逃がした魚は大きい、というが、奈良屋のお万阿の心境は、そんなものである。
「杉丸、さがすのです」
——松波庄九郎様を。
(なんという風流士《みやびお》であることか)
荷駄隊を護送し、戦闘し、しかも京に帰ってからは、一文の報酬もとらずに身を消してしまっている。
真の風流士というものは、そんなものであろう。
が、惚《ほ》れるところまで行っていない。
(いや、男には惚れはせぬ)
とかたく思っている後家殿である。
陽気で、あけっぴろげで、どうかすると、使用人の眼の前でも平気で小《こ》袖《そで》を着更《きが》えたりするお万阿だが、
(なかなか、どうして。——)
と、京洛《けいらく》の好色《すき》者《もの》が、手をつかねている後家殿だ。
(奈良屋のお万阿は蕩《と》けやせぬ。あれが仇《あだ》し男に蕩けるなら、丹《たん》波《ば》の黒石が湯で融《と》けるであろう)
といわれているほどである。
お万阿のばあい、貞潔、などというようななまやさしいものではない。
第一、お万阿に、操《みさお》ごころなどはなかった。この当時の京の町家の後家は、江戸時代のようなこせこせした世間に生きていない。後家といえば、たれに遠慮することもない身で、気に入れば男とも臥《ね》ようし、あらたな男と添いもする。
さればお万阿は、亡夫に遠慮があるのか。
ない。
お万阿は、家付《いえつき》のうまれである。亡夫は、死んだ両親がえらんだ手代のあがりで、これは、一遍宗《いっぺんしゅう》という妙な宗旨に凝っているだけが能の、陰気な男だった。四《し》六時中《ろくじちゅう》、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、とばかり唱えていた。
亭主が死んだとき、
(ああ、あの南無阿弥陀仏から解放されるのか)
と、ほっとしたくらいである。一遍宗は、生涯《しょうがい》に一遍だけでも南無阿弥陀仏をとなえればそれだけで極楽に往《い》ける、という乱世むきのお宗旨だから、亭主殿はおそらく極楽へ行ったであろう。
(だから、弔う必要も、悼《いた》んでやることもいらない)
——極楽《いいところ》へ行ったのだから。
からっとそう割りきっている。
しかし。
である。
操ごころも亡夫への想《おも》いもさほどにないお万阿ではあるが、しかし財産がある。
奈良屋の巨富がある。
これがお万阿の四書五経であり、仏説阿弥陀経であり、現《げん》世利《ぜり》益《やく》の法海であり、いわば貞操でもある。
(うかつな男と臥《ね》れば、ずるずるとこの奈良屋に入りこまれ、わたくしの体の上ならともかく、金銀の上にあぐらをかかれてしまい、しまうばかりか、いいように費消《つか》われてしまう)
そうおもっている。
自衛の緊張がすこしでもゆるめば、他人に生命財産を犯されてしまう時代なのだ。お万阿のこの気持は当然であろう。
(——しかし松波庄九郎様には)
興味がある。
杉丸をはじめ、手代、小者、飼いおきの牢《ろう》人《にん》に手をつくして探させた。
ところが、いない。
例の、日蓮宗妙覚寺本山にもいないし、寺にいる庄九郎の旧友たちにたずねても、
「あれだけの男だ。しかるべき大名にでも仕えたのではないか」
というばかりであった。
やがて、秋が深くなった。
京の町《まち》屋《や》の軒下にも虫が鳴くようになったが、庄九郎の消息はついにきかなかった。
冬になった。
ついに年が明けてしまった。明くれば、永《えい》正《しょう》十五年。
「杉丸、さがすのです」
——松波庄九郎様を。
(なんという風流士《みやびお》であることか)
荷駄隊を護送し、戦闘し、しかも京に帰ってからは、一文の報酬もとらずに身を消してしまっている。
真の風流士というものは、そんなものであろう。
が、惚《ほ》れるところまで行っていない。
(いや、男には惚れはせぬ)
とかたく思っている後家殿である。
陽気で、あけっぴろげで、どうかすると、使用人の眼の前でも平気で小《こ》袖《そで》を着更《きが》えたりするお万阿だが、
(なかなか、どうして。——)
と、京洛《けいらく》の好色《すき》者《もの》が、手をつかねている後家殿だ。
(奈良屋のお万阿は蕩《と》けやせぬ。あれが仇《あだ》し男に蕩けるなら、丹《たん》波《ば》の黒石が湯で融《と》けるであろう)
といわれているほどである。
お万阿のばあい、貞潔、などというようななまやさしいものではない。
第一、お万阿に、操《みさお》ごころなどはなかった。この当時の京の町家の後家は、江戸時代のようなこせこせした世間に生きていない。後家といえば、たれに遠慮することもない身で、気に入れば男とも臥《ね》ようし、あらたな男と添いもする。
さればお万阿は、亡夫に遠慮があるのか。
ない。
お万阿は、家付《いえつき》のうまれである。亡夫は、死んだ両親がえらんだ手代のあがりで、これは、一遍宗《いっぺんしゅう》という妙な宗旨に凝っているだけが能の、陰気な男だった。四《し》六時中《ろくじちゅう》、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、とばかり唱えていた。
亭主が死んだとき、
(ああ、あの南無阿弥陀仏から解放されるのか)
と、ほっとしたくらいである。一遍宗は、生涯《しょうがい》に一遍だけでも南無阿弥陀仏をとなえればそれだけで極楽に往《い》ける、という乱世むきのお宗旨だから、亭主殿はおそらく極楽へ行ったであろう。
(だから、弔う必要も、悼《いた》んでやることもいらない)
——極楽《いいところ》へ行ったのだから。
からっとそう割りきっている。
しかし。
である。
操ごころも亡夫への想《おも》いもさほどにないお万阿ではあるが、しかし財産がある。
奈良屋の巨富がある。
これがお万阿の四書五経であり、仏説阿弥陀経であり、現《げん》世利《ぜり》益《やく》の法海であり、いわば貞操でもある。
(うかつな男と臥《ね》れば、ずるずるとこの奈良屋に入りこまれ、わたくしの体の上ならともかく、金銀の上にあぐらをかかれてしまい、しまうばかりか、いいように費消《つか》われてしまう)
そうおもっている。
自衛の緊張がすこしでもゆるめば、他人に生命財産を犯されてしまう時代なのだ。お万阿のこの気持は当然であろう。
(——しかし松波庄九郎様には)
興味がある。
杉丸をはじめ、手代、小者、飼いおきの牢《ろう》人《にん》に手をつくして探させた。
ところが、いない。
例の、日蓮宗妙覚寺本山にもいないし、寺にいる庄九郎の旧友たちにたずねても、
「あれだけの男だ。しかるべき大名にでも仕えたのではないか」
というばかりであった。
やがて、秋が深くなった。
京の町《まち》屋《や》の軒下にも虫が鳴くようになったが、庄九郎の消息はついにきかなかった。
冬になった。
ついに年が明けてしまった。明くれば、永《えい》正《しょう》十五年。
その正月も月ずえになったころ、京の高倉通を北へ歩いていた杉丸が、花園《はなぞの》左大臣の廃邸の辻《つじ》で、ばったり赤兵衛と出会った。
「あっ、赤兵衛殿」
すがりついた。
「さがしておりましたぞ。松波庄九郎様は、いずれに在《わ》せられまする」
「たれかと思えば、杉丸どの」
赤兵衛はおちついたものだ。
ゆったりと破れ築《つい》地《じ》に腰をおろした。足もとに、先刻降った雪が残っている。
「さがす、とはたれを?」
「松、松波庄九郎様でござりまするわ」
「庄九郎様を、どなたがおさがし申しあげているのでござる」
赤兵衛、これは人の顔ではない。むじなの顔を柿《かき》の渋に漬《つ》けたような皮膚をしている。ぼってりと肉が厚く、表情がよくわからない。
が、表情の奥には、
(思うつぼ《・・》よ)
という微笑があるのだが、杉丸のような男にはわからない。
赤兵衛は、庄九郎に命ぜられて、ここ数日京の市中を歩き、奈良屋の者と出遭う機会を待っていたのである。
「奈良屋の御料人様でございます。庄九郎様が京からお姿を昏《くら》まされてこのかた、毎日々々、われわれをおせめなされ、手代どもは身の痩《や》せる思いでございます」
「それはお気の毒」
赤兵衛は、腰の垢《あか》じみた麻袋から干し肉をつまみ出して口に入れた。
(なんの獣肉やら。——)
と、杉丸は気味がわるい。
赤兵衛はうまそうに食っている。
「おぬしも、食わぬか」
と、ひときれくれた。杉丸は受けとってはみたが、そのえたいの知れぬ獣肉よりも、赤兵衛の手に触れたことがむしろ気味わるくて、
「あ、ありがとうござります」
といったきり、掌《てのひら》にのせている。
「お食べ」
「はい。しかし松波様の」
「ありか《・・・》か。庄九郎様は京にはおわさぬ」
「では、いずれに?」
「旅に。——」
は、事実であった。庄九郎は、丹波、但馬《たじま》、若狭《わかさ》、因幡《いなば》、伯耆《ほうき》、といった諸国をめぐりあるき、例によって、白蟻《しろあり》の食った古い大名家はないか、とさがしていた。
「しかしながら」
赤兵衛は、肉を口に入れた。
「いまは有《あり》馬《ま》の湯で湯治なされている」
「あっ、それならば」
京から近い。
三日もあれば、行けるであろう。
「さっそく、それがし、お会い頂くために参上いたしまする」
「はは、おぬしが? お会いなされぬわ。庄九郎さまは兵書、仏書などをお読みなされて、おいそがしいお身じゃ」
と、赤兵衛はくどくどと勿体《もったい》をつけた。
「さ、されば」
杉丸は思いきっていった。
「御料人様に行っていただきまする。京から一歩もお出ましなさらぬおかたでござりまするが、杉丸めが、理《こと》を解《わ》けてお説き申しあげまする。して、お宿は?」
「有馬温泉《うんせん》寺《じ》の宿坊たる奥之坊」
大変な山中である。
有馬の湯は、摂津有馬郡。「囲《かこ》むに山嶺《さんれい》をもってし、諸水、東南に潰《つい》ゆ」と旧記にあるとおり、北摂山塊の渓谷《けいこく》にある。
が、畿《き》内《ない》という地は、温泉のないところでわずかに有馬一カ所である。自然、古くから京の貴顕紳商に愛され、人皇《にんのう》三十六代孝徳天皇などは、左右大臣、群卿《ぐんけい》、諸大《しょだい》夫《ぶ》をひきいて八十二日も逗留《とうりゅう》された。この間、渓谷に国都が移ったような観があったという。
いや、湯はおっそろしく赤い。
妙なにおいもする。火山地帯に住む関東、奥羽、九州の者なら、土民でもいやがるような湯だが、京《けい》畿《き》では上代の天子でさえ、これほどに珍重した。
「有馬の湯に?」
お万阿は、まずそれに気が誘惑《そそ》られた。
(行ってみようかしら)
「杉丸、温泉とは、どのようなものです」
「谷の水が、熱うございます」
「本当に熱いものですか」
「はい。冬などはもうもうと湯気が立ちこめて、眼の前の木の枝がみえぬほどでございます」
「うそ」
お万阿は、楽しんでいる。
「お湯が、自《じ》然《ねん》々々と湧《わ》きあがるはずがないではありませんか」
「いらっしゃればわかります」
「杉丸は、温泉を見たことがある?」
「有馬は知りませぬが、先年、備前へ荏胡麻《えごま》を買いつけに参ったとき、美作《みまさか》の湯に浸《つか》ったことがございます」
「お万阿も浸りたい」
「ぜひ」
と、杉丸はいった。
「有馬の湯へ参られまし。一生のはなしのたねでございましょう」
「そうします」
決心すると、お万阿は早い。
早速、護衛の隊を組織させた。途中、西国《さいごく》街道はよいとしても、有馬街道は峠がいくつかあって、山賊の巣窟《そうくつ》もあるという。
飼っている牢人のほかに、東寺から寺侍を借り受け、三十人の隊をつくった。むこうへ到着するとかれらを返し、また迎えに来させるのである。
お万阿は出かけた。
二月。
京にはすでに雪はない。しかし摂津の山を奥へ奥へと分け入るにつれて雪は深く、それが都育ちのお万阿にはかえってめずらしかった。
有馬の湯は、摂津有馬郡。「囲《かこ》むに山嶺《さんれい》をもってし、諸水、東南に潰《つい》ゆ」と旧記にあるとおり、北摂山塊の渓谷《けいこく》にある。
が、畿《き》内《ない》という地は、温泉のないところでわずかに有馬一カ所である。自然、古くから京の貴顕紳商に愛され、人皇《にんのう》三十六代孝徳天皇などは、左右大臣、群卿《ぐんけい》、諸大《しょだい》夫《ぶ》をひきいて八十二日も逗留《とうりゅう》された。この間、渓谷に国都が移ったような観があったという。
いや、湯はおっそろしく赤い。
妙なにおいもする。火山地帯に住む関東、奥羽、九州の者なら、土民でもいやがるような湯だが、京《けい》畿《き》では上代の天子でさえ、これほどに珍重した。
「有馬の湯に?」
お万阿は、まずそれに気が誘惑《そそ》られた。
(行ってみようかしら)
「杉丸、温泉とは、どのようなものです」
「谷の水が、熱うございます」
「本当に熱いものですか」
「はい。冬などはもうもうと湯気が立ちこめて、眼の前の木の枝がみえぬほどでございます」
「うそ」
お万阿は、楽しんでいる。
「お湯が、自《じ》然《ねん》々々と湧《わ》きあがるはずがないではありませんか」
「いらっしゃればわかります」
「杉丸は、温泉を見たことがある?」
「有馬は知りませぬが、先年、備前へ荏胡麻《えごま》を買いつけに参ったとき、美作《みまさか》の湯に浸《つか》ったことがございます」
「お万阿も浸りたい」
「ぜひ」
と、杉丸はいった。
「有馬の湯へ参られまし。一生のはなしのたねでございましょう」
「そうします」
決心すると、お万阿は早い。
早速、護衛の隊を組織させた。途中、西国《さいごく》街道はよいとしても、有馬街道は峠がいくつかあって、山賊の巣窟《そうくつ》もあるという。
飼っている牢人のほかに、東寺から寺侍を借り受け、三十人の隊をつくった。むこうへ到着するとかれらを返し、また迎えに来させるのである。
お万阿は出かけた。
二月。
京にはすでに雪はない。しかし摂津の山を奥へ奥へと分け入るにつれて雪は深く、それが都育ちのお万阿にはかえってめずらしかった。
有馬の山郷に入った。
この里が温泉として飛躍的に発展したのは、お万阿のこの時期よりも七十年後、太閤秀吉《たいこうひでよし》が諸将、諸嬪《しょひん》をひきいて有馬湯治をやったときからで、当時は、
(まあ、こんな山里。——)
と、お万阿がおもわず、風雅を通りこしてわびしさにぼう然としてしまったほどの山《やま》家《が》であった。
普通の湯治客は、キコリの家にたのんでとめてもらうのである。
多少の物持、身分ある者は、温泉寺の宿坊にとまるのであった。奥之坊、二階坊、御所《ごしょの》坊《ぼう》。それに蘭若院《らんにゃくいん》、阿弥陀《あみだ》房、清涼院、といった塔頭《たっちゅう》。
それらが、渓流ぞいに点在している。これが宿である。
「験《げん》がござりまするぞ」
と、杉丸がしきりといった。この当時の湯治は、なかば宗教的なものである。
上古、温泉の多くは僧侶《そうりょ》によってひらかれた。僧侶は、シナの医書を読んで、温泉の薬効あることを知っている。かれらは温泉に寺を建て、宿坊をつくり、大いに宣伝して俗人をあつめた。仏法を言葉で説くよりも、温泉の薬効で人をおどろかせ、しかるのちに「それこそ霊験である」と説いた。有馬の湯も、奈良朝の僧行基《ぎょうき》がひらいたもので、温泉寺もこの行基菩《ぼ》薩《さつ》の建立《こんりゅう》であった。
お万阿の一行は、御所坊と蘭若院に分宿した。
せまい渓谷である。
眼の前に、松波庄九郎が逗留しているはずの奥之坊の檜皮《ひわだ》屋根がみえる。
「杉丸、それとのうおさぐりなさい」
と命じた。
いや、さぐるまでもなかった。
この山里のキコリにいたるまで、
「京からつややかなお武家様がみえていて、毎夜遅くまで奥之坊で書物をお読みなされている」
といううわさで持ちきりであった。
(それこそ、庄九郎様。——)
お万阿の胸はおどった。どういうことであろう。恋に似ている。
「杉丸めが、ご先導つかまつります」
といったが、お万阿はおさえ、
「わたくしがいきなりお訪ねして、あの生真《きま》面目《じめ》な庄九郎様をおどろかせてさしあげましょう」
と、声をはずませた。
(………?)
杉丸はその様子をみて、すこし心配になってきた。
(お万阿様は、懸《け》想《そう》なされたのではあるまいか)
到着した翌日、まだ陽《ひ》が高いころに、お万阿は、奥之坊への苔《こけ》蒸《む》した石段をのぼった。
坊がある。
白木の寝殿造りで、戸は蔀戸《しとみど》の古風な建物だが、一角だけが、当世風の書院になっている。その華《か》葱窓《そうまど》の障子あかりに、人影があった。
(庄九郎様、にちがいない)
はずむ思いで玄関で案《あ》内《ない》を乞《こ》い、出てきた僧にいきなり多額のぜにをあたえた。
「ご喜捨、ご奇特に存ずる」
と、僧は、下へもおかぬ態度をとった。
「案内は要りませぬ。松波庄九郎様のお部屋に参ります」
「あれなる書院でござる」
僧も、なにやら察したらしい。気をきかせたつもりで、姿を消してしまった。
「庄九郎様」
ふすまのかげで、お万阿は声をかけた。
せまい渓谷である。
眼の前に、松波庄九郎が逗留しているはずの奥之坊の檜皮《ひわだ》屋根がみえる。
「杉丸、それとのうおさぐりなさい」
と命じた。
いや、さぐるまでもなかった。
この山里のキコリにいたるまで、
「京からつややかなお武家様がみえていて、毎夜遅くまで奥之坊で書物をお読みなされている」
といううわさで持ちきりであった。
(それこそ、庄九郎様。——)
お万阿の胸はおどった。どういうことであろう。恋に似ている。
「杉丸めが、ご先導つかまつります」
といったが、お万阿はおさえ、
「わたくしがいきなりお訪ねして、あの生真《きま》面目《じめ》な庄九郎様をおどろかせてさしあげましょう」
と、声をはずませた。
(………?)
杉丸はその様子をみて、すこし心配になってきた。
(お万阿様は、懸《け》想《そう》なされたのではあるまいか)
到着した翌日、まだ陽《ひ》が高いころに、お万阿は、奥之坊への苔《こけ》蒸《む》した石段をのぼった。
坊がある。
白木の寝殿造りで、戸は蔀戸《しとみど》の古風な建物だが、一角だけが、当世風の書院になっている。その華《か》葱窓《そうまど》の障子あかりに、人影があった。
(庄九郎様、にちがいない)
はずむ思いで玄関で案《あ》内《ない》を乞《こ》い、出てきた僧にいきなり多額のぜにをあたえた。
「ご喜捨、ご奇特に存ずる」
と、僧は、下へもおかぬ態度をとった。
「案内は要りませぬ。松波庄九郎様のお部屋に参ります」
「あれなる書院でござる」
僧も、なにやら察したらしい。気をきかせたつもりで、姿を消してしまった。
「庄九郎様」
ふすまのかげで、お万阿は声をかけた。
(来た。——)
と、庄九郎。
朱塗りの経机に眼をおとしている。
(どう料理《りょう》るか)
むずかしいところだ。お万阿といえば身持のかたさで通った女ではないか。
と、庄九郎はいっぱしな思案をめぐらせてみるものの、実のところ、腹中にあるのはこの男生来《せいらい》の強烈な自信だけで、じつのところ、女を知らない。
稚児《ちご》は、さんざん知っている。手練手管はおなじようなものだと思うが、さてあのから《・・》だ《・》は、なんと稚児とちがうことであろう。
有《う》年峠《ねとうげ》で、小《こ》宰相《ざいしょう》のからだに触れて、
(女とはこうしたかたち《・・・》なものか)
とはじめて知った。
われながら嘲《わら》うべき無智である。いやなるほどほんのこのあいだまで、戒律のうるさい妙覚寺の学生《がくしょう》だった身だから無智はやむをえないとしても、
(しかしそのおれが、名だたる奈良屋のお万阿御料人を蕩《と》かせようというのだから、これは有年峠の合戦のようには行くまい)
とおもっている。
しかし、お万阿をしてはるばる有馬の湯まで惹《ひ》きよせたということは、庄九郎の軍略はなかば以上成功したというべきであろう。
「どなたです」
やっと、庄九郎は低い声でいった。
「奈良屋の」
と、お万阿はいった。
「奈良屋の?」
「お万阿でございます」
「うそじゃ」
庄九郎、書物から眼をはなさない。
「うそ? でございますと?」
「誑《たぶ》らかそうにも、法華経行学《ほけきょうぎょうがく》の奥義をきわめたるこの松波庄九郎はたぶらかされぬぞ」
「———?」
お万阿にはなんのことやらわからない。
「一昨夜も、お万阿はここへ来た」
(えっ)
生霊《いきりょう》でもないかぎり、お万阿は来れるはずがないではないか。
「おれは、正体を見ぬいていた。それに性《しょう》こりもなく、きょうも来た。……しかも真昼」
「…………」
「おのれは、裏山に巣食う狐《きつね》であろう」
「ち、ちがいまする」
お万阿にも事態がわかってきた。これをどう弁《べん》疏《そ》すればよいのか。
「ふすまの蔭《かげ》におる女」
「は、はい」
「正体は狐と知れておる。わしが奈良屋のお万阿どのを恋うるのを知って、さかしくも化けて出たのであろう」
(あっ)
と驚いたのは、ほかでもない。庄九郎の本心がわかったのである。これほどのひとが、さあらぬ体《てい》をつくろいつつ、内実は自分を恋うてくれていたのか。しかも、明かさず、身をかくすなどして、なんとゆかしい人物なのであろう。
(うれしい)
とおもった。そこは女である。自分を恋うてくれると知って心の動かぬものは、女ではないであろう。
「狐。——」
庄九郎、声はさわやかである。
「あくまでも奈良屋のお万阿殿であるとたぶらかすうえは」
「うえは?」
「これへ来い。帯を解き、小袖を剥《は》ぎ、身をあらわにして、正体をつきとめてとらせようぞ」
「——あの」
お万阿はこまった。
いっそ狐になりとおして、小袖もなにも、庄九郎の手で剥ぎとられてみたい、と思った。
と、庄九郎。
朱塗りの経机に眼をおとしている。
(どう料理《りょう》るか)
むずかしいところだ。お万阿といえば身持のかたさで通った女ではないか。
と、庄九郎はいっぱしな思案をめぐらせてみるものの、実のところ、腹中にあるのはこの男生来《せいらい》の強烈な自信だけで、じつのところ、女を知らない。
稚児《ちご》は、さんざん知っている。手練手管はおなじようなものだと思うが、さてあのから《・・》だ《・》は、なんと稚児とちがうことであろう。
有《う》年峠《ねとうげ》で、小《こ》宰相《ざいしょう》のからだに触れて、
(女とはこうしたかたち《・・・》なものか)
とはじめて知った。
われながら嘲《わら》うべき無智である。いやなるほどほんのこのあいだまで、戒律のうるさい妙覚寺の学生《がくしょう》だった身だから無智はやむをえないとしても、
(しかしそのおれが、名だたる奈良屋のお万阿御料人を蕩《と》かせようというのだから、これは有年峠の合戦のようには行くまい)
とおもっている。
しかし、お万阿をしてはるばる有馬の湯まで惹《ひ》きよせたということは、庄九郎の軍略はなかば以上成功したというべきであろう。
「どなたです」
やっと、庄九郎は低い声でいった。
「奈良屋の」
と、お万阿はいった。
「奈良屋の?」
「お万阿でございます」
「うそじゃ」
庄九郎、書物から眼をはなさない。
「うそ? でございますと?」
「誑《たぶ》らかそうにも、法華経行学《ほけきょうぎょうがく》の奥義をきわめたるこの松波庄九郎はたぶらかされぬぞ」
「———?」
お万阿にはなんのことやらわからない。
「一昨夜も、お万阿はここへ来た」
(えっ)
生霊《いきりょう》でもないかぎり、お万阿は来れるはずがないではないか。
「おれは、正体を見ぬいていた。それに性《しょう》こりもなく、きょうも来た。……しかも真昼」
「…………」
「おのれは、裏山に巣食う狐《きつね》であろう」
「ち、ちがいまする」
お万阿にも事態がわかってきた。これをどう弁《べん》疏《そ》すればよいのか。
「ふすまの蔭《かげ》におる女」
「は、はい」
「正体は狐と知れておる。わしが奈良屋のお万阿どのを恋うるのを知って、さかしくも化けて出たのであろう」
(あっ)
と驚いたのは、ほかでもない。庄九郎の本心がわかったのである。これほどのひとが、さあらぬ体《てい》をつくろいつつ、内実は自分を恋うてくれていたのか。しかも、明かさず、身をかくすなどして、なんとゆかしい人物なのであろう。
(うれしい)
とおもった。そこは女である。自分を恋うてくれると知って心の動かぬものは、女ではないであろう。
「狐。——」
庄九郎、声はさわやかである。
「あくまでも奈良屋のお万阿殿であるとたぶらかすうえは」
「うえは?」
「これへ来い。帯を解き、小袖を剥《は》ぎ、身をあらわにして、正体をつきとめてとらせようぞ」
「——あの」
お万阿はこまった。
いっそ狐になりとおして、小袖もなにも、庄九郎の手で剥ぎとられてみたい、と思った。