引越してきたアパートの三階の窓から川が見える。その向こうの道にリヤカーをとめて屑屋さんが荷おろしをしていた。新聞がだいぶたまっている。ゴミ集積所へ捨てておけば済むのに、私は物惜しみした。雨に打たせたくないし、第一とっておけばチリ紙交換できるかも知れない。と思うまに私の背丈ほどになり、処分に困っていた。
川向こうまで行くのは少し手間がかかる。沸《わ》かしかけの湯をとめ、部屋に鍵をかけ、階段をかけおり、橋を渡って飛んで行った。古新聞を引き取るか、屑屋さんに聞くため。
前に立ったのに、遠くにいるような気がするちいさい老人が、陽焦《ひや》けした顔をしわの中にたたみ込んでいた。「ええ、それはもう」と言い「で、新聞はどこにあるのですか」と聞く。あそこ、と指さし、来てもらうのも気の毒なので「運んできましょう」といった。それからがひと仕事だった。四、五回に分けてリヤカーの所まで抱えて届けた。その間、おじいさんだけど商売だから、お金をよこすと言うだろう、と考えた。言わないかな、と考えた。もし言うならば……。
私は「あと一回で全部です」と断わった。払う気があるならおよその心づもりをしておくだろう。最後に「はいおしまいです」といったら「いくらでもないんですよ」という。「そうでしょうね」と答える。「ほんとうにいくらでもないんですよ」少しガッカリした。私も意地悪い、三度同じ言葉を聞いてから「十円か二十円なのでしょう?」「ええ、まあ」「いいわ、上げますから」というとはじめて笑い、礼を言った。
その礼を受け取りかねた。下手な商いだ。二十円なら二十円と言ってみたらいい。なぜタダなら有難いのだろう? タダ以前の用心深さ。
そんなことを言って。二十円と言ったらお前どうした、受けとったろう? こんどは自分への質問。たぶん、ね。
古新聞のネウチをはさんで、お互い、貧しい心の取り引きをした。