落ちついている。
声が、である。
その乞食は、御所の紫《し》宸殿《しいでん》のやぶれ築《つい》地《じ》に腰をおろし、あご《・・》を永正十四年六月二十日の星空にむけながら、夜の涼をとっていた。
風は、しきりと動いている。
御所とはいえ、もはや廃墟《はいきょ》といっていい。風は、弘徽《こき》殿《でん》、北廊、仁寿殿《じじゅうでん》の落ちた屋根、朽ちた柱のあいだを吹きとおりつつ、土《ど》塀《べい》の上の乞食のほお《・・》をなぶっていた。
世は、戦国の初頭。——
「国主《こくしゅ》になりたいものだ」
と乞食はつぶやいた。
ひとがきけば狂人とおもうだろう。が、乞食は大まじめである。事実、この夜のつぶやきは、日本史が永久に記憶しなければならなくなった。
「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」
乞食。——
厳密には乞食ではないのだが。
京の西郊、西ノ岡のうまれ、——かつては妙覚寺本山で、
「智恵第一の法蓮房《ほうれんぼう》」
といわれた若者である。
智恵第一どころか、「学は顕密《けんみつ》の奥《おう》旨《し》をきわめ、弁舌は富婁那《ふるな》(釈《しゃ》迦《か》の弟子・古代インドの雄弁家)にもおとらず」といわれるほどの学識もあった。
舞もできる。鼓《つづみ》も打て、笛を唇《くちびる》にあてれば名人の域といわれ、しかも、寺で教わりもせぬ刀槍《とうそう》弓矢の術まで、神妙無比の腕に達している。
いまの名は、松波庄九郎。——
声が、である。
その乞食は、御所の紫《し》宸殿《しいでん》のやぶれ築《つい》地《じ》に腰をおろし、あご《・・》を永正十四年六月二十日の星空にむけながら、夜の涼をとっていた。
風は、しきりと動いている。
御所とはいえ、もはや廃墟《はいきょ》といっていい。風は、弘徽《こき》殿《でん》、北廊、仁寿殿《じじゅうでん》の落ちた屋根、朽ちた柱のあいだを吹きとおりつつ、土《ど》塀《べい》の上の乞食のほお《・・》をなぶっていた。
世は、戦国の初頭。——
「国主《こくしゅ》になりたいものだ」
と乞食はつぶやいた。
ひとがきけば狂人とおもうだろう。が、乞食は大まじめである。事実、この夜のつぶやきは、日本史が永久に記憶しなければならなくなった。
「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」
乞食。——
厳密には乞食ではないのだが。
京の西郊、西ノ岡のうまれ、——かつては妙覚寺本山で、
「智恵第一の法蓮房《ほうれんぼう》」
といわれた若者である。
智恵第一どころか、「学は顕密《けんみつ》の奥《おう》旨《し》をきわめ、弁舌は富婁那《ふるな》(釈《しゃ》迦《か》の弟子・古代インドの雄弁家)にもおとらず」といわれるほどの学識もあった。
舞もできる。鼓《つづみ》も打て、笛を唇《くちびる》にあてれば名人の域といわれ、しかも、寺で教わりもせぬ刀槍《とうそう》弓矢の術まで、神妙無比の腕に達している。
いまの名は、松波庄九郎。——
おもうところがあって衣棚押小路《ころものたなおしこうじ》の妙覚寺大本山をとびだし、還俗《げんぞく》した。
髪をのばしはしたが、京は応仁以来の戦乱で荒廃し、諸国はみだれ、さて食えるあて《・・》はない。
戦国。——
といっても、この松波庄九郎、つまり後に戦国諸大名を慄《ふる》えあがらせた斎藤道三《どうさん》の若いころは、まだ、家門がものをいう時代で、いかに有能でも、氏素姓《うじすじょう》もない庄九郎をいきなり士分に召しかかえる大名はなかった。
(——足軽《あしがる》かせぎなら)
口はある。
が、この自負心のつよい若者には、足軽奉公などは、死んでもいやだった。
ついに、乞食に落ちぶれてしまった。
「王にはなりたくないが」
と、庄九郎は、背後の内《だい》裏《り》をみた。庄九郎だけが乞食ではないのである。
灯《あかり》がひとつ、ともっている。
そこに、この国の天子が住んでいる。庄九郎とかわらぬ極貧人で、毎日雑色《ぞうしき》が、「関白袋」と称する袋をさげて京都市中をまわり、一握りずつの米をもらいあるき、かろうじて御所のその日の煙をたてていた。
先帝(後《ご》土《つち》御《み》門帝《かどてい》)が亡《な》くなられてすでに十七年になるが大喪《たいそう》もなされていない。当今《とうぎん》の後柏原帝が践《せん》祚《そ》されてこれまた十七年になるが、即位の費用もない。
「王にはなりたくないが、将軍、それがむりならばせめて国主になりたいものだ」
「夢じゃ」
と、足もとで笑った男がある。
やぶれ築地の下で、犬のようにうずくまって臥《ね》ている。庄九郎が、妙覚寺大本山をとびだすとき、
——わしを家来にしてくだされ。
と付いてきた赤兵衛という寺男である。気転はきくが、妙覚寺でももてあましの小悪党で、盗み、かどわかし、にせ祈《き》祷《とう》師《し》、やらぬ小悪事はないという男であった。
麻の襤褸《ぼろ》をきて縄《なわ》を一すじ腰にまいているが、野太刀《のだち》だけは一本、だいじそうに右肩から背負い掛けていた。
その点、庄九郎もおなじである。
「なにが夢かよ」
庄九郎は、星にむかってうそぶいた。
「ふん」
赤兵衛は、あざわらった。
「夢ではおざりませぬかい。お前様のようなお人に付いて出たがために、とうとう乞食になりはててしもうた」
「将来《すえ》は、栄耀栄《えいようえい》華《が》を見せてやるわ」
「すえのことよりも、いまの一椀《わん》のひえ《・・》がほしいわい」
「乞食め」
庄九郎は笑った。
「これは心外。お前様も乞食ではおざりませぬか」
「物《もの》乞《ご》いはするが、将来《すえ》に望みはもって生きておる。一椀の望みで夢をうしなうようなやつを、乞食とはいうぞ」
さわやかな声である。
貌《かお》は、異相であった。
この男の肖像画は、現今《いま》、岐阜《ぎふ》市本町の日《にち》蓮宗《れんしゅう》常在寺の寺宝として遺《のこ》っている。
住職は、同市の中学校の教頭をつとめているひとで、筆者のために、すでに四百年をへたその絹地の幅《ふく》をひろげてくださった。
岩彩《えのぐ》は変色剥落《はくらく》している。
が、しさいに描線をたどれば、たれの眼でもありありとその骨柄《こつがら》、人相をうかがうことができる。
丈《たけ》の十分にある筋肉質の骨柄で、贅肉《ぜいにく》はない。
顔は面《おも》ながで、ひたい《・・・》は智恵で盛りあがったようにつき出ている。下あご《・・》は、やや前に出、眼に異彩があり、いかにも機敏そうな男である。
異相だが、妙覚寺の稚児《ちご》時代は、
——玉をあざむくほどの美童。
といわれた。
長じていよいよ秀麗をうたわれたが、顔に癖がつよい。しかしそれだけに、男の旨《うま》あじを知った女どもにはたまらぬ味があろうと僧《そう》侶《りょ》のころからいわれていた。
「あっ」
起きあがったのは、赤兵衛である。
「わらわら、人の群れが来るわ。この刻限、松明《たいまつ》もつけずに歩いておるところをみると、物《もの》盗《と》りではおざりませぬか」
「ほう、物盗りか」
庄九郎の空き腹が鳴った。物盗りなら、きっと食物はもっていようと思ったのである。
言うほどもなく、影が立つ。
きらっ、と光ったのは、長《なが》柄《え》の厚刃であろう。
いつのまにか、東山の峰に、月がのぼりはじめている。
「赤兵衛、殺《や》るか」
「殺《や》りましょうず」
ふたりは、築地のかげでうなずきあった。
影の群れは、高笑いしながら、こちらへどんどんやってくる。
紫宸殿の南階十八段のきざはし《・・・・》の下を通って、ななめに御所をつききりはじめた。
「赤兵衛、つけろ」
「へっ」
走り出た。
庄九郎は、あとに残った。
「謹んで勧請《かんじょう》し奉る、本門寿量《ほんもんじゅりょう》の本尊」
と心中唱えたのは、こういう大事の場での、坊主のころからのくせである。
——仏よ。来い。
と祈るのだ。わが利《り》益《やく》のためにはからえ、というのである。むろん、くせだけのことで、自信の強烈な庄九郎には、信心のしおらしさなど、かけらもない。
「南無《なむ》三大《さんだい》秘《ひ》法《ほう》事《じ》一念三千之妙法蓮華経《いちねんさんぜんのみょうほうれんげきょう》」
「南無《なむ》久遠実成大恩教主釈迦《くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃか》牟尼《むに》仏《ぶつ》」
「南《な》無証明法華《むしょうみょうほっけ》多《た》宝如来《ほうにょらい》」
在天のほとけ、みなわがために働け、という庄九郎独創の自《じ》力聖道《りきしょうどう》の法である。もっとも庄九郎だけでなく、この当時、仏法というのは自分のみの利益のためにあるものと信じている者が多かった。日蓮宗徒だけでなく、浄土門の真宗でさえおなじである。
わが身、法華経の功《く》力《りき》さえ信じておれば、
殺すも正義。
盗むも正義。
そんな気でいる。——もっとも、筆者はいう。これはこの戦国当時、一部の法華経信者だけの気風で、現今《いま》、泰平の世に、しかも教学大いにすすんだこんにち、こういう法華経の信じかたはない。
乱世である。
(南無、妙法蓮華経)
と念誦《ねんじゅ》している庄九郎には、正信《しょうしん》などというものではない、独特の罪障消滅法があるのだ。
「庄九郎様」
赤兵衛がもどってきた。
髪をのばしはしたが、京は応仁以来の戦乱で荒廃し、諸国はみだれ、さて食えるあて《・・》はない。
戦国。——
といっても、この松波庄九郎、つまり後に戦国諸大名を慄《ふる》えあがらせた斎藤道三《どうさん》の若いころは、まだ、家門がものをいう時代で、いかに有能でも、氏素姓《うじすじょう》もない庄九郎をいきなり士分に召しかかえる大名はなかった。
(——足軽《あしがる》かせぎなら)
口はある。
が、この自負心のつよい若者には、足軽奉公などは、死んでもいやだった。
ついに、乞食に落ちぶれてしまった。
「王にはなりたくないが」
と、庄九郎は、背後の内《だい》裏《り》をみた。庄九郎だけが乞食ではないのである。
灯《あかり》がひとつ、ともっている。
そこに、この国の天子が住んでいる。庄九郎とかわらぬ極貧人で、毎日雑色《ぞうしき》が、「関白袋」と称する袋をさげて京都市中をまわり、一握りずつの米をもらいあるき、かろうじて御所のその日の煙をたてていた。
先帝(後《ご》土《つち》御《み》門帝《かどてい》)が亡《な》くなられてすでに十七年になるが大喪《たいそう》もなされていない。当今《とうぎん》の後柏原帝が践《せん》祚《そ》されてこれまた十七年になるが、即位の費用もない。
「王にはなりたくないが、将軍、それがむりならばせめて国主になりたいものだ」
「夢じゃ」
と、足もとで笑った男がある。
やぶれ築地の下で、犬のようにうずくまって臥《ね》ている。庄九郎が、妙覚寺大本山をとびだすとき、
——わしを家来にしてくだされ。
と付いてきた赤兵衛という寺男である。気転はきくが、妙覚寺でももてあましの小悪党で、盗み、かどわかし、にせ祈《き》祷《とう》師《し》、やらぬ小悪事はないという男であった。
麻の襤褸《ぼろ》をきて縄《なわ》を一すじ腰にまいているが、野太刀《のだち》だけは一本、だいじそうに右肩から背負い掛けていた。
その点、庄九郎もおなじである。
「なにが夢かよ」
庄九郎は、星にむかってうそぶいた。
「ふん」
赤兵衛は、あざわらった。
「夢ではおざりませぬかい。お前様のようなお人に付いて出たがために、とうとう乞食になりはててしもうた」
「将来《すえ》は、栄耀栄《えいようえい》華《が》を見せてやるわ」
「すえのことよりも、いまの一椀《わん》のひえ《・・》がほしいわい」
「乞食め」
庄九郎は笑った。
「これは心外。お前様も乞食ではおざりませぬか」
「物《もの》乞《ご》いはするが、将来《すえ》に望みはもって生きておる。一椀の望みで夢をうしなうようなやつを、乞食とはいうぞ」
さわやかな声である。
貌《かお》は、異相であった。
この男の肖像画は、現今《いま》、岐阜《ぎふ》市本町の日《にち》蓮宗《れんしゅう》常在寺の寺宝として遺《のこ》っている。
住職は、同市の中学校の教頭をつとめているひとで、筆者のために、すでに四百年をへたその絹地の幅《ふく》をひろげてくださった。
岩彩《えのぐ》は変色剥落《はくらく》している。
が、しさいに描線をたどれば、たれの眼でもありありとその骨柄《こつがら》、人相をうかがうことができる。
丈《たけ》の十分にある筋肉質の骨柄で、贅肉《ぜいにく》はない。
顔は面《おも》ながで、ひたい《・・・》は智恵で盛りあがったようにつき出ている。下あご《・・》は、やや前に出、眼に異彩があり、いかにも機敏そうな男である。
異相だが、妙覚寺の稚児《ちご》時代は、
——玉をあざむくほどの美童。
といわれた。
長じていよいよ秀麗をうたわれたが、顔に癖がつよい。しかしそれだけに、男の旨《うま》あじを知った女どもにはたまらぬ味があろうと僧《そう》侶《りょ》のころからいわれていた。
「あっ」
起きあがったのは、赤兵衛である。
「わらわら、人の群れが来るわ。この刻限、松明《たいまつ》もつけずに歩いておるところをみると、物《もの》盗《と》りではおざりませぬか」
「ほう、物盗りか」
庄九郎の空き腹が鳴った。物盗りなら、きっと食物はもっていようと思ったのである。
言うほどもなく、影が立つ。
きらっ、と光ったのは、長《なが》柄《え》の厚刃であろう。
いつのまにか、東山の峰に、月がのぼりはじめている。
「赤兵衛、殺《や》るか」
「殺《や》りましょうず」
ふたりは、築地のかげでうなずきあった。
影の群れは、高笑いしながら、こちらへどんどんやってくる。
紫宸殿の南階十八段のきざはし《・・・・》の下を通って、ななめに御所をつききりはじめた。
「赤兵衛、つけろ」
「へっ」
走り出た。
庄九郎は、あとに残った。
「謹んで勧請《かんじょう》し奉る、本門寿量《ほんもんじゅりょう》の本尊」
と心中唱えたのは、こういう大事の場での、坊主のころからのくせである。
——仏よ。来い。
と祈るのだ。わが利《り》益《やく》のためにはからえ、というのである。むろん、くせだけのことで、自信の強烈な庄九郎には、信心のしおらしさなど、かけらもない。
「南無《なむ》三大《さんだい》秘《ひ》法《ほう》事《じ》一念三千之妙法蓮華経《いちねんさんぜんのみょうほうれんげきょう》」
「南無《なむ》久遠実成大恩教主釈迦《くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃか》牟尼《むに》仏《ぶつ》」
「南《な》無証明法華《むしょうみょうほっけ》多《た》宝如来《ほうにょらい》」
在天のほとけ、みなわがために働け、という庄九郎独創の自《じ》力聖道《りきしょうどう》の法である。もっとも庄九郎だけでなく、この当時、仏法というのは自分のみの利益のためにあるものと信じている者が多かった。日蓮宗徒だけでなく、浄土門の真宗でさえおなじである。
わが身、法華経の功《く》力《りき》さえ信じておれば、
殺すも正義。
盗むも正義。
そんな気でいる。——もっとも、筆者はいう。これはこの戦国当時、一部の法華経信者だけの気風で、現今《いま》、泰平の世に、しかも教学大いにすすんだこんにち、こういう法華経の信じかたはない。
乱世である。
(南無、妙法蓮華経)
と念誦《ねんじゅ》している庄九郎には、正信《しょうしん》などというものではない、独特の罪障消滅法があるのだ。
「庄九郎様」
赤兵衛がもどってきた。
盗賊らは、かつて御所の宣陽門《せんようもん》があったあたりの「左兵衛督《さひょうえのかみ》宿所」という廃館にあつまっているらしい。
「金銀、食物はいかほど持っておる」
「いやそれが」
赤兵衛がいった。
「生首ひとつなんで。——」
「赤兵衛。それにしてはうれしそうな顔じゃな。察するところ、その生首にねうちがあるのであろう」
「さすがは、智恵第一の庄九郎さま」
ほくほくと顔を崩した。
赤兵衛も利口な男だから、筋みちをたてて話しはじめた。
京の東洞院《ひがしのとういん》二条。——
そこに、奈良屋又兵衛という畿《き》内《ない》有数の油問屋がある。
「油屋なら、とほうもない物持だ。小さな大名ほどの富はある」
庄九郎はうなった。
去年、あるじが亡くなって、いま若後家のお万阿《まあ》というのが、奥から指図している。
「しっかり者か」
「いえいえ、おとなしい女でおざるが、なにぶん跡取り娘のあがりゆえ、亭主が死んでも手代どもが主従同然に心服しておりますゆえ家業に波風は立ちませぬ」
「跡取りならそうであろうとも。——それでその奈良屋がどうした」
「こんど備《び》前《ぜん》から、荏胡麻《えごま》を運びます」
「ほう、それは大がかりな」
荏胡麻とは、燈油の材料である。
この植物は、どうしたことか、京都付近ではあまり育たず、中国筋では備前(岡山県)が最大の産地であった。
ほかに、東では、尾張《おわり》、美濃《みの》、西のほうでは、四国の讃岐《さぬき》、伊予などに栽培されている。
ところが、かんじんの燈油の大消費地は、京都、奈良、堺《さかい》、山崎といった神社仏閣、民家の多い都市である。
それらの町には、店に搾油《しめぎ》機械を備えつけた奈良屋のような大資本があつまっているが、原料そのものは、遠国《おんごく》からはこばねばならない。
その輸送が、大変であった。
なにぶん、乱世である。
途中、盗賊、野伏《のぶせり》が跳梁《ちょうりょう》するだけでなく、沿道の大小名そのものが、関所の通過の仕方に苦情をつけては、ときに金銀を強奪したり、荏胡麻をうばったりする。
自然武装隊商が組まれた。
油問屋が、護衛隊長を傭《やと》い、隊長は請け負った金で牢人《ろうにん》どもをかりあつめ、その人数で輸送隊をまもってゆくのである。
その隊商の人数は、牢人をふくめて七、八百人になる、というのがふつうだった。
「はて……」
庄九郎の智恵でもそこがわからない。
「その荏胡麻と生首とは、どんなつながりがある」
「生首というのは、——ほら」
赤兵衛は、指を一本立てた。
「例の春夏悪右衛門でおざりまするよ」
「ほう」
異様な名だが、どうせ、本名をかくしたあ《・》だな《・・》である。
庄九郎も、名はきいている。
もとは山名家の足軽だったというが、怪力無双といわれた男で、牢人したあと、あぶれ牢人をあつめてはばくち《・・・》を打ったり、戦さがあれば陣屋を借りて稼《かせ》いだり、ときには商家にやとわれて用心棒をつとめたりしていた洛《らく》中《ちゅう》の名物男で、ちかごろは、奈良屋の荷頭《にがしら》(護衛隊長)もつとめている、といううわさを庄九郎もきいていた。
「その悪右衛門が首になったのか」
「左様」
「あの連中に殺されたわけじゃな」
庄九郎には、すべてがわかった。
奈良屋の荷頭といえば、商家の侍大将だから、少々な大名の物頭《ものがしら》などより収穫《みいり》がいい。
その悪右衛門の位置をねらうために、洛中の別なあぶれ者の集団が、かれを襲って首にしてしまったのだろう。
「して、連中は何者だ」
「青《あお》烏帽子《えぼし》の源八でおざる」
「おお」
首になった悪右衛門と、洛中を両分していたあぶれ牢人の首領である。
「おれにも、運がむいてきたな」
庄九郎は、長いすね《・・》をのばして立ちあがった。風が、びんをほつらせている。
星を見あげた。
「今夜は、おれの一生にとって最初のいい日になるだろう」
我智《がち》力如《りきにょ》是《ぜ》、慧光照無量《えこうしょうむりょう》、寿命無数劫《じゅみょうむしゅこう》、久《く》修業所得《しゅごうしょとく》……と、庄九郎は、つい僧門当時の癖で自我偈《じがげ》をとなえた。
(われに力あらしめよ)
そう祈ったのである。
いまから、殺戮《さつりく》をする。
餓鬼《がき》、外《げ》道《どう》、堕地獄ども、わが利《り》益《やく》のために殺されよ、——庄九郎の全身に、みずみずしい力が湧《わ》いてきた。
「庄九郎さま。どうやら奈良屋の荷頭の位置を、あなたさまが横どりなさる、という筋でおざりまするな」
「よう見た。おれが取る」
笑った。声をたてて。
澄んでいる。この男の声をきく者は、すべて、これがなま《・・》な人間の穢《え》身《しん》から出た声か、とおもうほど、清らかである。自分のやることのすべてが正義だ、と信じている証拠だろう。
「しかし、赤兵衛」
「へい」
「まだ読みが浅い。おれはあの北斗七星をみて、もっと将来《すえ》の将来《すえ》のおれの相《そう》をみた。仏《ぶつ》母大孔雀明王経《もだいくじゃくみょうおうきょう》という経には、諸星よく吉凶をあらわす、とある」
「あなたさまの将来《すえ》は、どうなるので」
「不滅の名を英雄列伝にのこす、とある」
うそだ。
庄九郎は、心中、自分のうそを可笑《おか》しがりながら、淡い星明りのなかで、小悪党の赤兵衛の眼を、じっと見つめた。
赤兵衛は、がたがた慄《ふる》えだした。恐怖ではない。いいようのない、はげしい感動であった。
(とほうもない人傑に、おれは付いた。おれの運もひらけてくるだろう)
むろん、のぞきこんでいる庄九郎は、赤兵衛の感動をそう読みとっている。
「赤兵衛、いまから斬《き》り込む。命を惜しんで運をとり落すまいぞ」
「よう承わった」
「赤兵衛、目《め》釘《くぎ》——」
庄九郎はツカをたたいて、
「調べておけ」
といった。
赤兵衛は、べっ、と目釘につばをかけた。
二人は、御所のなかを歩いた。
御所のなか、といっても、廃屋同然で、左《さ》近《こん》の桜、右《う》近《こん》の橘《たちばな》のあたりは、すね《・・》でかきわけねばならぬほどの雑草でおおわれている。
二人は、日《じっ》花《か》門《もん》の崩れおちたあとを通り、宣耀殿《せんにょうでん》あとの礎石をふみ、やがて、かれらが巣を作っている左兵衛督の廃館の窓に忍びより、やがてつまさきを立ててのぞきこんだ。
内部《なか》に、獣脂の灯が三つ、皿《さら》の上でさかんに油煙をあげながら燃えている。
土間の炉に大鍋《おおなべ》がかかり、獣肉が煮えていた。それをとりまいて、五人の男が濁酒《くろき》をのんでいる。親分の青烏帽子の源八は、そういう異風な帽をかぶっているだけで、ひと目で知れた。
(あいつか)
庄九郎は、相手の短所を読みとろうとして凝視した。
眼の動きは、ややにぶい。
が、灯《ほ》明《あか》りの影で筋肉の一つ一つが隈《くま》どりされ、胸の谷を体毛がうずめて、すさまじいばかりの巨漢である。
庄九郎は、顔色も変えなかった。
低声《こごえ》で、
——赤兵衛、おのれは北廊のほうの出口にまわって待ち伏せろ。わし一人が斬りこんでますぐに青烏帽子を斃《たお》す。
——されば?
と、赤兵衛は自分の役目をきいた。
——わからぬか。わしが青烏帽子を斃《たお》したと同時に、北廊への出口で、人数が十人も来たかとおもうほどに、その辺をたたきまわり、喚《わめ》きちらすのじゃ。これが、松波庄九郎の開運の合戦になるぞ。命をおしむな。
「へっ」
影になって、忍び走った。
庄九郎は、そろりと剣をぬいた。妙覚寺の蔵から盗みだした身分には不相応な、三条小《こ》鍛冶《かじ》宗近《むねちか》の二尺八寸。
抜きはなつと、月を受けてこの作独特の乱れ刃がにぎにぎしく明滅した。
庄九郎は、躍りこんだ。
まず、大鍋を蹴《け》りたおしてすさまじい灰神《はいかぐ》楽《ら》をたて、
「青烏帽子」
叫ぶのと踏みこむのと、灰神楽のむこうに動く影を斬りおろすのとが、同時であった。
「汝《われ》ァ」
ぱっ、と灰が朱で染まった。
「何者ぞ」
青烏帽子が盛りあがるようにして立ちあがった。
右肩を割られながらも抜き打ちに斬り返してきた。が、庄九郎はかわしもせずに踏みこみ、
「南無羅《なむら》刹《せつ》ッ」
それが気合なのか、天の鬼神を招《よ》んだのか、庄九郎の声がおわったときには、青烏帽子は、まっこうからあご《・・》にかけて真二つに割られていた。
青烏帽子の乾《こ》分《ぶん》は、腰をぬかしている。
「しずまれ」
庄九郎はさわやかにいった。
「奈良屋の荷頭は、わしになる」
どの男も、平伏した。