今朝方、試験の夢を見た。それも難問にフウフウ言って苦しんでいる夢である。考えてみれば私は戦前に学校を出ているのだから、あの試験の怖ろしさというものはいつまで、ついて回るのだろうか。
試験で思い出したのだが、私の旧制中学時代、模擬試験というのがあった。それは旧制高校や大学予科の受験対策として、英数国漢などの実力テストを行うのである。私はその模擬試験の英語で、未《いま》だに忘れられない誤訳をした。
英文和訳で education ——つまり教育についての小文なのだが、判読していくと、教育というものは、はじめが肝心で、基礎がしっかりしていなければならない……からはじまって、post という字と nail という字が眼に焼きついた。私は教育論をポストに棲《す》んでいるカタツムリでやっているナと早合点した。
そこで教育というのは郵便ポストに棲んでいるカタツムリを差入れ口からうまくひっぱり出すようなもので、それには、はじめが肝心で、しっかりと正確に狙いを定めてつかまえないと、カタツムリはどんなに忍耐強く取り出そうとしても、ひん曲って出てきてくれない……という風に、訳したのである。
post を、郵便ポストと決めこんだのが誤りだった。しかも nail は爪であり釘《くぎ》であるのだが、私は snail と勘違いして、ポストに棲むカタツムリ! と即座に早合点してしまったのである。
正しい訳は、教育というものははじめが肝心で、しかも基礎がしっかりしていなければいけない。例えば柱(post)に釘を打つのと同じように、はじめに正しく打ちこまないと、あとどんなに忍耐強く打っても、一度曲った釘はなかなかまっすぐ打ちこむことはできない……ということになる。
また、ディクテーション(書き取り)の試験でも失敗をした。これはイギリス人が読んで、まず一回目はヒアリングで、鉛筆を持たずに聞く。二度目にはイギリス人の発声を追いながら書く。そして書き終るともう一度だけ読んでくれるというやり方であった。
まず目をつぶって聞いていると、どうやらカルマスという人物がいて、海越え山越え、遥《はる》か彼方《かなた》に、何やら品物を送り込む。その品物はあるところには、あり余るほどたくさんあるが、海越え山越えの向うには全くないので、そこに運ぶと大変な価値を生ずる。またカルマスという人物はある品物をどこかに隠しておいて、時世時節を待っていて、こんな品物は要りませんかと持ち出すと、その品物はすでに何層倍の価値になっていて、人々はその品物を争って買おうとする。カルマスという人物はそういう価値を生み出す偉大な、そして凄腕《すごうで》の男である——といった話のようであった。しかしカルマスという人名のスペルがわからない。
試験が終って正解を聞くと、カルマスは人間様ではなく commerce(商業)であった。その外人は commerce をカルマスと発音したのだ。
昨年の六月九日の日曜日に、私は岡部冬彦さんの講演を聞いた。というのも、私の住む国立市にある桐朋《とうほう》学園で、生徒が主催する学園祭があった。私は委員の生徒諸君に頼まれて、岡部さんに講演の依頼をした。だから当日、私は校長先生と並んで友人の講演を聞くことになったのである。
岡部さんは開口一番、日本の動物園では殆どの猛獣は子供を生まないと言った。
しかしライオンだけはどういうものか、檻《おり》の中の生活でも、どんどん子供を生んでいく。いま、日本の動物園には三百八十頭のライオンがいるという。ライオンの子供は可愛いが、やはり百獣の王だけあって気軽にペットにするわけにはいかないし、そうかといって日本の動物園やサーカスのキャパシティは三百八十頭が限界点で、今や当局はライオンの産児制限を真剣に考えている……。
ところで日本で漫画を描いてどうやら筆一本で食べていける漫画家の数は二百人足らずである。この点ライオンより稀少《きしよう》価値のある珍獣でありますから、どうぞじっくり見てください、と笑わせた。
岡部さんは墨でサラサラと「アッちゃん」をはじめとして漫画を描きながら、まことに巧みな話をした。岡部さんは、漫画は冷静な笑いでなければならないと言った。そもそも笑いは日常生活のルールやモラルから逸脱し、飛躍するところにはじめて生ずるものである。だから日常生活のルールや、モラルをしっかり守ろうと努力していながら、心ならずも逸脱したり飛躍するときに、はじめて漫画になる。はじめからノンセンスなものは笑いでもなく、したがって漫画でもない、というようなことであった。
講演が終って、私は岡部さんと文芸部の先生と一緒に酒を飲んだ。六本木の「鳥長」の流れをくむ「佐伊登」という鳥屋である。昼間の酒なので皆、すぐいい気持になった。「佐伊登」を出て、拙宅で飲むことにした。その日は真夏のように暑かったり、一天|俄《にわ》かにかき曇って雷をともなった豪雨になったり……しかし昼酒が入ると、雷もかえって趣向のひとつで、いよいよ意気|軒昂《けんこう》となるのだから不思議である。
前後脈絡のない話の連続なのだが、北海道開拓のことになった。そして岡部さんが突如、"Boys, be ambitious !" を「少年よ、大志を抱け」というのは誤訳であると言い出した。
彼によれば明治政府の委託をうけて、時のアメリカ大統領は副大統領であったケプロンを北海道に送りこんだ。そのケプロンの依頼をうけて、北軍の精鋭であったクラーク大尉が赴任してきたのである。そしてクラーク大尉のもとに新渡戸《にとべ》稲造をはじめとして幾多の若き俊秀が集まった。
しかしやがて別離の日がきた。馬に跨《またが》るクラーク大尉のあとを、新渡戸稲造たちはいつまでもいつまでも涙しながらついていった。その時、クラーク大尉は馬上から、
「北海道開拓の決め手は単なる農業技術ではできない。君たちの白いシャツの下に流れる赤い血潮である」
と言って、男のくせに涙など流さずに早く自分の部署に戻れとさとし、最後に、"Boys, be ambitious !" と言ったのだそうだ。だから、正しい訳は前後の事情光景に照らしみて、次のようになる。
「野郎ども、めそめそするな!」