昭和四十二年の九州場所で、東十両筆頭の高見山が十勝五敗の好成績をあげて、次の初場所にはアメリカ国籍の幕内力士が、本朝ことはじめとして誕生することになった。千秋楽の次の日、高見山は高砂親方とともにNHKのテレビインタビューに出た。
まず、私が驚いたことはその声がまったくお相撲さんの声であることだった。ちょうど解説者の天竜さんを思わせるほどのシャガレ声であった。
「関取おめでとうございます」
「ハッ、ごっつぁんです」
からはじまった会話も、紋付の着こなしもまことに関取然としていた。アナウンサーが、
「大和魂を知っていますか?」
と質問すると、
「よくわかりません」
と答えたが、脇から高砂親方が、
「日常の生活でも、稽古の打込み方でも、これほど大和魂をもった相撲取りはいません」
と答えたのも可笑《おかし》かった。
�カッテモ、カブトノオヲシメル。ヤマトダマシイネ�の、例のボクシングの藤猛もアメリカ国籍であり大和魂の礼賛者である。というよりは大和魂復活の立役者である。ヘンな外人がふえてきたものである。
しかしこの相撲とボクシングの人気者である高見山とか藤猛は、外人ばなれしているといえばいいのか? 私にはよくわからない。
もうずい分前のことだが、旧軽井沢の川端先生の別荘へうかがった。万平ホテルの裏にあたるお宅に着くと、玄関のドアにメモがはさんであって、そのメモには、
「父は寝ていますがお入りください」
と書いてあった。私がおじゃますることをあらかじめ知っていたお嬢さんの政子さんのメモである。私はだまって上って静かに待っていた。
先生は、二階で眠っておられるのであろう。コトとも音がしない。時計は午後二時を指している。そこへ、もう一人の客がおとずれた。ドナルド・キーン氏であった。私が川端家の留守番のように応対すると、彼は、
「それでは、勝手ですがおじゃまさせていただきます。不意の訪問で恐縮ですが……」
と流暢《りゆうちよう》な日本語でいい、ソファーに坐ると部屋をおもむろに見まわしながら、
「結構なお住居でございますね」
とむかしの日本人の訪問客が、かつて行なった定型のセリフと仕草をされたのである。こうした風情は外人ばなれというよりは、むしろ日本人ばなれではないかとすら私は思った。
軽井沢名物の貸馬を楽しんで、政子さんが帰宅したのはそれから二時間もたっていた。それでも二階はコトとも音がしなかった。
その長い時間をキーン氏とよどみなく話し合っていたのだが、いま何を話したかはほとんど憶えていない。ただ、キーン氏が日本の美味《うま》いものをよく知っておられるのにびっくりしたこと、そして日本人は惜気もなく杉をはじめ山の木を伐り倒すことに、心から腹を立てておられたのを憶い出す。
もうひとつ、日本の総合雑誌、文芸雑誌が小説欄に書きおろしの戯曲を、三幕五場「一〇五枚」などという形で、掲載すること、それを読者が小説のように読むことをまことに不思議であると言われた。そして活字の戯曲と上演されるその戯曲の芝居とは、何かもっと大きな隔たりがあるように思えるのだが、といい、
「この点、伊藤整氏のそれと、わたくし即《すなわ》ち、ドナルド・キーン氏の|生活と意見《ヽヽヽヽヽ》には、いささかのくい違いがあると思うのであります」
とややおどけていった言葉を鮮やかに憶えている。
私たちジャーナリスト仲間で、新十社会という会をもっていたことがある。池島信平さんたちが戦後つくられた十社会を後輩の私たちが会の趣旨や名前もいただいて、時々集まっては酒を飲んだ。私が世話人になった時、ゲストを招待して飲もうということになり、その都度お客さんをおよびした。第一回が時の総理の池田|勇人《はやと》さん、次にライシャワー大使、とくると、その次は当然ソビエト大使ということになった。
会場は銀座の「辻留」の四階を借り、ブッフェスタイルでした。この時は、ソビエト大使館の一等書記官、二等書記官など大勢の館員が、ウオッカを持参でやってきた。前回のライシャワー氏が、|そば《ヽヽ》が好物とのことで、「辻留」主人に|そば《ヽヽ》を打ってもらったのが好評だったので、この時も途中でそばを出した。すると一等書記官が、私の傍にきて、
「信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたの|そば《ヽヽ》がよい」
といった。
そして、背の低い二等書記官は相当オミキが入っていたが、和服姿で甲斐甲斐《かいがい》しくサービスする「辻留」主人を目で追って、
「あれが懐石料理の名人ですか。懐石料理の巨匠はみな頭の毛をあのように�無�にするのですか」
といたずらっぽく質問してきた。
「いや、今日はソビエト大使館の方々のために、『辻留』主人はわざわざ貴国のボス、フルシチョフ氏にあやかって頭をまるめました」
といいかえすと、
「とんだやぶへび」
と言った。
私はソビエト大使館員が、いかに日本を研究し、日本語にも精通しているか、大げさにいえば肌寒くなる思いがしたのである。
ある夜、私は新橋の「とんこ亭」の止り木にとまって、オン・ザ・ロックスを楽しんでいた。例によって、とんこの軽口に応酬したりして、甚だリラックスムードであったのだが、いちばん端にいた一人の客をあらためてみると、それは意外にも外人であった。眼が合った途端、
「バーは何語だと思います?」
と話しかけてきた。
「そうですねえ、やっぱり英語じゃないですか」
と答えると、
「残念でした。バーは|ハシゴ《ヽヽヽ》でございます」
あとで聞くとその外人は、アメリカ大使館員だったそうである。