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食生活を探検する31

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:魚骨亭始末記 学生のころ、わたしは京都大学探検部のメンバーであった。講義には出なくても、うすぎたない探検部の部屋には、毎
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魚骨亭始末記

 学生のころ、わたしは京都大学探検部のメンバーであった。講義には出なくても、うすぎたない探検部の部屋には、毎日のように出入りしていた。よき学生ではなかったが、よき部員ではあったろう。
そのころ、探検部員の間では、野草や昆虫のたぐいをたべることがはやっていた。べつに、ゲテモノ食いをほこっていたのではない。野生の動植物からたべられるものを見つけだし、それを識別できることは、探検、登山を志す者の教養の一つであろう、と考えていたのだ。探検部の機関誌「探検」二号には吉場健二、三号には本多勝一が、「野外動植物の食い方」という論文を書いている。
一九五九年六月、長いあいだ解散していた京都大学の学生運動の中心団体である同学会が再建され、その記念祭が京大西部構内で行なわれることとなった。同学会の加盟団体である探検部へも、記念祭でなにか催物をするようにとの要請があった。
「どないする?」
「この機会に金をもうけてくれなはれ。岩登用のザイルも買い換えんとあかんし、部費の納入状態も悪いし、探検部が破産せんよう考えてくれなはれ」と、会計係がいう。
「ほんなら、模擬店を開くこととしようか」
「元手はどないする?」
「オデンやヤキトリなんぞ高級なものを考える必要あらへん。原価がただのものをようけい使ったらええ。サワガニ、カエル、オタマジャクシ、何でもただの季節の材料をさがしてきて、料理するんや。かえって好奇心をそそって、|流行《はや》りまっせ」
「そや、そや!」
ということで、記念祭に、一杯飲み屋、「魚骨亭」を開くことにきまった。魚骨亭とは、探検部の部旗のデザインからとった名である。ロウケツ染めで紺地に白くぬいた、フグともイワシともつかない尾頭つきの魚の骨の形が、わが探検部のトレード・マークであり、世界のいたるところに、この旗をひるがえそうというのが、わたしたちの意気込みであった。
 議論百出の結果、当日の献立は、次のようにきまった。
ザリガニのフライ  アメリカでは、かなりの高級料理とされるが、日本では材料費がただ。エビフライの要領でつくる。
カエルのつけやき  カエルの種類は問わない。皮をきれいにむくことが肝心。トノサマガエルくらいだったら、骨ごとたべられる。香ばしい味がする。後年、インドネシアで、カエルの塩焼きに、種々の香料をふりかけた料理をたべたが、せっかくのカエルの香味が、香料によってわからなくなってしまっていた。カエルは、あっさりとした味付けにかぎる。
タニシ、ドブ貝の煮つけ  これは、日本各地で家庭料理の献立のなかに入れられていた料理である。泥くささを消すために、ショウガを一緒に煮ることが秘訣。
オカウナギのカバヤキ  マムシ、シマヘビ、ヤマカガシ、なんでも材料はえらばない。捕獲法に工夫がいる。同じ一匹でもウナギの数倍食いでがある。
ゴジラ料理  わたしたちは、クジラをゴジラと呼びならわしていた。「ゴジラ対アンギラス」という映画があった。探検部長の四手井綱英教授のニックネームがアンギラスであった。アンギラスが探検部にいるのなら、ゴジラも存在しなくては片手落ちだ。ゴジラ役に適当な部員がいないので、わたしたちは語呂あわせで、クジラをゴジラとよんだ。
学生のことである。牛肉や豚肉はぜいたくであった。山での合宿の際などに、もっとも一般的な蛋白源としてクジラの肉が使われた。長期間山へ入るときには、クジラをいったん煮てから、乾肉にして保存に耐えるよう工夫したりした。したがって、クジラ料理は、わたしたちのお家芸であった。ステーキによし、フライによし、煮つけによし。クジラのロースは、サシミにもよい。
ホルモン焼き  関東でいう「もつ焼き」のこと。肉屋を経由せずに、屠殺場から直接買うと、当時、バケツ一杯三百円程度で、新鮮な臓物を手に入れることができた。ただし、レバーや心臓など上等のところは入っていない。牛の腸一本で、バケツが一杯になってしまう。
ツアンパ  チベットの主食である。関西ではハッタイ粉、関東では麦こがしとか、コウセンとよばれている大麦をいって粉にしたもの。そのまま、砂糖を入れて、口のまわりを粉だらけにしてもぐもぐやるのもよし。チベットで一般的なたべかたは、木椀に入れて、うえからチベット茶を注いで、舌をのばしてペロリとやる方法である。チベッタン・ティーとは、|磚茶《タンチャ》、すなわち、茶屑をむして板のように固めたものをけずって、煎じ出し、これを木や竹でつくった一メートル程の長い筒に入れて、ヤクからとったバターを多量に加えて、脂肪が水に混るまでかきまわす。これに岩塩を加えて飲む。
北アフリカのアラビア人は、麦こがしを携行食に使う。たべるときは、砂糖と塩をまぜ、水でねって団子のようにして、口に入れる。麦こがしを多量にたべると、やたらにオナラが出るので淑女は御用心。
チャパティ  小麦粉、雑穀を粉にしてこねてから、一、二ミリまで薄くのばし、直径二十センチくらいの円板状にして、かまどにはりつけて焼く。さきにのべたように鉄板に油をのばして焼いてもよい。弱火でカリカリになるまで気長に焼く。インドから中近東にかけて、西洋のパンに相当する食品として用いられている。真白な精選された小麦粉でつくると、本場のチャパティとはまるで違った味になってしまうので、小鳥屋へ行って、飼料のフスマを買ってきて小麦粉にまぜて風味をそえるのがコツ。
さて、飲み物の種類はつぎのとおりであった。
松葉ビール  部員の誰かが、ものの本でシベリアの原住民が、松葉からビール状の飲物をつくっているとの記事を読んで考案したもの。ぬるま湯のなかに松葉を多量にほうりこんで一日おくだけで出来あがり。うす緑色をおびた液体で、泡立ちはあまりよくない。少ししぶ味をおびて、かすかに松脂くさいにおいがするが、けっこう茶のかわりになる。アルコール分を含まないので、国税庁から密造酒の手入れをくらう心配はない。しかし、ビールというからには、酔がまわるようにしなくてはという意見もあり、アルコール添加をし、砂糖を少量入れて甘味もつけた。
魚骨亭カクテル  ジュースパウダー、カルピスのたぐいを適当にミックスして、ソーダ、アルコールを入れてつくる、でたらめ飲料。アルコールは、理科系の学部に所属する部員が、各自の研究室から純粋なエチルアルコールをくすねてくることとした。純粋アルコールを水でうすめただけの液体が、カクテルベースだから、くせがなく、どんな調合のミキシングにもあう。
ドブ  当時、京都では密造のドブロクを交番の前の飲屋でさえも出してくれた。わたしたちは、そんな飲屋の常連であったので、やすくわけてもらえた。飲屋でのんでもビールビン一本の量が三十円だった。これをコップ一杯十円で売れば、かなりの利益があるはずであった。そのほか、ほんものの焼酎、二級酒(合成酒)のたぐいも若干用意した。
当時の探検部ルーム日誌をみると、魚骨亭のための部員の作業分担の割当とともに、おのおのの係の任務心得書が残されている。飲食店経営の参考までにうつしておこう。
マスター  もうかるように、ぬかりなく経営の采配をふるうべし。
会計  金を取るの一念で、確実に代金を回収する。客にとってもっともスムーズな、代金支払システムを考えるべし。
料理人  腕によりをかけて独創的料理を提供するべし。人に食わせるの一念が肝要。いっぱい食わせてはいかん。
酒屋  チュウ、ドブ、清酒、松葉ビール等を容器につぐ役、情勢によっては、マスターと相談し、水ましをするべし。
給仕  愛嬌よくたちまわること。身なりはサッパリしていること。テーブルのうえに客が残したコップ、皿などを迅速に片づけ、常に店内を清潔に保つべし。
洗い屋  皿・コップを専門に洗う役。この係が手をぬくと、客は食物に手をつけずに逃げ帰る。
走り屋  ときの情勢により、材料の仕入れ追加を必要とする見込み充分であるから、常に自転車とともに待機し、市場へ、酒屋へ、ドブ屋へ走らねばならない。
ヨロズ屋  以上諸役を全般にわたり助ける。ときにはサクラになり、店内でさわいで客を集めることが必要。客が充分集まったら、外へ出て客に席をゆずること。勝手な飲み食いは厳禁。
仕込み屋  次の日曜、宇治へ行き、ザリガニ、カエル、ヘビ、貝類など、食糧採集をする。つまみ食いは許さぬ。
 かくして、用意万端整い、記念祭当夜、玩具の花火を打ちあげて、魚骨亭は、にぎにぎしく開店した。料理は一皿三十円均一、清酒、焼酎、カクテルがコップ一杯三十円、ドブ、松葉ビール、アフガン酒は一杯十円であった。テント張りの店は常に客でいっぱいで、材料の追加に、走り屋が駆けまわるありさまであった。売りあげは、七千二百五十円に達した。しかし、あとで純益を計算してみると、たったの七百四十円とは、一同首をひねったことであった。連日の予行演習で、店開きをする前に、売上分をすでに部員たちで、飲み食いしてしまったのである。
魚骨亭はその後、毎年、京大十一月祭に開店している。部員が海外へ行くたびに、新しいメニューが追加され、いまでは、ニューギニア、アフリカ、南米など、世界各地の珍しい料理が居ながらにして味わえるようになっている。どうぞ一度お越しのほどを。
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