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食生活を探検する29

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:女には、ごちそうをたべさせぬこと あなたが、職業的なコックになるつもりがないのだったら、自分が料理上手であることをふれま
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女には、ごちそうをたべさせぬこと

 あなたが、職業的なコックになるつもりがないのだったら、自分が料理上手であることをふれまわってはならない。女の場合だったら、料理上手は賞賛され、そのお嬢さんなり奥さんの美点にされる。ところが、男の料理上手は、しばしば悪徳に数えられる。
女性は、本能的に男が料理することに対する嫌悪感をいだいている。人類が、料理という技術を知ったはじめから、料理は女の手にまかせられていたのであろう。男は狩に出かけては料理の材料を供給する係りであり、男にやしなってもらう女たちは材料処理である料理に従っていた。
何万年かの間女の仕事とされてきた分野に、男が割りこむことには、女はがまんできないのである。男が家庭の炊事に手出しをするのは、女性の聖域をおかすことを意味する。
いまや、洗濯は電気洗濯機とクリーニング屋にまかしたらよいこととなった。育児こそは、女の天職である。男性には、オッパイがないといばってみたところでだめである。バストの形をととのえるためにとか理由をつけて、わが子にすら乳の出しおしみをして、ミルクで育った人工栄養児が氾濫するこの頃のことである。生んでしまってからは、女はいなくても子どもは育つのである。電気洗濯機を家庭にもちこむことを主張するのも、三つ四つの頃から子どもを幼稚園にほうりこむことを主張するのも女である。あさはかな女どもは、こうしてみずからの権利を次々と放棄していったのである。
料理にしろ、軍事用に開発されたインスタント食品、罐詰を、積極的に家庭にとり入れたのは、女であり、これを拒否する役にまわるのは男であった。
ミルクを飲んでも、育見所へほうりこんでも、子どもはすこやかに成長したらよろしい。衣服は、洗濯機で洗っても、クリーニング屋へ出しても、清潔になっていたら別に文句をつけるすじあいはない。
しかし、即席ラーメンと罐詰、それにテンヤモノで毎日の食事をすませようということになったら、男性は、猛然と決起するのである。料理すらも満足にしないのなら、なぜ女房をもらう必要があるだろう?
血のめぐりの悪い女どもも、ようやく気付いてきた。いまや、料理こそは、妻に残された存在理由であり、女が男に対抗する最後の拠点なのである。そこで、料理学校が、テレビ料理が大流行をはじめたのである。なにしろ、育児、洗濯から解放された彼女らには、時間はたっぷりある。そこで、料理を習うということが時間つぶしの趣味になるのだ。だが、彼女らに、時間つぶし、道楽などといってはいけない。そんなことをいったら聖職にはげんでいると信じこみ、宗教的情熱すらかたむけている彼女らに、まなじりをつりあげて抗議されるであろう。料理は女の秘儀であり、料理学校は女の秘密結社、テレビ料理は儀式の公開通信なのである。
そんな女達にとって、料理のできる男というものは、聖なる女の儀式を|冒涜《ぼうとく》するけがらわしき異教徒であり、自分たちの存在理由を否定する危険分子である。お見合いの席でうっかり、「ボクは料理をするのがすきでして」などと口をすべらしたら、フラれること確実である。
ガールフレンドにごちそうをつくってやらねばならない破目におちいったら、ここぞとばかり、腕をふるうような軽率なまねをしてはいけない。焦げ飯を炊き、塩を一合もほうりこんで、口が曲るほど塩辛いスープをつくることだ。「あら、口ほどにもないわね。やっぱり料理は女がやらなきゃ」と優越感をもたせ、母性本能を刺激することだ。そうすればめでたくゴールインする次第となる。
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