少女のころでした。
「君はお茶がきらいか」
いつまでたっても湯のみには手を出さず、お菓子ばかり食べちゃって——。どうしてお茶までいるのかしらん、と不思議に思った日もありました。
このごろは、お菓子はほしくなくて、おいしいお茶を望みます。
大正期、『民衆』という詩誌を創刊した恩師福田正夫氏の墓が小田原市の久翁寺にあり、毎年弟子たちが五月か六月にお参りいたします。皆が本堂で雑談中、私ひとりそっとぬけ出し、庭の茶|摘《つ》みを手伝ったことがありました。
「こんなにどっさり芽を摘んでも、お茶にするとひとにぎりです」
きれいにお化粧したダイコクさんの笑顔がひきしまりました。