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ユーモアの鎖国61

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示: 日常働いているところが、たとえ資本主義の本丸に近いような場所であっても、目先のこまかい仕事に追われていては気が付かない
(单词翻译:双击或拖选)
  日常働いているところが、たとえ資本主義の本丸に近いような場所であっても、目先のこまかい仕事に追われていては気が付かない。職員組合が強かった弱くなった、といっても、はじいている算盤珠に数として出てくる一円もなく、向き合っている同僚の顔色に出るということもありません。けれど政治の選挙などがはじまると、駅の広場の辺から様子が変わり、やがて私の身辺に届く事柄となってあらわれてきます。
まえには自分の支持する政党をはばかりなくあげ、職場の新聞紙上で意見をかわす、というようなことがあったのに、一九六六年にはそうした論議を呼ばない。話題としても互いに礼儀正しくふれ合わないでいるような雰囲気がある。と同時に与党に反対の意志を持った者のひそかなさそいかけが私などの所にまいります。
私は詩も、暮し方も、どちらかと言えば保守的だけれど、現在の保守政党に一票は入れない、それだけはしない。そこから出発し、自分の足で歩いている。そこへトラックが寄ってきて、乗りませんか、連れてって上げます、という。私はその人の運転に自分をまかせることをためらう、そのためらい。
家に帰ると宗教への勧誘がきます。あなたが幸福になるためにはこの会にはいる以外に道はない、はいらないと家族は現在以上の不幸や困難に見舞われるでしょう、という。ずいぶん気持ちの悪い親切で、強迫に近いものだ、と忿懣《ふんまん》やるかたないのですが、ご近所とあれば遠慮の仕方もこみ入ってしまう。
表札はただ単純に、表札についてだけ書いた詩ですが、気持ちの下敷きとして、私をささやかにとりまくこのような状勢があり、それがまったく関係のない表札の記憶と不意に結び付いたとき詩になりました。
短い時間で出来上がりましたが、終りから四行目、�精神の在り場所も[#「も」に傍点]�を�精神の在り場所に[#「に」に傍点]�と直したほうが良いかどうか、発表するギリギリの時間まで迷いました。地理的にいうとお茶の水駅周辺をうろうろ歩いて迷いました。歩いていたのはに[#「に」に傍点]とも[#「も」に傍点]です。結局も[#「も」に傍点]にする以外ないと考えました。に[#「に」に傍点]にすると曖昧な部分はなくなりますが、詩が狭くなるような気がしました。
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