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食生活を探検する30

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:変った食物 こと食物に関しては、人びとは大変保守的である。進歩主義者でも、前衛芸術の実践者でも、母親の味をなつかしみ、伝
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変った食物

 こと食物に関しては、人びとは大変保守的である。進歩主義者でも、前衛芸術の実践者でも、母親の味をなつかしみ、伝統的な味の範囲から外へ飛び出すような冒険はしない。たべなれない材料、未知の味に対する抵抗は、ときとして、狂信的ですらある。生理学の立場でいったら、食事とは、人体の機能維持、成育に必要な栄養をとり入れることにほかならない。その限りでは、何でも食えるものをたべたらいいはずである。
ナチも、ガス部屋で処理した人体から、毛布やセッケン、人毛からつくったパンの試作まではしたが、人肉の罐詰や燻製をつくる勇気は、もちあわせていなかったらしい。もったいないことである。あるいは、人肉の味を国民が知ったときのパニック状態を予測して製造にふみきらなかったものか。
食事についての人類の文化は、偏見にみちみちている。食品の種類、味付けの方法、調理の手順、料理を口にする場合の作法、はては料理人の資格にいたるまで、やかましいルールが要求されている。これらのルールを体系化したものが、日本料理とか、フランス料理とか呼ばれるものになっているのだ。このようなルールにくわえて、食事はエサではなく、楽しみでなくてはならないという、美学が要請されている。
しかし、美学にしろ、料理自体にしろ、絶対的な価値体系をもつものではない。ある文化では、美味とされるものが、他の文化では嫌悪すべき食物とされる例はいくらでもある。人類の食事が、単なる栄養補給手段ではなく、文化の体系の一環として、各地方、各民族によって別々の性格をもつものであるとしたならば、当然、好ましい食品とか味付けは、相対的な価値の問題で判断されるものであると考えてよかろう。
おのおのの文化の個性を尊重するのもよいが、そのままでは、文化の急速な進歩は望めない。他の文化の新しい要素をどんどん取り入れて、偏見の構造をうちやぶり、新しい創造をすることによって、人類は進歩するものである。人類の進歩と調和のために、まず身近なところから試みよう。食物の偏見をうちやぶることから着手するのだったら、あなたにも文化大革命ができるはずである。
だが覚悟はしなければならない。明日の世界のために、偏見のない世界をつくりだすために戦うあなたの前途には、数多くの苦難がまちかまえている。
たとえば、ヘビをたべること。これは別に新しい試みではない。ヘビを食用にする民族は世界に沢山ある。オカウナギと呼んで、江戸時代にも食用に供されていた。文献では、日本人がヘビをたべた話はあまりあらわれないが、信州でヘビをたべる風習などは、たいへん昔にまでさかのぼることであろう。そうだからといって、あなたは、ガールフレンドにヘビ料理をつくって、たべさせる勇気をお持ちだろうか。勇敢なあなたのために、ヘビの料理法の一端を記しておこう。
マムシの首のまわりの皮を切り、これをしたにひきさくと、ピリピリといいながらファスナーを開くようにみごとに皮が全部とれる。すると、グロテスクな皮のしたから、これはまた何と美しい身が現われることだろう。ほんのりとピンク色をおびた、むき卵のような白い肌。
楊貴妃か、クレオパトラに、酒を飲ませても、こんなにきれいな肌はしないだろう。内臓をとり、背骨のついたままつけ焼きにするのが一番うまい。生のまま、背ごしにして、酢をつけてたべる者もいるそうだ。マムシの肉は、くせがなく、ニワトリの肉に似ていて、もっとあっさりして上品な味がする。ただ、小骨の多いのがヘビ料理の難点であるが、よく焼いたら、骨ごとたべられる。
青大将の肉は、少し青くさい。ショウガを加えると、くさみ消しによい。皮をむいた青大将を冷蔵庫にしまっておいたところ、他の食物に臭いがついて、困ったことがある。
ついでに、ものの本で読んだ、広東料理の傑作、三蛇会料理。材料は、毒蛇の三巨頭、コブラ、マムシ、ハブを使う。毒をもって毒を制すということで、かならず、この三種の毒蛇を同じナベのなかにほうりこむ。そこで、三蛇会料理の名がある。まず、生きた蛇の皮をはぎ、胆汁を酒にしぼりこんで、アペリティフとする。この毒蛇カクテルは、不老長寿の妙薬となる。
丸はぎにした蛇の肉を庖丁でこそぎとり、細かくきざんで、スープのなかに入れ、菊の花、支那セリ、干餅、狸の肉を入れて寄せ鍋として、数人でつつく。狸は、日本のものと違って、動物学的には穴熊の親戚に当る種類のものだそうだ。三蛇会料理の季節は、旧暦十一月から三月までの、菊花の時期にかぎられる。香港や台湾のレストランで、メニューに三蛇羹とあったら、三蛇会料理のことである。台北市でも場末のレストランでは、案外安く一客七十元(約六百三十円)で食わせるところがあった。
台湾で、わたしは連れに遠慮をして三蛇会料理を試食してみる機会を逃してしまったが、コブラ料理だったらたべたことがある。台北市に重慶飲食店街というところがある。食いしん坊なら一度は訪ねる価値がある場所だ。露店の食物屋だけが三百メートルくらいの長さの道の両側にびっしりかたまっている。ここで売っている料理をひととおり全部たべようと思ったら、毎日通っても一年くらいかかるのではないかと思われる。この重慶飲食店街で、コブラのスープをたべてみた。ドンブリ鉢くらいのフタつきの容器に直径三センチ、長さ五センチくらいのコブラの胴体のブツ切りが二切れほどと、汁がなみなみと入っており、値段は日本円にして九十円。スープには、|枸杞《くこ》のにおいがした。スープの味は良質のカツオ節でつくった清汁のようで、あっさりしていた。コブラの味はスープに溶けこんでしまい、コブラそのものは、スカスカのダシガラの味。ちょうど、ダシをとったあとのカツオ節の味だった。蛇料理の常として、小骨が多い。壁に書かれたコブラスープの効能書を読むと、血をきれいにし、肌をつややかにし、補腎、補精、胃腸病、肺病によくきくとあった。蛇料理屋へ入ってくるのは初老の男性ばかりだった。若い者がたべていると、とんだ誤解をまねきそうだ。わたしは、大急ぎでスープをたべて店をとびだした。
なお、中華料理のメニューで、龍の字がついたものは、蛇肉の料理のことである。龍鳳菜とは蛇とニワトリの煮込み、龍虎菜は、蛇と猫の煮込みである。
ただし龍蝦というのは、蛇とエビの料理ではなく、ロブスター(イセエビ)のことだから間違いのないように。
龍のシラミ、龍虱と書くのは、昆虫のゲンゴロウのことである。香港のニューテリトリーの中共との国境に近い|上水《シヤンスイ》駅のプラットホームで汽車を待っていたときのことだ。天ビン棒をかついだ物売りが、ホームを行きつもどりつしている。学校帰りのかわいらしい女学生たちが、この物売りからなにかえたいの知れないものを買っている。女学生たちと、えたいの知れないものとの両方をみるために、わたしは物売りのそばに行ってみた。天ビン棒からぶらさげた直径一メートルもあるザルのなかをみて、おどろいた。何百匹とも知れぬゲンゴロウとセミの死体でいっぱいだ。ゲンゴロウを買った女学生たちは、まるでピーナツを口にほうりこむように、楽しげにゲンゴロウをたべはじめた。人一倍好奇心の強いわたしのことである。さっそく、ゲンゴロウを買ってみた。ゲンゴロウ一匹約三円であった。ゲンゴロウも、セミも煎ってあるらしい。ゲンゴロウを一匹つまんで、ガブリとかんでみる。堅い羽根がバリバリとくだけて、口のなかにひっついて始末に悪い。すると、そばでケッタイな外人を見守っていた中国人の一人が、わたしの肩をたたいた。その人はわたしの手のなかから、一匹とって、羽根と脚をもいでくれ、身ぶりでさあたべろという。なるほどこんどは工合よくたべることができた。味はニシンの燻製に近い。ただし、魚油に似た少々むかつきをおぼえる臭いが強く、わたしにはなじめない味であった。慣れたら、洋酒のつまみによく合う食品であろう。日本でも東北ではゲンゴロウを醤油のつけやきにしてたべた地方があるそうだ。
天ビン棒のなかの何百匹ものゲンゴロウをどうやってつかまえたものか、あるいは養殖しているものか、いまだもってわたしはふしぎに思っている。
 チーズにわくウジ、フランスのエスカルゴ、ニューギニアのコウモリの丸焼き、ポリネシアのイヌ料理など、日本でいえば悪食に当るものが他の民族では、ごちそうとされる。東ニューギニアのポートモレスビーの市場では、毛をむしりとった木登りカンガルーを売っていたし、ウエワクの市場では体長が四十センチもあるネズミを料理の材料に売っているのをみた。
ジェオファジー、すなわち、土を食うことは、妊娠中の女性が壁土や木炭を食うなど、異常嗜好として知られている。しかし、日常の食事のメニューに土があげられるのは、ニューカレドニア島、アフリカの一部、南米、カナダのマッケンジー川附近、中国、ジャワの一部にみいだされる。南米のオリノコ川流域に住む、オットマッグ種族は、常に土をこねた団子を焼いて食うという。ときには、魚肉、獣肉、野菜、果物などを土のなかへ入れてマンジュウとしてたべるそうだ。
土ではないが、日本でも「天狗の麦飯」とよばれる食物がある。信州の飯縄山、浅間山、黒姫山、戸隠山の砂地にできる褐色の粘質をした粒を採集してたべるのである。これは、微生物のかたまりが粒状をして集まったものだ。山伏がよくたべたといわれる。
蚊の目玉の料理をご存じだろうか。顕微鏡をのぞいて、一匹一匹針で蚊の目玉をほじくりだして、つくだににするのではない。蚊の多いところで、コウモリをつかまえる。コウモリの内臓のなかで、蚊の身体はすっかり消化されていても、目玉だけは、こなれが悪くて残っている。コウモリの腹をさいて、目玉だけを集めて調理するのだ。その料理法は聞き忘れてしまった。
新しい食物材料の開発、新しい味の発見。このような前人未到の分野にのりだす、パイオニアに、苦難はつきものである。カメレオンの生きづくり、ミミズのラーメン、火星人のタコヤキ。あなたは、世にいれられず、変人のレッテルをはられるであろう。つまはじきをうけることであろう。昔ならば、村八分、あるいは魔術師として火あぶりにされたであろう。先駆者の道は常にきびしく、前衛料理は世にいれられないであろう。だが試みよ。あなたの死後、近代料理の創始者として、ガクブチ入りのあなたの肖像が、すべてのレストランにかかげられないともかぎらない。
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