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ユーモアの鎖国51

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示: あなたはなぜ生活を詩に書くのか、と言われる。なぜって、そんなこと知らない、と答えるのが一番正直だと思う。正直であっても
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 あなたはなぜ生活を詩に書くのか、と言われる。なぜって、そんなこと知らない、と答えるのが一番正直だと思う。正直であっても親切にはならない。
話は違うけれど、詩人の田村隆一さんが「僕らは、生まれてから日本語を習ったのじゃない。日本語の中で生まれてしまったのだ」と言われた。これも、一度聞いて忘れることの出来ない言葉を、講演会で頂戴してきたのだけれど。
この素晴しい意味を棚上げにして、論法だけを拝借すると、私の詩は生活を書こうとしたのじゃない。生活の中から生まれちゃったのだ、ということになる。
生活的という言葉の印象は、どうして何がしかの貧しさにつながるのだろう。芸術的という言葉の感じが、なぜ、あるぜいたくさを連想させるのだろう。もし私がゆたかな生活を詩に書いたら、それは生活をうたった、とは言われなくなるだろうか?
たとえば生活的、とひとこと言われたって、感じることは言葉と共に、この程度の伸び方はする。けれど、詩にしようと思って、詩のために生活を考えるゆとりは私にない。ということは、やはり貧しさにつながり、貧しさは生活につながってしまう、というわけか? 私に言えるのは詩を書く行為が、特別なものではないということ。
小学生のころから、詩にひかれ、しゃにむに面白くもない詩を読み、自分でも下手な詩を書き続けてきた。その、詩に対する希望は? と聞かれても、やはりそれらしい返事が出来ない。詩に対する希望が別個にあるのではなく、実生活面での願いごとや祈りとより合わされていてわかちがたい。それで「自分の書いてしまった詩が、実用的であったらどんなによいだろう」などと答えてしまう。
実用、というと、生活と同じように、言葉にひとつの相場があって。このイメージも現在のところ高級でない。デパートでいうと特選売場には並んでいないものになる。けれどゾリンゲンの鋏《はさみ》なら、いまのところ香水と並ぶのだ。ゲイジュツも、生活に役立つ具体的な機能をそなえることをおそれる必要はないと思う。具体的という言葉は、これまたどうして高い調子を持ち合わせてくれないのだろう。ムガクな私が、生活・実用・具体などと書くと、書いている間に穴が出来、自分が落ちこんで頭からスッポリ埋められそうな危険を感じる。
私は生活をもっとゆたかで、ぜいたくなものにしたい。出来れば芸術的と言われるほどのものにしたい。一流の大学を出て……と言わせるような、貧相な人間の背景を変えたい。詩がタダで食べられる山海の珍味であるとよい。見えなかったものが見える眼鏡であるとよい。それまでは残念ながら生活詩を書き続けることになるだろう。
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