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酒を愛する男の酒25

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:エロチカルな季節「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」は『奥の細道』の書き出しである。松尾芭蕉は人生即旅と
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エロチカルな季節

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」は『奥の細道』の書き出しである。松尾芭蕉は人生即旅と断じているが、それにしても奥の細道ならぬ日本列島あげて、今や旅の洪水である。
高度経済成長のピークに達した一九七二年の夏は、レジャーのために海外へ出かけた人が六十万人という。中には行った先々でかなり顰蹙《ひんしゆく》をかったむきもあるらしいが、旅なれた人も多くなった。
藤島泰輔さんなどはまことに神出鬼没でイスラエルから帰ったと思うとアメリカに行き、韓国に発《た》ったと思ったら、実は台湾に回っておりましてなどという。
こうなると日航の国際線のパイロット並みである。そこでついつい、
「今度は何日《いつ》まで日本にご滞在で?」
などと聞いて、彼をくさらせてしまうのだ。
旅なれているといえば、戦後、いち早く「ライフ」のカメラマンになった三木淳さんは、その当時からの旅なれた人のトップクラスではなかったか。まだ業務渡航の時代で外務省からパスポートやビザがなかなかおりず、たとえおりたとしてもドルの枠《わく》が五百ドルで、どうにも不自由な時代であった。だから気軽にニューヨークに飛んだり、リオデジャネイロから帰ってきたりされると、どうにも羨ましくてたまらなかったものである。
この旅なれた三木さんとスカルノ大統領に招かれてインドネシアに行ったことがある。
インドネシアは雨期というのに朝四時半頃からカンカン日和《びより》で閉口した。見渡す限り青空でゴッホ描く「アルルの草原の太陽」みたいな火の玉がじりじり照りつける。雨期など嘘っぱちと思っていたら、午後になって小さな暗雲が青空に出て、それがみるみる広がり、あっという間にスコールの襲来で丸太棒のような雨が大地に突き刺さった。
道は川となり、隣りの人の顔も見えない。世の中がすべて水に溶けてしまった……と思う頃雨足が遠のいて嘘のように雨がやみ、またぞろゴッホ描く火の玉のカンカン日和なのである。
インドネシアは大変なインフレと食糧不足であった。終戦直後の日本に似ていた。にもかかわらずルピアはドルのレートで円より高いのである。虎の子のドルをルピアに替えたら、一ドル換算でマッチ一コ買えない惨状である。しかし、旅なれた三木さんのチエで私は豊かな旅を続けることができた。
ジャカルタからバリ島に行くには、ローカルラインの飛行機に乗った。双発の小さな飛行機でエンジンがかかると機内にかくれていた蚊の群れがいっせいに飛び立ったのには驚いた。旅なれた三木さんも、
「早く用さ済まして日本さ帰るべエ」
と言った。
パイロットはインドネシア空軍から派遣されたハリキリボーイだから、着陸の際は急降下のごとき芸当をみせる。それでもスラバヤ経由で無事バリ島に着いた。
三木さんは折しもユーゴスラビアからやって来た女大臣に早くも眼をとめ、その女大臣のスケジュールに便乗して仕事を進めていった。
女大臣が朝市をみればこちらも朝市を見る。アグン火山見学と聞けばその後をつける。バリ島の歌舞伎とも言うべきレゴンダンス観劇とあれば、特別椅子に女大臣と並んでドッカリ坐る……そのうちに警備の兵隊もホテルのボーイたちも、こちらをユーゴスラビアの女大臣の甥《おい》っ子ぐらいに思いはじめた。万事好都合でした。
ただバリ島を引き上げるときも、女大臣と同じ飛行機にしたら、スラバヤでこの女大臣、昼食の時間が長くて、スラバヤを一時間半も遅れて飛び発ったため、南方特有の積乱雲発生の時刻となった。
我等を乗せた飛行機は木の葉の如く舞い上っては、吹きとばされるように降下して、完全にグロッキーになった。
ジャワ島から香港《ホンコン》に直行した。クリスマスを間近にひかえた香港はおだやかな暖かさで、まさに天国であった。飯は安くてうまい、ひとは美しい、これは高いか安いか知らない。スイスの時計も翡翠《ひすい》もその当時はバカ安だった。ただし、香港税関はうるさかった。
「汝《なんじ》はピストルその他の武器や弾丸《たま》を所持しているか」
といかめしく英語で聞くのである。三木さんが、
「イエス、アイ・ハブ」
といったから税関内は俄然《がぜん》、緊張の空気がみなぎった。役人が私たちをとり囲んだ。しかし三木さんは落着いて右手の人さし指で股間《こかん》を指さし、
「アイ・ハブ・ワン・ピストル・アンド・トゥ・ボールズ」
役人達は大笑いをして我らに握手を求め、何も調べずにすべてOKになったのである。
三木さんはこの二月に私の住む国立《くにたち》市のすぐ近くにある国立府中病院で脳腫瘍《のうしゆよう》の手術を受けた。そして六月にはヨーロッパに旅をしているのである。旅なれているというよりは人生の達人というべきか。
先日三木さんを三田のお宅に尋ねると、脳腫瘍の話になった。後頭部の血管内の腫瘍のため血管の一部がテニスボールほどにふくれていたそうである。
入院してしばらくしてから、ある期間の記憶がないという。その間のことを付き添いの夫人や看護婦さんから聞いてさすがの三木さんも赤面したそうである。
記憶喪失の前期はおこりっぽく、それがおさまるとやたらにスケベになったそうだ。担当の博士にイバリくさって手術の日取りや方法を指示しているときはよかった。次の段階になると脈搏《みやくはく》を計る看護婦に抱きついたり、貴女《きみ》は可愛いから体温を計らせてやるとか、ことごとに迫るのだそうである。
「手術が奇蹟《きせき》的にうまくいって病室にもどってから、病室に来る看護婦が、三木先生、ずいぶんおとなしいんですね、お体悪くなったのかしら、なんてひやかすんで、初めて�エロチカルな季節�があったことを知ったわけよ」
と頭をかいて、
「でも、おおむね陽気な人気者のクランケだったらしいよ。ただ、この間久しぶりで病院をたずねたら、すごく年とった看護婦がいそいそ近づいてきて、センセお約束、いつでもよござんすよ、だとさ。あんまり僕がエロなもんだから、そのバアさん看護婦が僕専門の係りだったとか……、その看護婦に今晩待っていると細君《カミサン》の眼をぬすんだつもりで、細君《カミサン》の前で堂々とささやいたんだとサ……男は辛いねえ。どこぞまた長旅でもしませんか」
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