作詩法などとは言えない、まるで無責任な話ですが、私に言えることは、言葉たちがどの道のりをきたか、どういう経験が先に立って引きつれてきたか、最初の出発点はどこか、知っているということです。
小学生の頃、貧富の差の激しい生活を構えの外に見せた家々と、そこから出てくる子供たちが同じ教室に集ったとき、私は家を離れてきたそのかたち、子供だけの世界、子供だけでつくった一軒の新しい家が欲しい、と思いました。年をとって、夢はなおざりになりましたが、現実の家は私の背に屋根のようにハリツいて離れません。日本人の大多数が抱いている家の意識から解放され、一度家を出てみたら——これは私の祈り、私の願いごとです。
いまこの詩は私に命令し、私をはげます、横からうたでもうたうように�家は地面のかさぶた……�と呼びかけてくる。私にのこされているのは実践に移すことだけです。
小学生の頃、貧富の差の激しい生活を構えの外に見せた家々と、そこから出てくる子供たちが同じ教室に集ったとき、私は家を離れてきたそのかたち、子供だけの世界、子供だけでつくった一軒の新しい家が欲しい、と思いました。年をとって、夢はなおざりになりましたが、現実の家は私の背に屋根のようにハリツいて離れません。日本人の大多数が抱いている家の意識から解放され、一度家を出てみたら——これは私の祈り、私の願いごとです。
いまこの詩は私に命令し、私をはげます、横からうたでもうたうように�家は地面のかさぶた……�と呼びかけてくる。私にのこされているのは実践に移すことだけです。
それなら詩の方法というようなものがお前にはないのか、といわれればない、と答えるほかありません。もとよりわがままな所業、自分のしたいことがしたくて、この道を来ました。私が少女の頃、昭和十年代、詩を書き、文学を好む娘を持った親は災難でした。それだけ余分な心配をしなければならなかったからです。私は私で、親の言うことを聞かないならそれだけの覚悟が必要と考え、自分から働きに出ました。浅はかだったとも思います。なぜなら、そのため学問と呼ぶ学校の門をくぐらなかったから。はじめから実社会に出て生活と一緒に出発してしまいました。おかげでまだ基礎がぐらぐらしています。卒業証書、社会に通用する手形、を一枚も持っていない、そのため意外な不便に出逢います。そして三十年、サラリーマンとして低い位置にすわり続けてきた、ひとつの椅子。
職場は私に給料と、それ以外のものも与えました。けれどそれらを受け取るため、たくさんの時間と労働を引き替えに渡してきたことを思い返します。そんな当り前をなぜ言うか、ときかれれば、職場が育てた詩人、などという言葉に対する僅かな不満を語りたいからです。職場や職業はそれほど甘いものではない、現在の職場によりかかったグループから、まるまる一人の詩人が育つなどということが、私にはまだ信じられないのです。育ってもひよわなものとなりはしないか。よりかかって出来ることではないと思うのです。
また職場の書き手たちが、自分のことを詩人、と思いこみ、名乗ることに、あるはずかしさを私は感じます。詩人としての自覚が必要だ、と言われるかも知れませんが、職場で働く以上詩人の自覚はなくても詩は書けるのではないでしょうか。自覚と自負とが紙一重の危険な関係に立っていることを考えるとき、詩は誰でも書ける、と言い、そして書きさえすれば自分は詩人だというのをきくと、そういう詩人なら職業人であるほうが有難いと考えるのです。勿論こんな意見は組合大会における一票の反対のように否決してもらえばいいのですが。
そこで詩のことにかえりたいと思います。職場グループ等で詩を勉強している、初歩の人たちだけが読んで下さい。それ以外の人にきかれると、私、言いにくいんです。仲間の中の少し古い経験者として話をしたいのです。
そういう人たちの書いたものを読んでいつも感じるのは、詩は詩的なことを書くものだ、と思っているらしいこと。たとえば詩を見て虹を感じた、とします。詩は虹のように美しい、さて私も詩を書こう、詩は虹を書くことだ、と考えてしまう。どうもそうではないらしいのです。虹を書くのは大変です。虹をさし示している指、それがどうやら詩であるらしいということ。間違っているかも知れません。私の書く指の向こうには鍋だの釜だのがあるばかりで、それで生活詩などと言われているのですから。
虹を見るとしても、そこに野山や空がなければならない。現実、または実際にあるものの向こうに虹は立つ——。自分の詩に欲をいえば、その場所、その時刻と切りはなすことの出来ない、ぬきさしならない詩を書いてみたいと思います。永遠、それは私の力では及ばない問題です。
職場は私に給料と、それ以外のものも与えました。けれどそれらを受け取るため、たくさんの時間と労働を引き替えに渡してきたことを思い返します。そんな当り前をなぜ言うか、ときかれれば、職場が育てた詩人、などという言葉に対する僅かな不満を語りたいからです。職場や職業はそれほど甘いものではない、現在の職場によりかかったグループから、まるまる一人の詩人が育つなどということが、私にはまだ信じられないのです。育ってもひよわなものとなりはしないか。よりかかって出来ることではないと思うのです。
また職場の書き手たちが、自分のことを詩人、と思いこみ、名乗ることに、あるはずかしさを私は感じます。詩人としての自覚が必要だ、と言われるかも知れませんが、職場で働く以上詩人の自覚はなくても詩は書けるのではないでしょうか。自覚と自負とが紙一重の危険な関係に立っていることを考えるとき、詩は誰でも書ける、と言い、そして書きさえすれば自分は詩人だというのをきくと、そういう詩人なら職業人であるほうが有難いと考えるのです。勿論こんな意見は組合大会における一票の反対のように否決してもらえばいいのですが。
そこで詩のことにかえりたいと思います。職場グループ等で詩を勉強している、初歩の人たちだけが読んで下さい。それ以外の人にきかれると、私、言いにくいんです。仲間の中の少し古い経験者として話をしたいのです。
そういう人たちの書いたものを読んでいつも感じるのは、詩は詩的なことを書くものだ、と思っているらしいこと。たとえば詩を見て虹を感じた、とします。詩は虹のように美しい、さて私も詩を書こう、詩は虹を書くことだ、と考えてしまう。どうもそうではないらしいのです。虹を書くのは大変です。虹をさし示している指、それがどうやら詩であるらしいということ。間違っているかも知れません。私の書く指の向こうには鍋だの釜だのがあるばかりで、それで生活詩などと言われているのですから。
虹を見るとしても、そこに野山や空がなければならない。現実、または実際にあるものの向こうに虹は立つ——。自分の詩に欲をいえば、その場所、その時刻と切りはなすことの出来ない、ぬきさしならない詩を書いてみたいと思います。永遠、それは私の力では及ばない問題です。