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ユーモアの鎖国54

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:詩を書くことと、生きること   3人の一生というような物差ではかると、私もかなり長い間、時をすごしてきたことになりますが
(单词翻译:双击或拖选)
詩を書くことと、生きること
   3

人の一生というような物差ではかると、私もかなり長い間、時をすごしてきたことになりますが、ふり返ってみると、精神はその日暮し、毎日毎日にピッタリ向き合うことで思いを満たし、口を養って来たような気がします。
若い日に感じた自分への問いかけ、それを書いた詩に、次のようなのがあります。
 人間という 不可思議なものの
まことに何であるかも知らず
すべての生きものにならい 母になる
それでよいのか、と心に問えど
答えのあろうはずもなく
日毎夜毎 子守唄のごと
りすはりすを生み
蛇は蛇を生む とくちずさむ
さらばよし 母にならむか
おろそかならず こころにいらえもなくて——。

そんなつまらないことを言っているから、ダメなんだ、と友達が匙《さじ》を投げたように笑いましたけど、ほんとに、私もおかしく思います。これはいつまでたったって、答えが出てくることではありません。
結婚もしないで、上級学校へも行かないで、肩上げのとれない時に就職した銀行で、じっと居据《いすわ》ったまま、うかうかしていると、やがて定年ということになってまいります。
横道にそれますが、私が丸の内の銀行にはいったのが昭和九年。そのころは通勤電車に乗っても、女性がいまほど数多く乗ってはいなくて、職業を持つ婦人の地位は、今よりももっと低く、働くことがひとつの引け目になりかねないような、風向きさえありました。
最近、同じ丸の内を歩くと、昼休み時など、髪の毛の白くなりかかっているような、働く婦人とすれ違うことが、こころなしか多くなりました。すると、その婦人ひとりが年をとった、というふうには見えないで、ああ職業婦人の歴史が年をとって来た、と思います。
私が就職したとき、象牙の印鑑を一本九十銭で、親に買ってもらいましたが、毎日出勤簿に判を捺《お》している間に、白い象牙がすっかり朱色に染まりました。この間、印鑑入れを買いに行きましたら、これも年配の古い店員さんが「ずいぶん働いたハンコですね」と、やさしく笑いました。お互にネ、という風に私には聞こえました。
それにしても、一本のハンコが朱に染まるまで、何をしていたのかときかれても、人前に、これといって差し出すものは何ひとつありません。
一生の貯えというようなものも、地位も、まして美しさも、ありません。わずかに書いた詩集が、いまのところ二冊あるだけです。綴り方のような詩です。
ほんとに、見かけはあたりまえに近く、その実、私は白痴なのではないかとさえ、思うことがあります。ただ生きて、働いて、物を少し書きました。それっきりです。
そのせいか、働かないと、書くことも思い浮かばない、といった習性のようなものが、私の身についたのではないか、と案じられます。そして、物を考えているのは私の場合、頭だろうか? 手だの足だので感じたり、考えたりしているのではないのだろうか?
たずねても、手や足は黙っているからわかりません。
そしてとにかく詩は、私の内面のリズムであり、思いの行列であり、生活に対する創意工夫であり、祈りのかたちであり、私の方法による、もうひとつの日常語。唖《おし》の子が言い難いことを言おうとする、もどかしさにも似た、精いっぱいのつたない伝達方式でもあります。
そういうものではありますが。詩を求めて、詩のために、詩を書いているのではないので、明日、たとえ書かなくとも、あるいはまったく違うかたちに生まれ変ろうと、かまわない筈だと、思っています。
家庭には家庭のしがらみ、職場には職場の忍従。たくさんのがまんで成り立っている日々の暮しの中で、たったひとつ、どうしてもしたかったこと。もとより、わがままな所業でありました。詩でさえ、それが制約であるなら、とらわれないようにしたいものだ、と思っています。
ただ、長いあいだ言葉の中で生きてきて、このごろ驚くのは、その素晴しさです。うまく言えませんけれど、これはひとつの富だと思います。人を限りないゆたかさへさそう力を持つもので、いいあんばいに言葉は、私有財産ではありません——。権利金を払わなければ、私が「私」という言葉を使えない。といったことのない、とてもいいものだと思います。
また、領土のようだ、とも思います。いつか詩を書く人々四、五人で話していたとき、日本は生活がたいへんだけど、南のどことかへ行くと、バリカン一丁使いこなせれば食べてゆけるそうだ、という話になり、話していた人が、突然私に向き直って、「ね、いっしょに行こうじゃないですか」と笑いました。私はさそわれたうれしさで、「ええ行きましょう」と答えました。
あとで、生活が食べることだけだったらそれですむけれど、心の中にある口、そのひもじさはどうやって満たすのだろう、言葉の違う場所で、と考えました。私はそこで、それから習いおぼえる貧しい言葉で、生きてゆくことは出来ないだろうと思いました。
私のふるさとは、戦争の道具になったり、利権の対象になる土地ではなく、日本の言葉だと、はっきり言うつもりです。
そして人生、はじめに申し上げましたように、いまだにわからない、そのことについて語るとなれば、私の言葉、私の語りかけとしての詩を聞いていただくほか、思いつくことは何もありません。
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