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食生活を探検する32

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:生兵法は大けがのもと わたしの仲間たちが野生の動植物をよくたべるのは、ゲテモノ食いとは意味がちがった理由による。べつに奇
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生兵法は大けがのもと

 わたしの仲間たちが野生の動植物をよくたべるのは、ゲテモノ食いとは意味がちがった理由による。べつに奇をてらって、人のたべないものを試みて、バンカラな勇気をほこっているわけではない。
探検に出かけて、食糧がなくなったとき、野生の動植物を採集して、飢えをしのぐために平素から訓練をしているのだろうか。そうでもない。食糧が欠乏するような探検は、落第作である。探検の食糧計画は、現地で入手可能な食糧を確認し、そのうえにたって持参するべき食糧のしっかりした計算にもとづいておこなわれる。
人の住んでいる場所が対象だったら、小人数のパーティーならば食糧なしに出かけることもあり得る。しかし、この場合には、完全な現地食主義に徹底することができる覚悟をまず養っておくことが大切だ。期間が延びたり人数が少々増えたりしたくらいで、食糧不足になやまされるような探検は、素人の立案によるものである。わたしたちの仲間で、探検中飢餓に悩まされた例はない。
気まぐれな自然にたよって、野生動植物に依存した探検の食糧計画をたてることは、危険である。探検という近代的事業を、旧石器時代の狩猟採集民と同じレベルまで引きさげることはあるまい。また、見知らぬ土地の野生植物のうちから、食用になるものを見つけだすのは、困難である。熱帯降雨林の植物などは、よっぽど熟練した植物分類学者でなかったら、現地の植物のどれが日本の同じ科の植物に属するかどうか判断もつきがたい。へたに野生植物をたべて中毒死したということにもなりかねない。
では、なぜわたしたちは野生動植物をたべるのか。こう問われたとき、「趣味ですな」と答えるのがいちばん無難であるが、その趣味をもう少し説明してみよう。
わたしたちの仲間には、自然に対する一種の素朴なアニミズムがあるようだ。わたしたちは、自然を人間に対する敵対物であるとして、自然を征服することによって生きがいを発見する西洋的な自然観とはちがう情念をもっている。自然は、わたしたちをやさしく包んでいるものであり、わたしたちの心に常に同調するなにか精霊のような力を放射しているものである。わたしたちは、自然を心情で理解できるものとしてうけとめているらしい。自然と人間という対立はなく、自然のなかの一員としてのわたしたちがあるというのが、仲間の感覚らしい。
そこで、ある野生の植物がたべられることを発見したときに、そのことによって、自然をまたすこし理解できたという、うれしさを感じるのである。
じつは、日本での野生植物のたべかたについては、わたしたちの発見はほとんどなく、再発見ばかりである。野生植物の食用になるものについての知識は、古代の人びとのほうがずっとくわしかったにちがいない。|蔬菜《そさい》にあたる栽培植物が少なかった古代には、オカズにあたる青物は、山野に自生しているものを採集によって得ることが多かった。昔、蔬菜の少なかったのは日本ばかりでない。十二世紀のイングランドで一般的に使用された疏菜はエンドウ、インゲン、サトウダイコン、ニラの四種であったという。
野菜と蔬菜は、今日では同義語のようになってしまっているが、もともとは、野菜は文字通り、野の菜を示すことばであった。万葉集に「若菜つむ……」などと草つみのことがでてくるが、このころには野生植物の採集は日常の食生活にそれほどめずらしいことではなかったであろう。そのうち「若菜つみ」は中国での「踏青」とむすびつき、宮廷行事として形式化してしまったが、植物採集の伝統は、現在でも正月の七草粥に伝えられている。
蔬菜が多くなってから野生植物は、救荒用の食糧としてあつかわれるようになる。天明、天保の飢饉のころ、米沢藩主上杉鷹山が野生食用植物の利用法テキスト「かてもの」を刊行したが、これと同じような本が、太平洋戦争の後半から何冊か発行されたことは、記憶にまだ新しいことであろう。
野生の動植物を食用にするときには、正しい知識が必要である。新しいものを試みるとき土地の人に聞くなりして、食用になるものであることを確かめることが必要である。これをおこたって、ひどい目にあった話を書こう。
宝島。スティブンソンの小説の題名ではない。日本にも宝島と呼ばれる島がある。行政的には鹿児島県鹿児島郡十島村に属する。十島村といっても現在は、屋久島の南、奄美大島の北に南北に連なる島々、|口之《くちの》島、中之島、|臥蛇《がじや》島、|諏訪之瀬《すわのせ》島、|平《たいら》島、|悪石《あくせき》島、宝島の七つの島からなりたっている。これらの島々を吐喇列島という。お読みになれただろうか。中国の史書に現われる中央アジアの地名のような感じの名前だが、これをトカラ列島とよぶのだ。
わたしの訪れた一九五九年当時で、七島あわせての人口が二千五百人程度であった。臥蛇島には十一戸しか島に住みついている人びとはいなかった。それからどんどん人口の流出がはげしくなるいっぽうであるから、現在では、無人島に近くなっているところもあるかもしれない。島の中学校を卒業したら、ひとり残らず島を出て、進学なり、就職をしてしまう。島を離れた若者達は、内地で(と島の人はいう)結婚をして、島へはもどらない。そこで、島は老人だけになってしまい、島で子どもが生れることも、まれになってくる。一九五九年で、宝島の青年団員の最年少者が三十歳を越えていた。むしろ中年団員とでも呼ぶべきであろう。当時の宝島の人口が約五百人、一九六八年夏に宝島を訪れた友人の話では、二百七十人に減っていたという。
十島村の村役場は中之島にあるが、村会を開くときには、村営の汽船十島丸が各島を回って議員を収容し、鹿児島市で村会が開かれる。さまざまの便を考えると、このほうがずっと都合がよいのだが、村外で村会が常時開催されるところも、ほかにないだろう。
宝島は、トカラ列島の最南端に位置している。どうして宝島という名がついたのかはわからない。一説には、この島のどこかに海賊キャプテンキッドの財宝が隠されているという。
一九五九年の夏わたしは、宝島に行った。別に宝さがしに行ったのではない。京都大学探検部の宝島パーティーというのに参加していたのだ。
そのころ、わたしたちは、日本の離島の調査にやっきになっていた。わたしたちは、いつか、ニューギニアの探検をしようと考えていた。だがニューギニア探検にのりだすには、わたしたちは力不足だった。そこで、まず、日本の離れ島から手をつけようということになった。日本の島を知らずして、いきなりニューギニアのような大島へ乗り出すのは、おこがましいではないか、という論理であった。この論理が当をえたものであるかどうかは少々疑わしい。世界で第二の大島ニューギニアと二時間もすれば島を一周できる宝島が、ただ大陸ではないというアナロジーでつながるかどうかは、あやしいことだ。
しかし、わたしたちは、本気であった。探検部から日本の離島調査のパーティーがいくつも出された。その次の段階として、南太平洋のトンガ諸島、スンダ列島のチモール島、インド洋のマルディブ諸島へと探検部の学生たちが出かけていった。そして、ついに念願のニューギニアへも踏みこむこととなったのだ。
前おきが長くなりすぎた。宝島の話にもどろう。
さて、宝島でわたしたちは青物の欠乏に悩まされた。当時、島では蔬菜が非常に少なかった。もともと、野菜を植えてある耕地面積が非常に少ない。村の農協では、鹿児島から移入した野菜を売っているくらいだ。わたしたちは、一行七名であった。わたしたちが野菜を買いまくったら、島の人びとがたちまち困ることになるだろう。わたしたちは、青物を手に入れることをなるべくひかえていた。
ある日、仲間の一人が、宿舎にしていた小学校(中学校も同じ所にあり、村長、先生は兼任だった)の裏山に、サトイモが自生しているのを見つけたと、とんできた。念のために、島の人びとに聞いても、そんなところに、サトイモを植えた者はいないという。持主がないものだったら、ちょうだいしよう。ただし、イモの部分は掘るのを遠慮して、イモが育つように葉と茎の部分を植物の生育にさしつかえない程度に少しずつとって野菜として使おうということになった。早速、もいできたサトイモの葉と茎を、大ナベに入れてカマドの灰を一つかみほうりこんで、|灰《アク》ヌキをした。これを煮つけと味噌汁の具にして昼食がはじまった。
味噌汁を一口味わって、
「灰ヌキがうまくいってないぞ!」
といいながら、サトイモの葉をかみしめかけているうちに、猛烈にいがらっぽくなった。
「こりゃ食うたらあかん!」
といおうとしたら、舌がうごかない。舌が硬直したようで、舌の根本から一枚の板になってしまったようだ。口は麻痺してしまい、意味のある音声はでずに、ただやたらにヨダレが流れる。見まわすと、一同すべてロレツがまわらず、アワアワいいながら、ヨダレをたらしている。もう、口がしびれてメシを食うどころではない。われ先に、ウガイをしに部屋をとび出した。
口の麻痺状態は半日続いた。
島の人は、たぶんクワズイモにあたったのだろうと言った。
栽培植物学の権威、大阪府立大学教授の中尾佐助さんに聞いたところ、クワズイモではなく、野生のサトイモにやられたのだろうとのことだ。クワズイモのひどいのだったら、へたしたら一命にかかわるものもある。植物の形からいっても、サトイモのたぐいであるらしい。九州から南にはクワズイモをふくめたサトイモ科の野生化したものが、自生しており、現在の栽培種とは比較にならないほど強い毒性を示すという。
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