清書をはじめてから三年ほどもたつ詩稿を、ようやく『表札など』として一冊にまとめ、出版社に渡したあと、まだあとがきが出来ていませんでした。
本をひらくと、最初にあとがきを読むくせのある私は、それを書くことにこだわっている自分に気付き、困るな、と思いました。
[#1字下げ] 伊豆の五郎は私と同じ年のはとこ。四十を越して、遠くたずねてゆくとムスメが三人顔をそろえる。ひとり者だからと言って、私が何もこしらえないのは申しわけない。
筆がそんな走りかたをしてしまったのは、田舎から、五郎がガンでもう助からないだろう、という便りがきたときでした。皆がそれとなく見舞いに行っている、という。それとなく出来る私の見舞いはないか——。
[#ここから1字下げ]
借金は勤め先にわずかばかり。それはいいとして、借情、借交、借手紙、そんな言葉があろうかと思うような、身にふりつもるもので齢も心も重たくかしいできた。
これは私の、九年程前に出した一冊に続く二冊目の詩集。はずかしいけれど精いっぱいでほんの少々の返済。それに価格をつけるのはどういう了簡《りようけん》だ、面白くもない。と言われたら。だって、働いてきた。お金ではまだあなたに借りてない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]一九六八年八月
借金は勤め先にわずかばかり。それはいいとして、借情、借交、借手紙、そんな言葉があろうかと思うような、身にふりつもるもので齢も心も重たくかしいできた。
これは私の、九年程前に出した一冊に続く二冊目の詩集。はずかしいけれど精いっぱいでほんの少々の返済。それに価格をつけるのはどういう了簡《りようけん》だ、面白くもない。と言われたら。だって、働いてきた。お金ではまだあなたに借りてない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]一九六八年八月
書いてしまったあと、見舞い品としては適当でも、あとがきとしては不適当ではないか、と案じましたが。一度できた文章が、後で書いてみたほかのあとがきに道をゆずろうとしないので、出すことにしました。
終りのひとことには、読んだ人にコンチキショウ、と張り倒されてもしかたがないような、イケナサを感じました。
でも、それは詩集を読んでくれた人、全部に対して言っているのではない。「面白くもない」と言われた時のために用意した返事なのだ、と自分には説明をつけておいたのですが。やはり最後にひっかかるなあ、と惜しんでくれたひともありました。
ただ私は、あとがきもひとつの試みであっていい。駄目なら駄目でしかたがない、とはじめからあきらめ。とにかくあそこにひとりだけの、ちいさなドラマをかくしたのでした。
余談になりますが、あくる年の四月、五郎は最後の床で指をまわして見せ、私を電話で呼べ、と合図したそうです。職場を早退し、私は桜が満開の東海道を熱海から横にそれて、下田の病院にかけつけ「アレは五郎さんへのお見舞いよ」とドナリました。五郎はうなずき、翌日死にました。
終りのひとことには、読んだ人にコンチキショウ、と張り倒されてもしかたがないような、イケナサを感じました。
でも、それは詩集を読んでくれた人、全部に対して言っているのではない。「面白くもない」と言われた時のために用意した返事なのだ、と自分には説明をつけておいたのですが。やはり最後にひっかかるなあ、と惜しんでくれたひともありました。
ただ私は、あとがきもひとつの試みであっていい。駄目なら駄目でしかたがない、とはじめからあきらめ。とにかくあそこにひとりだけの、ちいさなドラマをかくしたのでした。
余談になりますが、あくる年の四月、五郎は最後の床で指をまわして見せ、私を電話で呼べ、と合図したそうです。職場を早退し、私は桜が満開の東海道を熱海から横にそれて、下田の病院にかけつけ「アレは五郎さんへのお見舞いよ」とドナリました。五郎はうなずき、翌日死にました。