片隅には、たべかすの貝殻を捨ててできた小山がある。トンガで貝塚の発掘をしようと考えていたわたしは、島じゅういたるところにある新しい貝塚と、考古学的調査が可能な古い貝塚を区別するのに大変苦労をしたことであった。
このほかに、現在トンガでは、どこの村の商店でもコンビーフを売っている。コンビーフは一種のごちそうである。キャベツ等の野菜と一緒にタロイモの葉でつつんでウム料理にもするが、そのままたべることがおおい。
アフリカやニューギニアでのわたしの調査地にくらべたら、トンガでの食生活は大変めぐまれていたといえよう。魚や貝をたくさんたべるトンガ人の食事は、日本人にとって大変ありがたかった。
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