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ユーモアの鎖国34

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:日記 二月五日  日曜、呼び出されて月島の親類へ行く。理由はわかっている。私に早く家を出なさい、という忠告。出ます、と約
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日記
 二月五日  日曜、呼び出されて月島の親類へ行く。理由はわかっている。私に早く家を出なさい、という忠告。出ます、と約束する。「私が出て、あと大丈夫かしら?」「そんなことを言っているからいけない」と叱られる。結婚もせず、本当に長く居すぎてしまった。私が食べてきたのは御飯だったか、家族だったか。現在我が家はお墓に七人、こちらに四人。帰途都電で勝鬨《かちどき》橋を渡る。広々とした川の眺めが銀座の目と鼻の先にあることを忘れていた。
 二月七日  職場新聞の担当者きて、丸の内のうつりかわりについて書きなさい、という。ビルディングというもの、どれも半永久的かと思っていたら、銀行の建物が耐震理論確立前の設計であるため、四十年で老朽化してしまったという。先日取こわしをはじめた海上ビル旧館が全体白布に覆われているのをみた時はギョッとした。人間を葬送するカタチに似すぎている、と思って。
 二月十一日紀元節だという。
 二月十二日  連休、雪が降り続いている。子供たちはうれしくて仕方ないらしい。近所で声があかるい。家にいても落着かないので午後風呂敷に本一抱え包み電車で五反田まで出る。喫茶店の人ごみは平気なのに家人に見られるのがはずかしい、因果な性分。お茶を飲むわずかな時間に何冊もの本読める筈なし。戻ったら親類の料理店にあずけた下の弟、川崎から来ていた。子供の時病気して簡単な読み書きがせいぜい、そのくせ料理の本など買いこんできて、私共においしい物を食べさせようとする。紫キャベツを買って頂戴、などとねだる大人である。彼がくると母も上の弟も喜んでいるのがわかる。
 二月十三日  昼休み、職場で公募した組合歌のことで集会。昨日の日曜、雪合戦をしてくたぶれた話が議題のまくらとなる。雪質が良すぎてダルマには適さなかった、と真面目に語る父親たち、ダルマもむつかしくなってきた。
 二月十五日  晴天。新丸ビルの前のきれいに乾いた舗道には、けやきの根かたに白い雪を少量残すばかり。しめっているわずかな地面、まるで木が氷菓子を前にして立っているような感じ。けれど四十分前に出てきた品川在の露地裏はそうゆかない。雪はよごれ果てているのに消えることが出来ない。朝の道はカリカリ凍っているけれど、陽が高くなるとおしるこになる。この生活の差異に嘆きと怒りを訴えるのは中高の私の靴、靴には靴の仲間がいる。
 二月十八日  退行後旧丸ビルを散歩する、土曜の午後の習性。丸善へより、はいばらをのぞき、冨山房へはいる。陶器はいいなあ、花屋もちょっと。二階へ足をのばし銀杏堂から御木本《みきもと》の前を通りすぎて文祥堂へ。この時刻は閑散至極、ビルの中の古い落着いた街をゆっくりぬけてゆく。束縛のないよろこびとあてのないさみしさ、終点のヴォアラでコーヒーを飲み本でも読んでいると、太陽は私に無断で傾いてしまう。
 二月十九日  家人外出、四畳半占領、炬燵《こたつ》にはいってあたたまったら、去年から抱いてきたひとつの思いが孵《かえ》った。題は「公共」。
 タダでゆける
ひとりになれる
ノゾミが果たされる、
 トナリの人間に
負担をかけることはない
トナリの人間から
要求されることはない
私の主張は閉《し》めた一枚のドア。
 職場と
家庭と
どちらもが
与えることと
奪うことをする、
そういうヤマとヤマの間にはさまった
谷間のような
オアシスのような
広場のような
最上のような
最低のような
場所。
 つとめの帰り
喫茶店で一杯のコーヒーを飲み終えると
その足でごく自然にゆく
とある新築駅の
比較的清潔な手洗所
持ち物のすべてを棚に上げ
私はいのちのあたたかさをむき出しにする。
 三十年働いて
いつからかそこに安楽をみつけた。

二月二十一日  誕生日。若い仲間が「で、おりんちゃん、四捨五入するとどっち?」と笑顔。四十なのか五十なのか、というのだ。大ざっぱすぎやしないか、と意見しておく。ここまで来てしまったからには、いっそオニババリンを宣言、たじろぐことなく生きるため、恥という恥をさらけ出すとしようか。
夜、炬燵の中で四時となる。このところ、隣の家の念仏が十二時をすぎても低く続く。一時をまわる頃には近くの保健所工事現場から、鉄筋を打ち込む音が規則正しく響きはじめる。私の所在を知って台所口へ呼びにきたのはノラ猫シロ、夜食をよこせというのであった。貧しくにぎやかな夜更け、寒い冷たい夜更け。
 二月二十四日  長い間働いてきた仲間の一人が、先の目当もなくやめる、というのを皆でひきとめた。だが他人事とも思えない、世間でいうBG、職場の花などと呼ばれ、花を落した後どうやって根を深くすれば立って行けるか。また、未婚者が自分の資質をゆがめず、素直に年をとるにはどうしたら良いか、その困難さについて、先輩女性と語り合う。
 二月二十六日  ニイニイロク、三十一年前、赤坂山王下近くに住んでいたことを思い出す。何が起ったか、すぐそばに居て知らなかった。あのときは少女だった、じゃ今はどうなのか。
 二月二十八日  住宅公団の申込抽籖結果、落選のはがき、大分たまる。面倒だけれど、どこかさがしてひとりになろう。
 三月四日  昼、仕事をしていたらお茶にさそわれ、パレスホテル十階に案内された。宮城前広場と濠端《ほりばた》のビル街が一望出来る結構な場所である。話がどこを通ってそこへ行ったのか、戦争のことになる。話しながらふと、二重橋に目がゆく。よく構築されてある——そう思い、目を右にズラすと緑の木の間がくれにダイダイ色の新宮殿造営中の姿があった。
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