テーブルマナーは、西洋料理や日本料理のときだけ気にかけるものではない。テーブルの存在しない場所でも、まもらねばならない食事作法はある。
たとえば、アフリカの回教徒の多くは、手づかみで食事をする。手づかみで食事をするとき、けっして左手を使用してはならない。左手は回教徒にとって、不浄の手である。ものの受け渡しのときも、左手で人に品物をつきだしてはならない。食事のとき左手も使って、とがめられないのは、パンを引きちぎるときぐらいである。これすらも、右手だけでやってのける者もいる。大きな肉の塊りの料理から、骨をはずすにはどうしても二本の手がいる。右手だけでどうするのか。敬虔な回教徒は、隣りの人に引っぱってもらうのである。一人が肉をもち、もう一人が骨をもって、右手だけを使って、引っぱり合うのだ。
食事の前後には、必ず手を洗う。北アフリカだったら、家庭で食事をするとき、洗面器とヤカンがつきものだ。上流の家庭では、真鍮製の手洗専用の水差しと水盤がある。洗面器のうえに手をさしだすと、隣りに坐った者がヤカンからちょろちょろ水をかけてくれる。シャボンを使ってよく手を洗ったあと、洗面器を隣りの客にまわし、今度は、こちらがヤカンで水をかけてやるのが作法だ。食事中、手洗用のヤカンから水を飲むことは、不作法ではない。また、食後、手を洗うとき、ヤカンからそそがれる水を右手のくぼみにうけて、口をすすいだのち、洗面器にうがいをした水をはき出すのも、マナーの一つである。
北アフリカのベドウィン系の遊牧民のごちそうの一つは、スパゲッティだ。スパゲッティを二、三センチに折って肉を加え、トマトソースでたきこんだ、一種のにこみウドン風の料理をつくる。スパゲッティをたべるときは、スプーンを用いることが多い。こまかく折ってあるので、フォークで巻きつけるわけにはいかない。スプーンを使うので、手がよごれることはないのだが、それでも食事の前後には手を洗わねばならない。
たとえば、アフリカの回教徒の多くは、手づかみで食事をする。手づかみで食事をするとき、けっして左手を使用してはならない。左手は回教徒にとって、不浄の手である。ものの受け渡しのときも、左手で人に品物をつきだしてはならない。食事のとき左手も使って、とがめられないのは、パンを引きちぎるときぐらいである。これすらも、右手だけでやってのける者もいる。大きな肉の塊りの料理から、骨をはずすにはどうしても二本の手がいる。右手だけでどうするのか。敬虔な回教徒は、隣りの人に引っぱってもらうのである。一人が肉をもち、もう一人が骨をもって、右手だけを使って、引っぱり合うのだ。
食事の前後には、必ず手を洗う。北アフリカだったら、家庭で食事をするとき、洗面器とヤカンがつきものだ。上流の家庭では、真鍮製の手洗専用の水差しと水盤がある。洗面器のうえに手をさしだすと、隣りに坐った者がヤカンからちょろちょろ水をかけてくれる。シャボンを使ってよく手を洗ったあと、洗面器を隣りの客にまわし、今度は、こちらがヤカンで水をかけてやるのが作法だ。食事中、手洗用のヤカンから水を飲むことは、不作法ではない。また、食後、手を洗うとき、ヤカンからそそがれる水を右手のくぼみにうけて、口をすすいだのち、洗面器にうがいをした水をはき出すのも、マナーの一つである。
北アフリカのベドウィン系の遊牧民のごちそうの一つは、スパゲッティだ。スパゲッティを二、三センチに折って肉を加え、トマトソースでたきこんだ、一種のにこみウドン風の料理をつくる。スパゲッティをたべるときは、スプーンを用いることが多い。こまかく折ってあるので、フォークで巻きつけるわけにはいかない。スプーンを使うので、手がよごれることはないのだが、それでも食事の前後には手を洗わねばならない。