山峡《やまかい》の空がみるみる藍色《あいいろ》に染まりはじめているが、そのせまい天に、すでに明星《みょうじょう》が出ている。
「そこの岩湯の女《もの》、そちはきのうの有馬狐《ありまぎつね》か」
と、湯に浸《つか》りながら庄九郎はいった。
(くっ。……)
と腹のなかで笑ったが、お万阿《まあ》はだまっている。この楽しさ、娘のころにもどったようだ。
「狐も入湯するのか」
「いたしまする」
「狐」
庄九郎は宵《よい》の明星を見あげながらいった。
「こちらの岩湯へ来《こ》よ。そちの肌《はだ》、わが手で賞《め》でてやろう」
声が、凜《りん》としている。
「厭《い》やでございます」
「ならばよい」
眼は、藍色の天へ。
明星が、庄九郎の将来を期待するようにかがやいている。
庄九郎が妙覚寺で学んだ天文術では、金星はここ数年、日没後西天高く輝き、太陽より四時間も遅れて沈む。
庄九郎の生まれた年もそういう周期にあたっていた。母が、——氏《うじ》もなき山城《やましろ》西ノ岡の庶女だったが、
「この子は、明星の申し子じゃ」
といっていた。
庄九郎も、そう信じている。明星は、独り輝き、他の群星とむらがらない。庄九郎は自分自身の光で、天にかがやくときがくるであろう。
(ことしもその周期か)
開運の年かもしれない。しかしながら徒《と》手《しゅ》空拳《くうけん》で運をひらくのは容易なことではない。
順がある。
階《きざはし》を踏むごとく。
開運の順は、まずお万阿のからだを開くことであった。
「有馬狐、あの星をみろ」
「あれが?」
「おれだ」
断固といった。
庄九郎は、宿曜経《しゅくようけい》という古い中国の占星術のはなしをした。
お万阿は、湯気をへだてて聴いている。
庄九郎は生来、音量のゆたかな声で、しかも底に力がある。おのずからひとを説得し、陶酔させる力があった。
「わたくしは、なんの星でございます」
「知らぬな」
「薄情」
お万阿は蓮《はす》っ葉《ぱ》になっている。
「おれは、おれが明星であればよい。それだけを有馬狐、知っておくがよい」
お万阿の体が浮いた。
岩角をはなれ、岩肌づたいに体を浮かせながら、庄九郎の岩間にきた。
「あの、お万阿の星は?」
あまえている。
「有馬狐」
といったときは、湯の中で庄九郎の腕がお万阿の腰を掻《か》きよせていた。
「よい肌じゃ」
背後の山肌に、千年杉《せんねんすぎ》が天を蔽《おお》わんばかりにして枝を栄えさせている。すでにあたりは暗くなっていた。
庄九郎は、お万阿の唇《くちびる》を吸った。
(甘い)
なんとあまいものか。庄九郎は女の唇を吸うのははじめてであった。
庄九郎は、右腕を沈めてお万阿の豊かな股《こ》間《かん》にふれた。湯のなかでもそれと知れるほどに濡《ぬ》れている。
「お万阿、ここ《・・》は何ぞ」
と、お万阿の耳もとでささやいた。
「お万阿ののの《・・》さま(仏様の幼児語)でございます」
「おれはまだ、この仏国《ぶっこく》土《ど》の内部《なか》を知らぬが、それほどな悦楽の里であるのか」
「存じませぬ。庄九郎様ほどのお方なら、沢《たん》山《と》な女人《にょにん》ののの《・・》さまをご存じでございましょうに」
「法蓮房、と」
と、庄九郎は杉の老樹をしずしずと見あげてゆきながら、
「わしはかつては呼ばれたことがある。持戒堅固な仏弟子であった。もっとも去年、或《あ》る女人の仏国土に触れたことがあるがなか《・・》は知らず、ましてどのような姿のものか、ようは知らぬ」
庄九郎はざぶりと湯から半身をあらわし、お万阿を抱きあげた。
そばに、崖《がけ》がある。
あつらえむきに平らで、しかもふかぶかと苔《こけ》でおおわれていた。
「見て進ぜるゆえ、動くな」
「厭や」
といったが、臥《ね》かされてしまっている。もう山峡には残光がほとんどなかったが、それでもお万阿の裸形《らぎょう》がしらじらとみえた。堪えがたいほどに盛りあがった胸の隆起が、鳩尾《みぞおち》で落ち、ふたたびなだらかに起伏して、ついには小さな堆陵《たいりょう》をつくっている。
堆陵に恥毛が品よく這《は》い、あわあわと下降して股間へ落ちている。
「これが、のの《・・》さまか」
「離して」
といったが、庄九郎はお万阿の体に一指も触れていないのだ。お万阿は呪縛《じゅばく》にかかったように、もがこうにももがけないのである。
「なるほど、これが仏国土か」
庄九郎は見つめたまま、飽きもやらない。
「もうお離しくださいまし。お湯へ。お湯へ入れてくださいますように」
「寒いのか」
「愧《は》ずかしゅうございます」
「狐、ではないか。真実、奈良屋のお万阿御料人ならば、松波庄九郎もかようなことは致さぬ」
「かんにんして」
「こちらが謝《あやま》りたいくらいだ。庄九郎は桑門《そうもん》(仏門)の育ちである。桑門には、長老、学《がく》侶《りょ》、大衆《だいしゅ》にいたるまで稚児《ちご》は許されておる。しかしながらのの《・・》さまは存ぜぬ。この仏国土にお詣《まい》りする法は如何《いか》なものか、そこもとに教えてもらいたいものだ」
「厭や」
お万阿はやっと瞼《まぶた》をひらき、眼を俯《ふし》目《め》にして自分のからだのむこうにいる松波庄九郎の両《ふた》つの眼を見た。
意外に涼やかな眼である。お万阿をいまから食い散らそうとしている眼ではなかった。
(このひとは、稀有《けう》な魂の持主かもしれぬ)
好色ではない。
あたらしい真実を見つけた者のみがみせるあの無邪気な驚きがある。
(いいひとなのだ)
と思ったときに、庄九郎の腕がお万阿の首すじと両の脛《すね》を抱き、やがて持ちあげた。
(どうなさるのか)
期待がある。
が、庄九郎はお万阿の白い体を、湯の中に沈めた。
「風邪をひく」
そういっただけである。
「そこの岩湯の女《もの》、そちはきのうの有馬狐《ありまぎつね》か」
と、湯に浸《つか》りながら庄九郎はいった。
(くっ。……)
と腹のなかで笑ったが、お万阿《まあ》はだまっている。この楽しさ、娘のころにもどったようだ。
「狐も入湯するのか」
「いたしまする」
「狐」
庄九郎は宵《よい》の明星を見あげながらいった。
「こちらの岩湯へ来《こ》よ。そちの肌《はだ》、わが手で賞《め》でてやろう」
声が、凜《りん》としている。
「厭《い》やでございます」
「ならばよい」
眼は、藍色の天へ。
明星が、庄九郎の将来を期待するようにかがやいている。
庄九郎が妙覚寺で学んだ天文術では、金星はここ数年、日没後西天高く輝き、太陽より四時間も遅れて沈む。
庄九郎の生まれた年もそういう周期にあたっていた。母が、——氏《うじ》もなき山城《やましろ》西ノ岡の庶女だったが、
「この子は、明星の申し子じゃ」
といっていた。
庄九郎も、そう信じている。明星は、独り輝き、他の群星とむらがらない。庄九郎は自分自身の光で、天にかがやくときがくるであろう。
(ことしもその周期か)
開運の年かもしれない。しかしながら徒《と》手《しゅ》空拳《くうけん》で運をひらくのは容易なことではない。
順がある。
階《きざはし》を踏むごとく。
開運の順は、まずお万阿のからだを開くことであった。
「有馬狐、あの星をみろ」
「あれが?」
「おれだ」
断固といった。
庄九郎は、宿曜経《しゅくようけい》という古い中国の占星術のはなしをした。
お万阿は、湯気をへだてて聴いている。
庄九郎は生来、音量のゆたかな声で、しかも底に力がある。おのずからひとを説得し、陶酔させる力があった。
「わたくしは、なんの星でございます」
「知らぬな」
「薄情」
お万阿は蓮《はす》っ葉《ぱ》になっている。
「おれは、おれが明星であればよい。それだけを有馬狐、知っておくがよい」
お万阿の体が浮いた。
岩角をはなれ、岩肌づたいに体を浮かせながら、庄九郎の岩間にきた。
「あの、お万阿の星は?」
あまえている。
「有馬狐」
といったときは、湯の中で庄九郎の腕がお万阿の腰を掻《か》きよせていた。
「よい肌じゃ」
背後の山肌に、千年杉《せんねんすぎ》が天を蔽《おお》わんばかりにして枝を栄えさせている。すでにあたりは暗くなっていた。
庄九郎は、お万阿の唇《くちびる》を吸った。
(甘い)
なんとあまいものか。庄九郎は女の唇を吸うのははじめてであった。
庄九郎は、右腕を沈めてお万阿の豊かな股《こ》間《かん》にふれた。湯のなかでもそれと知れるほどに濡《ぬ》れている。
「お万阿、ここ《・・》は何ぞ」
と、お万阿の耳もとでささやいた。
「お万阿ののの《・・》さま(仏様の幼児語)でございます」
「おれはまだ、この仏国《ぶっこく》土《ど》の内部《なか》を知らぬが、それほどな悦楽の里であるのか」
「存じませぬ。庄九郎様ほどのお方なら、沢《たん》山《と》な女人《にょにん》ののの《・・》さまをご存じでございましょうに」
「法蓮房、と」
と、庄九郎は杉の老樹をしずしずと見あげてゆきながら、
「わしはかつては呼ばれたことがある。持戒堅固な仏弟子であった。もっとも去年、或《あ》る女人の仏国土に触れたことがあるがなか《・・》は知らず、ましてどのような姿のものか、ようは知らぬ」
庄九郎はざぶりと湯から半身をあらわし、お万阿を抱きあげた。
そばに、崖《がけ》がある。
あつらえむきに平らで、しかもふかぶかと苔《こけ》でおおわれていた。
「見て進ぜるゆえ、動くな」
「厭や」
といったが、臥《ね》かされてしまっている。もう山峡には残光がほとんどなかったが、それでもお万阿の裸形《らぎょう》がしらじらとみえた。堪えがたいほどに盛りあがった胸の隆起が、鳩尾《みぞおち》で落ち、ふたたびなだらかに起伏して、ついには小さな堆陵《たいりょう》をつくっている。
堆陵に恥毛が品よく這《は》い、あわあわと下降して股間へ落ちている。
「これが、のの《・・》さまか」
「離して」
といったが、庄九郎はお万阿の体に一指も触れていないのだ。お万阿は呪縛《じゅばく》にかかったように、もがこうにももがけないのである。
「なるほど、これが仏国土か」
庄九郎は見つめたまま、飽きもやらない。
「もうお離しくださいまし。お湯へ。お湯へ入れてくださいますように」
「寒いのか」
「愧《は》ずかしゅうございます」
「狐、ではないか。真実、奈良屋のお万阿御料人ならば、松波庄九郎もかようなことは致さぬ」
「かんにんして」
「こちらが謝《あやま》りたいくらいだ。庄九郎は桑門《そうもん》(仏門)の育ちである。桑門には、長老、学《がく》侶《りょ》、大衆《だいしゅ》にいたるまで稚児《ちご》は許されておる。しかしながらのの《・・》さまは存ぜぬ。この仏国土にお詣《まい》りする法は如何《いか》なものか、そこもとに教えてもらいたいものだ」
「厭や」
お万阿はやっと瞼《まぶた》をひらき、眼を俯《ふし》目《め》にして自分のからだのむこうにいる松波庄九郎の両《ふた》つの眼を見た。
意外に涼やかな眼である。お万阿をいまから食い散らそうとしている眼ではなかった。
(このひとは、稀有《けう》な魂の持主かもしれぬ)
好色ではない。
あたらしい真実を見つけた者のみがみせるあの無邪気な驚きがある。
(いいひとなのだ)
と思ったときに、庄九郎の腕がお万阿の首すじと両の脛《すね》を抱き、やがて持ちあげた。
(どうなさるのか)
期待がある。
が、庄九郎はお万阿の白い体を、湯の中に沈めた。
「風邪をひく」
そういっただけである。
その翌日、意外な事件がおこった。
お万阿の従者には、細川管領家の牢人《ろうにん》で、関東の香《か》取《とり》明神の神《じ》人《にん》について刀法を修行したという男がいる。
そのころ、
「兵法《ひょうほう》」
といった。もともと兵法とは軍略の漢語だが、この時代は文字に暗い。つい剣術をも、世間では兵法といいならわしていた。
草創ほどもない斬新《ざんしん》な技術で、なかなか理に適《あ》ったものではあるが、当時の武士社会ではこれを軽蔑《けいべつ》し、庄九郎よりもすこしあと、甲州武田信玄麾下《きか》の名将といわれた高坂弾正《こうさかだんじょう》も信玄にむかってこういっている。
戦国の武士は武芸知らずとも事すむべし。木刀などにて稽《けい》古《こ》するは太平の世にては斬《き》るベき相手《もの》なきにより、その斬り様《ざま》の形をおぼゆるまでのことなり。
戦場へ出る時は始めより斬り覚えに覚ゆるものなれば、自然の修練となるなり。
戦場へ出る時は始めより斬り覚えに覚ゆるものなれば、自然の修練となるなり。
その程度にしか、迎えられていない。第一戦場では、甲冑《かっちゅう》を着用している。刃の立つものではない。
が、術者は、次第にふえはじめていた。兵法者といったり、芸者といったりする。多くは牢人者で、世のあつかいは、旅芸人程度の眼でしか見られていなかった。
これら兵法者は諸国の大名に珍重された、ということもあるが、その兵法によって珍重されたのではない。兵法者にかぎらず山伏《やまぶし》、高野聖《こうやひじり》、芸人など旅をする者はみな、城下々々に逗留《とうりゅう》すれば一応の待遇は受けた。諸国の内情、地理、噂《うわさ》を、かれらはよく見聞しており、国主城主は、そういう者から居ながらにして情報をえたのである。
奈良屋の牢人は、香取明神の神人であった飯篠長威斎《いいしのちょういさい》ひらくところの「神道流《しんとうりゅう》」の使い手で、京では知られた腕の者であった。
お万阿が有馬にきた翌日、かれもやってきて杉丸の指図で女主人の護衛をしていたが、あの湯浴《ゆあ》みの翌朝、中ノ瀬という崖ぎわの路上で、頭《ず》蓋《がい》を割られて死んでいるのを発見された。
下手人はすぐわかった。
お万阿の宿館へわざわざ名乗り出てきたからである。遺恨はない。
「試合な、仕《つかまつ》った」
と、ぬけぬけという。これが、この芸者の社会の特殊な慣習であった。この技法の芸者は、応仁《おうにん》のころから興った足軽階級の牢人が多く、うまれはたいてい百姓の次男三男である。もともと漂泊の者が多く、たがいに技をきそいあい、勝った者は、諸所方々に名乗り出て、名をひろめる。
「それがしは兵法中条流の流れを汲《く》み、櫛風《しっぷう》沐《もく》雨《う》、山野に修行してようやく技の神《しん》をきわめたる者。常州小田の住人猪《いが》谷《や》天庵《てんあん》と申す」
山伏の風体《ふうてい》をしている。当時兵法者にはこういう風体の者が多かった。
「奈良屋に寄留したい」
というのだ。
奈良屋の傭《やと》い牢人を殺してぬけぬけとしたものだが、この兵法者の社会には主人持ちの武家とはちがうそれなりの作法があって、他の階級の世間では触れないようにしている。事情はだいぶちがうが、社会を別にしている点では、現在のやくざ社会に対する世間の態度と、一抹《いちまつ》似ているのではないか。
「いやその儀については、ご相談すべきお人が当家にはおりまするので」
と杉丸が、いった。
「御料人殿でござるか」
よく事情を知っている。
「ちがいまする」
「お手代どの。どうやらそれがしの技をお疑いのようじゃ。お疑いならば、ほかにお傭いの御牢人をここにお出しねがいたい。その者が兵法者ならば、もう一度試合うて進ぜる」
「左様なわけではございませぬ。奈良屋には荷頭《にがしら》という、大名で申せば侍大将にあたるお方がおられまする。そのお方にひとこと相談の上にて」
「何と申される」
「松波庄九郎様」
が、術者は、次第にふえはじめていた。兵法者といったり、芸者といったりする。多くは牢人者で、世のあつかいは、旅芸人程度の眼でしか見られていなかった。
これら兵法者は諸国の大名に珍重された、ということもあるが、その兵法によって珍重されたのではない。兵法者にかぎらず山伏《やまぶし》、高野聖《こうやひじり》、芸人など旅をする者はみな、城下々々に逗留《とうりゅう》すれば一応の待遇は受けた。諸国の内情、地理、噂《うわさ》を、かれらはよく見聞しており、国主城主は、そういう者から居ながらにして情報をえたのである。
奈良屋の牢人は、香取明神の神人であった飯篠長威斎《いいしのちょういさい》ひらくところの「神道流《しんとうりゅう》」の使い手で、京では知られた腕の者であった。
お万阿が有馬にきた翌日、かれもやってきて杉丸の指図で女主人の護衛をしていたが、あの湯浴《ゆあ》みの翌朝、中ノ瀬という崖ぎわの路上で、頭《ず》蓋《がい》を割られて死んでいるのを発見された。
下手人はすぐわかった。
お万阿の宿館へわざわざ名乗り出てきたからである。遺恨はない。
「試合な、仕《つかまつ》った」
と、ぬけぬけという。これが、この芸者の社会の特殊な慣習であった。この技法の芸者は、応仁《おうにん》のころから興った足軽階級の牢人が多く、うまれはたいてい百姓の次男三男である。もともと漂泊の者が多く、たがいに技をきそいあい、勝った者は、諸所方々に名乗り出て、名をひろめる。
「それがしは兵法中条流の流れを汲《く》み、櫛風《しっぷう》沐《もく》雨《う》、山野に修行してようやく技の神《しん》をきわめたる者。常州小田の住人猪《いが》谷《や》天庵《てんあん》と申す」
山伏の風体《ふうてい》をしている。当時兵法者にはこういう風体の者が多かった。
「奈良屋に寄留したい」
というのだ。
奈良屋の傭《やと》い牢人を殺してぬけぬけとしたものだが、この兵法者の社会には主人持ちの武家とはちがうそれなりの作法があって、他の階級の世間では触れないようにしている。事情はだいぶちがうが、社会を別にしている点では、現在のやくざ社会に対する世間の態度と、一抹《いちまつ》似ているのではないか。
「いやその儀については、ご相談すべきお人が当家にはおりまするので」
と杉丸が、いった。
「御料人殿でござるか」
よく事情を知っている。
「ちがいまする」
「お手代どの。どうやらそれがしの技をお疑いのようじゃ。お疑いならば、ほかにお傭いの御牢人をここにお出しねがいたい。その者が兵法者ならば、もう一度試合うて進ぜる」
「左様なわけではございませぬ。奈良屋には荷頭《にがしら》という、大名で申せば侍大将にあたるお方がおられまする。そのお方にひとこと相談の上にて」
「何と申される」
「松波庄九郎様」
「兵法者か」
庄九郎は、興味をもった。
奥之坊の書院である。庄九郎は、庭前の高《こう》野《や》槙《まき》の上の雪を見ながら、一瞬にして思案がきまった。
好奇心である。兵法者というものに、かつて出会ったことがない。
(いずれ、一国一天下の主《あるじ》になろうというこのおれだ。兵法とはいかなる術か、見ておくのも無益ではあるまい)
「会ってやろう」
とはいわなかった。
「試合う」
「えっ」
相手は、刀術家である。庄九郎がいかに戦さの駈《か》けひき、馬上の槍《やり》さばき、士卒の指揮がうまいといっても、これは別のものだ。
「相手は賤《いや》しゅうございます。お手をお触れ遊ばすな」
「見たい」
庄九郎、みずからをおさえがたい。
「どのような男か。人相、挙《きょ》措《そ》、癖、言葉づかい、くわしく申してみい」
身のたけは五尺七寸。
山伏の体《てい》であるが、経文は読まぬ。年のころは二十四、五で、鼻は低く、頬骨《ほおぼね》は異様に高く、眼がほそい。全体に卑《いや》しげであるが眼だけは獣《けだもの》に似ている。人を殺したことはすでに二十八人。
「血に餓《う》えたるがごとき」
と、杉丸はいった。惨殺してはじめて血の騒ぎがおさまるという狂気の者であろう。
「即刻、この下の河原で待て、といえ」
庄九郎は、興味をもった。
奥之坊の書院である。庄九郎は、庭前の高《こう》野《や》槙《まき》の上の雪を見ながら、一瞬にして思案がきまった。
好奇心である。兵法者というものに、かつて出会ったことがない。
(いずれ、一国一天下の主《あるじ》になろうというこのおれだ。兵法とはいかなる術か、見ておくのも無益ではあるまい)
「会ってやろう」
とはいわなかった。
「試合う」
「えっ」
相手は、刀術家である。庄九郎がいかに戦さの駈《か》けひき、馬上の槍《やり》さばき、士卒の指揮がうまいといっても、これは別のものだ。
「相手は賤《いや》しゅうございます。お手をお触れ遊ばすな」
「見たい」
庄九郎、みずからをおさえがたい。
「どのような男か。人相、挙《きょ》措《そ》、癖、言葉づかい、くわしく申してみい」
身のたけは五尺七寸。
山伏の体《てい》であるが、経文は読まぬ。年のころは二十四、五で、鼻は低く、頬骨《ほおぼね》は異様に高く、眼がほそい。全体に卑《いや》しげであるが眼だけは獣《けだもの》に似ている。人を殺したことはすでに二十八人。
「血に餓《う》えたるがごとき」
と、杉丸はいった。惨殺してはじめて血の騒ぎがおさまるという狂気の者であろう。
「即刻、この下の河原で待て、といえ」
猪谷天庵は、河原で待った。
晴れている。
陽《ひ》が、狭い河原に落ち、磧石《かわらいし》の一つ一つに濃い翳《かげ》をつくっている。
やがて、はるかむこうの道脇《みちわき》の崖から飛びおりる影があった。
松波庄九郎である。
(人間を見た上で、家来にしてみよう)
というのが、庄九郎の魂胆《こんたん》である。性情の忠実な、しかも一技一芸にすぐれた者を抱えるというのが武将の心得であるべきだ。
「天庵、これへ」
と、庄九郎は手まねいた。
挙措をじっと見ている。この庄九郎の眼光にあてられれば、ひとははらわたの底まで見すかされるようだ。
顔が近づいてきた。
天庵、あごが翼のごとく張っている。叛臣《はんしん》の相である。
(あごは、まず失格)
庄九郎の視野に、みるみる翼を張った顔がちかづいてくる。唇、貪婪《どんらん》である。唇だけが別に生きているような。
(食禄《しょくろく》にきたない)
そうとみた。
猪谷天庵、四尺ほどのびわの木刀をもっている。木肌が、にぶく陽を溜《た》めた。
「得物はいかに」
と眼を吊《つ》りあがらせた。性根、ただ勝負の男だ。勝負に固執しすぎる男は、集団のなかでは生きがたい。
(家来にむかぬ)
そう見た。
庄九郎、そう見つつ、
つまり相手の人相、人物を見るのみで、この男と勝負することなど、まるで心底からわすれてしまっている。
すべて興味はそこにある。闘技の巧拙、いやまかりまちがえば自分が殺されるかもしれぬということを、考えもしていない。
稀有《けう》の性情である。放胆、ということばさえあたらぬであろう。
「得物は、いかに」
「まあ」
と、自分の前の岩を指さした。
「すわれ」
「猶《ゆう》予《よ》は無用じゃ。支度をせよ」
「猪谷天庵」
庄九郎は懐《ふとこ》ろから袋をとりだし、磧《かわら》に投げすてた。ずしり、と、銭である。
「これが支度金だ」
「———?」
意表を衝《つ》かれた。
「わしの家来になれ、と申している。分別が出来るまで、その岩にすわれ」
「ま、松波」
「様、とよべ。わしを何者と心得る」
あっ、と威厳を感じた。
もはや天庵の負けである。人間の関係は、一瞬の気合できまるものだ。
「な、なに様におわすか」
「見て、みずから察せよ」
「何流をお使いなさる」
「下《げ》賤《せん》な」
庄九郎は歯をむいた。
「これでも一国一天下を望む者だ。歩卒の技など学ばぬわ」
「しかしながら奈良屋の手代の話では、貴殿は試合を望まれた、という」
「わしは兵法者ではない。兵法者でない者が試合という言葉をつかうかぎりは、おのずから別な意味がある。汝《なんじ》の骨柄《こつがら》を見にきた」
「骨柄?」
「物の用に立つかどうか、と」
「立つ?」
天庵、茫《ぼう》っとした。
「立つ《・・》骨柄でござるか、それがし」
「いや、卑しすぎる」
「卑し?」
「天が与えた品《しな》というものがある。その骨柄ではゆくゆくわしの侍大将はつとまるまい。せいぜい歩卒じゃ」
「云《い》うたな」
腰を跳ね、木刀をきらめかせた。
躍りあがった。いや、躍りあがろうとした天庵の脳天に、
ぐわっ
と異様な音が籠《こも》った。割れた。
庄九郎の右手に、日蓮上人《にちれんしょうにん》護持の銘刀とかれ自身が自称する青《あお》江《え》恒次《つねつぐ》が、冴《さ》えざえと垂れている。
(これが、兵法者か)
庄九郎の自信を強めるために、猪谷天庵は殺されたようなものである。
庄九郎は瀬で、白刃を洗った。
世にいう青江反《ぞ》りのみごとな姿で、刃の逆《さか》乱《みだれ》を流れが洗ってゆく。
そばで、山魚《あめのうお》が空《くう》へ跳ねた。
水中のただならぬ光芒《こうぼう》におどろいたのだろう。
翌未明、庄九郎は有馬から姿を消した。
晴れている。
陽《ひ》が、狭い河原に落ち、磧石《かわらいし》の一つ一つに濃い翳《かげ》をつくっている。
やがて、はるかむこうの道脇《みちわき》の崖から飛びおりる影があった。
松波庄九郎である。
(人間を見た上で、家来にしてみよう)
というのが、庄九郎の魂胆《こんたん》である。性情の忠実な、しかも一技一芸にすぐれた者を抱えるというのが武将の心得であるべきだ。
「天庵、これへ」
と、庄九郎は手まねいた。
挙措をじっと見ている。この庄九郎の眼光にあてられれば、ひとははらわたの底まで見すかされるようだ。
顔が近づいてきた。
天庵、あごが翼のごとく張っている。叛臣《はんしん》の相である。
(あごは、まず失格)
庄九郎の視野に、みるみる翼を張った顔がちかづいてくる。唇、貪婪《どんらん》である。唇だけが別に生きているような。
(食禄《しょくろく》にきたない)
そうとみた。
猪谷天庵、四尺ほどのびわの木刀をもっている。木肌が、にぶく陽を溜《た》めた。
「得物はいかに」
と眼を吊《つ》りあがらせた。性根、ただ勝負の男だ。勝負に固執しすぎる男は、集団のなかでは生きがたい。
(家来にむかぬ)
そう見た。
庄九郎、そう見つつ、
つまり相手の人相、人物を見るのみで、この男と勝負することなど、まるで心底からわすれてしまっている。
すべて興味はそこにある。闘技の巧拙、いやまかりまちがえば自分が殺されるかもしれぬということを、考えもしていない。
稀有《けう》の性情である。放胆、ということばさえあたらぬであろう。
「得物は、いかに」
「まあ」
と、自分の前の岩を指さした。
「すわれ」
「猶《ゆう》予《よ》は無用じゃ。支度をせよ」
「猪谷天庵」
庄九郎は懐《ふとこ》ろから袋をとりだし、磧《かわら》に投げすてた。ずしり、と、銭である。
「これが支度金だ」
「———?」
意表を衝《つ》かれた。
「わしの家来になれ、と申している。分別が出来るまで、その岩にすわれ」
「ま、松波」
「様、とよべ。わしを何者と心得る」
あっ、と威厳を感じた。
もはや天庵の負けである。人間の関係は、一瞬の気合できまるものだ。
「な、なに様におわすか」
「見て、みずから察せよ」
「何流をお使いなさる」
「下《げ》賤《せん》な」
庄九郎は歯をむいた。
「これでも一国一天下を望む者だ。歩卒の技など学ばぬわ」
「しかしながら奈良屋の手代の話では、貴殿は試合を望まれた、という」
「わしは兵法者ではない。兵法者でない者が試合という言葉をつかうかぎりは、おのずから別な意味がある。汝《なんじ》の骨柄《こつがら》を見にきた」
「骨柄?」
「物の用に立つかどうか、と」
「立つ?」
天庵、茫《ぼう》っとした。
「立つ《・・》骨柄でござるか、それがし」
「いや、卑しすぎる」
「卑し?」
「天が与えた品《しな》というものがある。その骨柄ではゆくゆくわしの侍大将はつとまるまい。せいぜい歩卒じゃ」
「云《い》うたな」
腰を跳ね、木刀をきらめかせた。
躍りあがった。いや、躍りあがろうとした天庵の脳天に、
ぐわっ
と異様な音が籠《こも》った。割れた。
庄九郎の右手に、日蓮上人《にちれんしょうにん》護持の銘刀とかれ自身が自称する青《あお》江《え》恒次《つねつぐ》が、冴《さ》えざえと垂れている。
(これが、兵法者か)
庄九郎の自信を強めるために、猪谷天庵は殺されたようなものである。
庄九郎は瀬で、白刃を洗った。
世にいう青江反《ぞ》りのみごとな姿で、刃の逆《さか》乱《みだれ》を流れが洗ってゆく。
そばで、山魚《あめのうお》が空《くう》へ跳ねた。
水中のただならぬ光芒《こうぼう》におどろいたのだろう。
翌未明、庄九郎は有馬から姿を消した。