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ユーモアの鎖国70

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:冬のレストラン それが何であろうと 心をこめた一日の長い仕事ののちの爽やかさ。冬の夕ぐれの繁華街のあわただしい雑踏に静か
(单词翻译:双击或拖选)
 冬のレストラン
 
 それが何であろうと 心をこめた
一日の長い仕事ののちの
爽やかさ。
冬の夕ぐれの繁華街の
あわただしい雑踏に
静かに粉雪が降りかかりはじめ
いくつかのネオンの原色が
それを微かに照明している。
それは平凡な しかしまた
そのとき一度きりの群衆の横顔。
そんな優しさ きびしさを
レストランの窓ぎわのテーブルから
飽かずに眺めているぼくは
どこかで むごたらしく
欺されているのだろうか?
すいた胃袋に
何かの感情の眼ざめのようにしみて行く
冷たい火のオン・ザ・ロック。
昨日は同じ席で
同じ時刻に
ヨーロッパの中世のお城から
今ぬけでてきたばかりの少女といった
あるふしぎな髪の夫人と
レモンの酸っぱい生牡蠣をすすりながら
ぼくは年齢について話していた。
——十九歳から二十歳になるときが
一番絶望的で 甘美で
真珠の中には それよりも大きな
水蜜桃がかくされています。
二十九歳から三十歳になるとき
おつぎはもう四十歳とあきらめ
暴風雨の中に ぼくはせめて
音楽の沈黙を聞こうとしました。
ぼくは奇妙なメタフォールまじりのせりふを
内心深く恥じながら 附け加えたのだ。
——だから 四十歳になるとき
おつぎは五十歳だと観念する
にちがいない と思ったのですが
そのとき 実際に感じたことは
ぼくはもう死ぬんだという
ごくありふれたことでした。
——まあ!
気が早いんですね。
彼女は驚いてそう受けながら
遠くを夢みるような眼ざしで
真剣にたずねかえしてきたのであった。
——それで
九つから十になるときは
どうでした?
[#ここで字下げ終わり]
 読み終えたとき、真実私は笑ってしまった。まだ笑い終っていない。お腹の底に笑いの井戸をひとつ掘ってもらったようなものだ。詩集とは値段ではかると安いものである。
散文詩では「無人島で」にひかれた。その最後のところを引用させていただく。
[#ここから1字下げ]
——ぼくは他人に絶対に見つからない、豪華で楽しいこの旅行のための旅行を愛しています。
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