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小学生の時から、見よう見真似《みまね》で、詩を書きはじめました。綴り方の時間に作文を書くのはたのしいことでしたが。それとは別に、散文とは違った形の表現方法、短歌とか、俳句とか、そのころではまだなじみの薄い、詩の形のあることが、私をひきつけました。勝手に教科書以外の、幼年雑誌、少女雑誌を読みあさって、四百字詰原稿用紙、って、どれをいうのだろう、と首をかしげながら、投書規定などを見て、投稿することを覚えました。書きながら、読みながら、出しながら、書きながら、この行為のごく自然なくり返し、いとなみ——。
家は、子供を働きに出さなければならないほど生活に困っておりませんでしたが。母が私の四歳のとき亡くなり、次の母も、やがてまた次の母も死ぬ、というような、少し複雑だった家族関係の中で「母親のないのが、お前のビンボウ」と里方の祖母が、よく私の顔をのぞいてさみしく笑ったものでしたが。その貧乏がもたらした、もろもろの情感は、まけ惜しみではありますが、私にとって、充分豊富なものでした。
私は早く社会に出て、働き、そこで得たお金によって、自分のしたい、と思うことをしたい、と思いました。で、学校を出なかったのは自分の責任で、誰を恨《うら》む資格もありません。
高等小学校二年生は、だいたい翌年、働きに出るため、職業紹介所の人が、生徒の希望を聞きながら面接に来たものですが。私は「店員」と答えました。上級の優等生がデパートの食堂に勤めて、白いエプロンのうしろを大きな蝶結びにしているのが、とても立派でしたから。
すると若い担当員は、じっ、と私の目を見て「むつかしいよ」と言いました。昭和九年、少女にとってさえ、深刻な就職難の時代でした。私は二つの銀行に振り向けられ、そのひとつに入社いたしました。それ以来三十年余り。今日まで、同じ所で働いています。
余談になりますけれど。はじめて月給をもらったとき、唇から笑いがこぼれてしまって、とてもはずかしかったのを思い出します。皆スマシテいましたから。いま思えば、この時、私と同じようにお金も笑いこぼれていなければならないのでした。なぜなら、私はこのお金で自由が得られると考えたのですが、お金を得るために渡す自由の分量を、知らずにいたのですから。
とにかく、その辺を社会の出発点といたしました。数え年十五歳の春でした。
つとめする身はうれしい、読みたい本も求め得られるから。
そんな意味の歌を書いて、少女雑誌に載せてもらったりしました。とても張り合いのあることでした。
と同時に、ああ男でなくて良かった、と思いました。女はエラクならなくてすむ。子供心にそう思いました。
エラクならなければならないのは、ずいぶん面倒でつまらないことだ、と思ったのです。愚か、といえば、これほど単純で愚かなことはありません。
けれど、未熟な心で直感的に感じた、その思いは、一生を串ざしにして私を支えてきた、背骨のようでもあります。バカの背骨です。
エラクなるための努力は何ひとつしませんでした。自慢しているのではありません。事実だっただけです。機械的に働く以外は、好きなことだけに打ちこみました。
その後、第二次世界大戦がはじまり、敗戦を迎えるのですが。
戦後、女性は解放され、男女同権が唱えられ。結成された労働組合の仕事などもいたしましたが。世間的な地位を得ることだけが最高に幸福なのか、今迄の不当な差別は是非撤回してもらわなければならないけれど。男たちの既に得たものは、ほんとうに、すべてうらやむに足りるものなのか。女のして来たことは、そんなにつまらないことだったのか。という疑いを持ち続けていたので、職場の組合新聞で女性特集号を出すから、と言われたとき、書いたのが次の詩でした。
私の前にある鍋とお釜と燃える火と
それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。