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ユーモアの鎖国69

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:清岡卓行『四季のスケッチ』感想たしかな手ごたえで、この詩集一冊が自分のものになったとき、私はとっさに、本を抱えて逃げたい
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清岡卓行『四季のスケッチ』感想

たしかな手ごたえで、この詩集一冊が自分のものになったとき、私はとっさに、本を抱えて逃げたい、と思った。うまそうな骨をくわえた犬は、八方に目をくばりながら、早く安心のゆく場所に行き、ゆっくり味わいたいばかりに逃げる。それかあらぬか、一人になった私は『四季のスケッチ』の扉をあけるとき、ウウッとうなってしまった。うなってから自分の声におどろき、前文の犬に似ていることに気が付いた。
知っているのだ、とにかくこの本の骨の味を。私は食べる前からヨダレを出していたのだから。そんなやつに書評が書けるか? ごもっとも、犬の分際でするべきことではない。尻尾を振るな、と言われたら……かみついてやろう。しかし振ってよければ、優しいもの、与えてくれるもの、かてて加えて美味《おい》しいものに、しっぽがうごく。そうしたけだものの興奮を、最初の一頁が見事にしずめる。四季のスケッチという、いかにも淡彩な題名の詩集が�早春�にはじまる時に。
清岡卓行さんの詩を読んで、いつも思うことは、字面から受ける不思議な体温だ。素肌のあたたかさ、かというと、そうでもない。「大学の庭で」の中から、都合のいい言葉をひとつ借りるなら、
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つまり
美しいものにおいて自己を実現すること
そのきびしく結晶されるかたちこそ
学問と呼ばれるわざくれに
きみの魂の血液を
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 惜しみなくめぐらせることではないのか? の、魂の血液、とでも言ったらいいだろうか。活字が肥えてみえる。ゆたかな果肉のようでもある。ここには精神が、不消化物としてほき出してよこすようなものは何ひとつまじっていない。まるごとが私にとって糧となることに間違いないのだ。透けてみえるから浅いのではなく、底に何があるか見せてくれようとする澄みかたで、おだやかに寄せてくる今日の抒情。私は骨を食べ、また、あたたかくも冷たくもないその流れに耳をたれて、飲む。どうも仕方がない、犬で終始してしまった。が、ひとつだけ断る。
最近、絵でも、詩でも、彫刻でも、自分が無心で近付いて行ったとき、ごく自然に、心の底から笑いが浮かんできた時、私はその対象物はとてもとてもいいものだ、と信じている。人間だけが知り得る、たとえようもない良質の笑い。
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