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酒を愛する男の酒01

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:人も仕事も、そして酒も終戦の年から二年ばかり、千葉県千葉郡|誉田《ほんだ》村の開拓地に入植した。これからの農業は、酪農経
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人も仕事も、そして酒も……

終戦の年から二年ばかり、千葉県千葉郡|誉田《ほんだ》村の開拓地に入植した。これからの農業は、酪農経営で行くべきだと考え、大きな畜舎を作った。住まいより立派なのができて、村の人は、
「そんなことして採算がとれめえ」
とニヤニヤ笑った。畜舎には個室があって、その各個室からはそれぞれドアを開けると前庭に出られるようにした。動物たちが遊んだり日向《ひなた》ぼっこをしたりするためのものである。前庭には白い柵《さく》をめぐらした。これは、私が牧歌的な情緒を楽しむためである。
まずザーネン種の山羊《やぎ》を二匹飼った。その山羊たちが仔《こ》を産んで、一日二升ほどの乳を出すようになってから、小豚を三頭と鶏を三十羽買い入れた。小豚には春美・朱美・麗子という名をつけた。学生時代よく行った喫茶店のお嬢さん方の名である。
山羊乳は食卓に欠くことのできないものになった。しかし大部分は家畜たちの飼料に混ぜた。春美も朱美も麗子も嬉しそうだった。日に日に色艶《いろつや》を増した。鶏もよく卵を産んだ。
ある日、弟が一升ビンに、山羊乳を水で割ってイースト菌を入れ、日向に置いた。こうすると三時の|おやつ《ヽヽヽ》にはカルピスができるはずだという。しかし私たちは夏草とりに追われて、清涼飲料水のことを忘れてしまった。ひと風呂浴びて、さて夕食、という時思い出した。
「酸っぱくなってるかもしれない」
と弟は、毒見のような飲み方をして頸《くび》をかしげた。次いで腹のあたりをさすった。
「キューッと熱いぜ。酒になった?」
といいつつ、今度はコップになみなみと注いで美味《うま》そうに飲んだ。
「ほんと? こちらへ」
ああ、サラリとした爽やかな味——それは初恋どころの騒ぎではない。酒(?)なのである。私は興奮した。
「あのナ、ものの本、うん、あれはたしか、トルストイの小説だった? 韃靼《だつたん》人が、羊の乳で何とかいう酒を造ってたぜ!」
私と弟は一升ビンとコップを携えて、畜舎の柵を乗りこえ、山羊の遊び台をベンチにして、折からの名月に、夜宴としゃれこんだ。
「春美さん、朱美さん、起きてますか?」
「コラ麗子、元気か?」
時ならぬ来訪者に三人の麗人は個室のドアを躰《からだ》で細目にあけて、月明りに、こちらをうかがうようだったが、やがてピタリとドアを閉めてしまった。
その夜、私はこの天与の酒をカルスキーと命名して、弟に大量生産の発注をした。しかし弟は、水と乳との比率、イースト菌の量、太陽熱とのバランスに苦慮した。三位一体の妙は天恵であって、邪《よこしま》な心は酒神に通じなかった。芳醇《ほうじゆん》にしてしかもサラリとしたカルスキーは二度とできなかった。そして秋風が吹きそめる頃、太陽熱の不足を理由に、工場は閉鎖の止《や》むなきにいたった。
村の人たちともずい分|馴染《なじ》みができた頃、私は村を去って、東京に職を持った。世話になった村にも、開拓農場にも、そして新しくできた友人隣人たちにも愛着があった。そろそろ贅肉《ぜいにく》をつけはじめた春美たちにも愛着があったが、私は東京に舞い戻った。
私の勤めた雑誌社は、戦後、青空市場でいち早く名をあげた、復興めざましい新橋に近かった。勤めの第一日目、編集長のKに連れられ、新橋の名所であった青空市場の裏手にある「蛇の新」に行った。あの頃だから贅沢は言えないけれど、それにしても小さな店だった。「蛇の新」は今でいう文化人《ヽヽヽ》が目白押しの盛況であった。その綺羅星《きらぼし》たちが味の素入りカストリ(当店のマスターの独創で、当時、誉れ高きもの)を前に、談論風発の態《てい》であった。誰もが眼を輝かして、誰もが大声で話していた。小さな声では、もとより話が聞えないのであるが、何か熱気|溢《あふ》れるものがあった。
私はカストリを口に含んで、一瞬、眼くるめくものを感じた。次いで全身がカーッとなり、耳が遠くなった。私の耳に牛の啼《な》き声が聞えたようだ。村人と酌み交わした濁酒《どぶろく》が幻覚となって現われた。
開拓農協結成の祝宴にやってきた村長の挨拶が浮かんだ。その村長は美辞麗句を使うのが好きであった。それは、たとえば挨拶の冒頭に、
「えー、会津|磐梯《ばんだい》山は、宝の山とかや申します」
というものであった。村会、農協理事会のあとで、村の旦那衆と酌む濁酒は、春風|駘蕩《たいとう》として楽しかった……。私はカストリを口に含んで、混沌《こんとん》とした頭で、東京はきびしいぞ、と思った。人も、仕事も、そして酒もきびしいぞと肝に銘じた。
そしてその通り、東京はきびしかった。Kや同輩のTとよく飲んだ。仏文出身のTは、「何と実存の重きことよ」というのが口癖であった。しかしカストリ、焼酎《しようちゆう》、そしてそろそろ出はじめたビールに焼酎を混ぜて飲む酒は、酔ってから、何か索莫たるものがあった。誰いうともなしに、私たちはあるバーに足を向けた。このバーの勘定がたいへんだった。請求書がくるとサラリーの三倍ほどにもなっている月があった。
その頃、編集室は焼ビルの三階を借りていたが、バーの使者が来たというと、編集長はじめスタッフみんなが屋上に上った。待避である。寒い日は辛かった。生理的現象も辛かった。我慢できなくなったTが四階のトイレに降りて行くと、バーの使者も三階から四階のトイレに上ってきて鉢合わせをした。何と実存の重きことよ! 四階にしかトイレのないお粗末な焼ビルの悲劇である。
水の流れと人の身は……の例で、時代とともに私たちの集う場所も変わっていった。「蛇の新」時代は今や伝説になった。しかしわれら編集者は時代とともに、執筆家とつかずはなれず、まことによくぞ飲みつづけてきたの感、ひとしおである。
最近、友人たちは、弱くなったよ、もう駄目だねと言う。たしかに酒量はひと頃より減ったようである。そして酒量が減っただけ、酒品はやや向上したようだ。
昨夜も、今日は早く帰ろうと思いながら、行きつけのバーに顔を出すと、文藝春秋の小林米紀さんがいた。心もち青い顔をしている。
「ちょっと顔色がよくないよ」
と言うと、
「僕も今、あなたにそう言おうと思っていた」
暫時、互いに憮然《ぶぜん》とグラスを舐《な》めていたが、そのうちに何となく調子が出てきて、
「どうです、河岸《かし》を変えますか」
「いいすネ」
というのだから、われら編集者は因果なものである。
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