私の家庭は複雑だった。といったら無責任な言葉になる。そこにもし私一人いなかったら、家の中はどれほど単純明朗になっていたかわからない。妻が四人変った、それだけで父の不幸は手一杯だったはずである。
その中で私は物書くことに熱中した。小学校の教科書より少女雑誌のほうが面白かったので、早くから投書などした。上級学校へ行かず銀行に就職し、受け取る給料は小遣いにして好きなことだけに精出す、親にとって迷惑な娘であった。
投書仲間十何人かで女性だけの同人詩誌「断層」を出したのは、私が十代の終りごろ、投稿詩の選者、福田正夫氏の指導に寄りかかって出来たことであった。毎月編集に集まる師の家で、詩と関係があるようでないような話も出る。未婚者がほとんどだったから、
「いいかい? 自分から落ちてはいけないよ。落ちた木の実は鳥もつつかない。枝の上で待つことだ。ああおいしそうだなあ、と思って人がそれをもぎとるまで」
聞いていて自分が、からだごと小枝の先で重くなるりんごのような気がした。
当時男女間の交際は戦後ほど自由を認められていなかったし、私の勤め先では職場結婚をゆるさなかった。身分制というものがはっきりしていて、男性は女性の上位にあった。万事ひかえ目にすることが女の美徳とされていたから、男より先に愛を打ちあけて成就《じようじゆ》する割合は現在よりずっと少なかったろう。
けれど師の言葉は、だから待て、と言うのではなかったと思う。ひとり実って、与えることをごく自然に待つ姿。どんなに心がひもじくても物乞いしてはならない愛というもの——師がこぶしを軽く上げて見せた、その高さにいまも目がとまる。不肖の弟子はかすかな風にも落ちてばかりいた。待つことは、しんぼうのいる、むつかしいことでもあった。
もし女性が結婚を目的にしなかったら、今よりずっと成長するだろう、と言った人がいたが。私もそうだろう、と思う。結婚しない、というのではなく、結婚をアテにして暮さないということである。
世の中が新しくなったというけれど、若い女性が働く余暇の大半を、昔と変らぬ花嫁修業的なことに当てているのはなぜだろうか。一通りのおけいこごとをして結婚を待つ、待ち方に古さを感じる。会社がそういう嫁入り前の女性を適当に使おうとするのであれば、使い方を変えさせるか、使われ方を自覚してかからなければならないだろう。
結婚式の豪華さはごく最新の現象である。いつか土曜日の、少し混み合っている湘南電車で珍しい情景を見た。
出発[#「出発」はゴシック体]
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花嫁はいちばんすみの席を選んだ。
花婿がその隣に腰かけた。
それから互いにソッポを向いた。
花嫁はいちばんすみの席を選んだ。
花婿がその隣に腰かけた。
それから互いにソッポを向いた。
けれどまわりの人たちは
すっかり承知してしまった。
ついさっき
ふたりが婚礼をすませてきたことを。
すっかり承知してしまった。
ついさっき
ふたりが婚礼をすませてきたことを。
花嫁はちいさな花束を
両手で握りしめていたから。
花婿のボストンバッグは新しかったから。
まわりはこんでいたから。
両手で握りしめていたから。
花婿のボストンバッグは新しかったから。
まわりはこんでいたから。
二等車の花嫁は質素だったから。
孔雀が羽をひろげたような
誇らしい花嫁ではなかったから。
孔雀が羽をひろげたような
誇らしい花嫁ではなかったから。
花嫁はかたく口をむすび
花婿はどうしようもない申し訳なさで
若く細い首を立てていた。
花婿はどうしようもない申し訳なさで
若く細い首を立てていた。
二等車の客たちは
見て見ぬふりの視線を
ふたりにふりそそいだ。
どっさりふりそそいだ。
その祝福は言葉にも品物にもならなかった。
見て見ぬふりの視線を
ふたりにふりそそいだ。
どっさりふりそそいだ。
その祝福は言葉にも品物にもならなかった。
車中に満ちていたのは
遠慮と恥ずかしさばかり。
遠慮と恥ずかしさばかり。
そこで花嫁と花婿が、ああ
どんなに発車の合図を待ったことか。
どんなに発車の合図を待ったことか。