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ユーモアの鎖国67

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:表札のうしろ三年ほど前に出した詩集の題名を『表札など』としたら、「表札」という詩がそのまま本の表札の役割りをしてしまった
(单词翻译:双击或拖选)
表札のうしろ

三年ほど前に出した詩集の題名を『表札など』としたら、「表札」という詩がそのまま本の表札の役割りをしてしまった。

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
 精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
[#ここで字下げ終わり]
などと詩の中に自分の名前を書きこんだので、よけい表札的になったのかも知れない。
表札という言葉はカッチリして、余分なものを含まない。あいまいさが少ない。ということは、言葉の実体がモノとしてハッキリしているということだ。
揺れ漂う表札。アイマイモコとした表札、無限の可能性を持った表札、などというのはない。どんなに大きくこしらえてみても、どんなにちいさくしてみても、知れている。
そして、私の見て歩いた限りでは、表札はたいそうマジメである。地面に横になったのもなければ、天井から下に取りつけられたのなどもない。市民生活の路面に向かって、人目というものの前に整列した観がある。その前をオモテムキが通りすぎる。
食卓とか、台所、お手洗、それらを必要とする人間のいとなみは、すべて表札のうしろがわの屋根の下で、窓を開けたり、夜にはかわいらしい灯をともしたりしている。
このおとなしいナワバリ宣言は、貨幣が間接闘争 (?) して得ているから、オトナリさんとはニッコリ笑っておつきあい出来る仕組みになっている。
表札が身動きできないでいるのはいいことだ、そこに一応の平穏がある。
戦前、東京の町のあちこちに夜店というのが、よく出た。その片隅に木箱などを置き、表札を商う人がいたものである。子供の私はその前にかがみこみ、総理大臣の名前や、豊臣秀吉などという字を見て、不思議を感じた。いくらほんとうの人の名があっても、そのうしろに誰も住んでいない表札は空々しかった。
戦争中、大空襲のあと、生き残った人々はそこを立ち去る時どうしたろう。わずかな木切れ、板切れをひろってきて、ここが我が家のあと、というガレキの山のはしに表札を出した。
隣り近所との境界もないのに、ひとつひとつの表札のうしろには、どこかで仮り住居をしている人のたしかな生活が実在した。忘れられないことである。
ある日どこかで新しい表札が生まれ、ある日どこかで古い表札が死ぬ。
表札はちっとも面白くないけれど、生きているだけでじゅうぶんである。
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