アフリカやニューギニアの奥地へ行くと、いまでも人喰人種がうようよしていて、不運な探検家は、捕えられたら、釜ゆでかバーベキューにされてしまい、骨までかじられてしまうという迷信がいまでも存在する。これは、ヘルメットをかぶった探検家が焚火のうえにかけた大きな土ガメから首を出しており、その前で土人が鼻の障子に骨飾りをつきさしてヤリを持って踊っている漫画に由来することが多い。
ニューギニア高地の未探検地域で、現地人に試みに、
「あんたがた、人間を食うことがあるかね?」とぶしつけな質問をしたところ、実に軽蔑するような表情で、
「オマエさんたちは、人間を食うのかね?」
とやりかえされた。
もともと、人喰人種といわれてもしかたがないほど、人肉を日常の食卓に供する民族や部族は、世界でもきわめてまれな例であった。まじないや儀礼のために、まれにやむを得ず人間の|犠牲《いけにえ》の肉をたべねばならない場合がある部族や、宗教上の目的で、ほんの一部の者がたまに人肉をたべたことがあるだけでも、後進国の人びとはおおげさに人喰人種というレッテルをつけられてしまう。
現在の文明国の歴史をみても、人をまったくたべた者がない国民は存在しないだろう。日本でも、「日本書紀」欽明記に、飢饉のとき「人々相喰う」との記事がみえ、太平洋戦争のときを不問にふしても、西南の役のときですら、人肉をすき焼きにしてたべたことがあるらしい。イギリス人もフランス人でも、飢饉のさいや、異状嗜好の持主が人を食った話が残っている。
なんでも食ってやろうという精神が旺盛な中国人は、実によく食っている。料理法もさまざまで、人間のシチュー、乾肉、むし焼き、刺身、はては、きざんで塩とコウジにまぜ酒にひたしてツボに密閉し一種の塩辛をつくるような手のこんだこともする。孔子の弟子、子路が殺されて塩辛の材料にされたことは論語にも出ている。市場で人肉が公然と売りに出されたこともまれではない。
故桑原隲蔵博士は、「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文で、中国での人喰いの総まとめをしている。人を喰ってやろうという者にとっては、必読の教養書である。この論文によると、八八二年から九二二年の四十年間に、「|資治通鑑《しじつがん》」一書に記録された人喰いの記事だけで、十七件に達している。だがそんな歴史があっても、文明国民を人喰人種とはよばずに、未開民族で、たまたま人肉を食った一例だけを聞いて人喰人種と呼ぶのは、未開民族にとって失敬な話である。
たとえば、わたしの知るニューギニア高地のダニ族は、決して人喰いの習慣を持っていない。それだのに、異常な状況のもとに、人間をたべたかのごとく思われる一例をもってして、ダニ族を人喰人種ときめつけ、「人喰人種の谷」と名付けられた本が、アメリカで出版されている。だが、ダニ族が人をたべているのを見た者は、誰もいないのである。
最後にまで残っていた人喰人種の名所、西ニューギニアの南海岸地方でも、一世代前に食人の風習はやんでしまった。現在の世界には、もはや、人喰人種はほとんどいない。
「食われないように気をつけろよ!」てな別れのことばを探検家に言ったら、ゲラゲラ笑われますぞ。
ニューギニア高地の未探検地域で、現地人に試みに、
「あんたがた、人間を食うことがあるかね?」とぶしつけな質問をしたところ、実に軽蔑するような表情で、
「オマエさんたちは、人間を食うのかね?」
とやりかえされた。
もともと、人喰人種といわれてもしかたがないほど、人肉を日常の食卓に供する民族や部族は、世界でもきわめてまれな例であった。まじないや儀礼のために、まれにやむを得ず人間の|犠牲《いけにえ》の肉をたべねばならない場合がある部族や、宗教上の目的で、ほんの一部の者がたまに人肉をたべたことがあるだけでも、後進国の人びとはおおげさに人喰人種というレッテルをつけられてしまう。
現在の文明国の歴史をみても、人をまったくたべた者がない国民は存在しないだろう。日本でも、「日本書紀」欽明記に、飢饉のとき「人々相喰う」との記事がみえ、太平洋戦争のときを不問にふしても、西南の役のときですら、人肉をすき焼きにしてたべたことがあるらしい。イギリス人もフランス人でも、飢饉のさいや、異状嗜好の持主が人を食った話が残っている。
なんでも食ってやろうという精神が旺盛な中国人は、実によく食っている。料理法もさまざまで、人間のシチュー、乾肉、むし焼き、刺身、はては、きざんで塩とコウジにまぜ酒にひたしてツボに密閉し一種の塩辛をつくるような手のこんだこともする。孔子の弟子、子路が殺されて塩辛の材料にされたことは論語にも出ている。市場で人肉が公然と売りに出されたこともまれではない。
故桑原隲蔵博士は、「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文で、中国での人喰いの総まとめをしている。人を喰ってやろうという者にとっては、必読の教養書である。この論文によると、八八二年から九二二年の四十年間に、「|資治通鑑《しじつがん》」一書に記録された人喰いの記事だけで、十七件に達している。だがそんな歴史があっても、文明国民を人喰人種とはよばずに、未開民族で、たまたま人肉を食った一例だけを聞いて人喰人種と呼ぶのは、未開民族にとって失敬な話である。
たとえば、わたしの知るニューギニア高地のダニ族は、決して人喰いの習慣を持っていない。それだのに、異常な状況のもとに、人間をたべたかのごとく思われる一例をもってして、ダニ族を人喰人種ときめつけ、「人喰人種の谷」と名付けられた本が、アメリカで出版されている。だが、ダニ族が人をたべているのを見た者は、誰もいないのである。
最後にまで残っていた人喰人種の名所、西ニューギニアの南海岸地方でも、一世代前に食人の風習はやんでしまった。現在の世界には、もはや、人喰人種はほとんどいない。
「食われないように気をつけろよ!」てな別れのことばを探検家に言ったら、ゲラゲラ笑われますぞ。