お万阿の枕《まくら》がはずれた。
淡い月の光のなかで、悩乱している。唇を噛《か》んでいた。
紅帳がゆれている。お万阿が動くたびにゆれる。この紅帳は、過去七カ月のあいだ揺れることがなかった。
「お万阿、湯殿で水を浴びせたむくいじゃ」
いたぶっている庄九郎は、お万阿の耳もとで囁《ささや》いた。
(なんと可愛い女であろう)
わが妻ながら、そう思う。男をよろこばせる天《てん》賦《ぷ》のからだをもっている。お万阿自身それに気付かないのがいじらしい。
「だ、だんなさま。うれしゅうございます」
お万阿は、恍惚《こうこつ》のなかでいった。
「おお、わしもうれしいぞ」
庄九郎も本気だ。
「あの、そのようにしてくださりまし」
「どのように?」
「きっと赤児《やや》ができますように」
「そのとおりだ。お前に子がなければこの庄九郎、いかに一国一天下のあるじになったとて後を継ぐ者がない」
「では、そのように」
お万阿は祈りながら、乱れている。生殖を祈るときに、夫婦は近づく。近づき、ついには神になる。庄九郎、お万阿の属するこの列島の種族は、太古以来、その信仰に生きてきた。いま、祭壇に、夫婦は自分たちの歓喜をささげている。ふたりの体が吐く阿《あ》〄《うん》のなかから、いま白光《びゃっこう》を放つ炎がもえている。祭壇へのみあかし《・・・・》といっていい。
庄九郎は、日蓮宗の坊主あがりだ。つい、生殖への祈りが、経文《きょうもん》になった。
「百千万億《ひゃくせんまんのく》、那由佗《なゆた》、阿《あ》僧《そう》祇《ぎ》国《こく》、導《どう》利《り》衆生《しゅじょう》、諸善男《しょぜんなん》子《し》、於是《おぜ》中間《ちゅうげん》、我《が》説然燈仏等《ぜつねんどうぶつとう》、又復《うぶ》言《ごん》其《ご》、入於《にゅうお》涅《ね》槃《はん》、如《にょ》是《ぜ》皆《かい》以《い》、方便分別《ほうべんふんべつ》、諸善男《しょぜんなん》子《し》、若有衆生《にゃくうしゅじょう》、来《らい》至《し》我《が》所《しょ》、我以《がい》仏眼《ぶつげん》……」
低い、底にひびくような声量である。お万阿は聞くうちにわが身のまわりに絢爛《けんらん》たる法華世界がひろがってゆくようにおもい、歓喜は何度めかの絶頂に達するのである。
やがて夫婦は、体をはなした。紅帳はゆれることをやめた。
「お万阿、きっと子を成すぞ」
「そのようにありたい」
お万阿の白い腕《かいな》が、庄九郎の首すじに巻きついた。
「法華経の功《く》力《りき》が、お前をつつんでいる。あの経文を唱えれば、多《た》宝仏《ほうぶつ》、十方《じっぽう》の諸仏、菩《ぼ》薩《さつ》、日と月と、月と日と、星と星と、さらにはまたまた漢土、日本国の善神が、ことごとくここに集まられてわれらが願いを聴きとどけ給うというありがたい宝経だ。その証拠にお前のその白い肌《はだ》がぼっと暈光《うんこう》を発している」
「うそ」
気味わるそうに、両の乳房をおさえた。お万阿の掌ではその隆起はおさえきれない。
「お万阿、将来《すえ》のことを話そう。諸仏諸神が照鑒《しょうかん》なされている」
「ほんと?」
お万阿は大いそぎでうすぎぬ《・・・・》の紅帳を見まわした。なるほどそう思ってみれば、闇《やみ》の中ながらも、ところどころに怪《あやかし》めいた淡い光芒《こうぼう》がゆれているようである。
ありようは月の光にすぎないのだが。
「話して」
お万阿は腰を寄せた。
その部分が熱い。
庄九郎はさすがに、ぶるっと慄《ふる》えた。お万阿の体には、無限無量の歓《かん》喜《ぎ》仏《ぶつ》が在《ま》すのではあるまいか。
「わしは将軍《くぼう》になれる」
「まあ」
お万阿にはお伽話《とぎばなし》にすぎない。が、寝室を楽しくするためにこの会話の拍子、小鼓、笛を奏《かな》でようと思っている。
「本当だ」
庄九郎にとっては、お万阿のようなお伽話ではない。必死な現実感をこめている。
「お万阿、おれは夢想家ではない。夢想家というのは、いつも縁側にいる。縁側で空をながめている。空から黄金でも降ってくるのではないかと思っている。場合によっては、空に賽銭《さいせん》を投げる。神仏に祈るというやつだ」
「あ、旦《だん》那《な》さまも夢想家」
「なぜだ」
「いま、経文をお誦《ず》しになりました」
「あれは祈ったのではない。神仏に命じたのだ。わしにとって神仏は家来でしかない。わしのために働く。働かねば叱《しか》る。叱って聴かなければ、仏像、仏閣、社殿を破壊して人の住む地上から天上へ追っぱらってやる」
「こわい」
「わしは現実に動いている。いまも経文を誦しはしたが、お万阿の体にわしのものを注ぎいれた。わしはいつも街道にいる」
「縁側ではなく?」
「そうだ、街道にいる。街道にいる者だけが事を成す者だ。街道がたとえ千里あろうとも、わしは一歩は進む。毎刻毎日、星宿《せいしゅく》が休まずにめぐり働くようにわしはつねに歩いている。将軍への街道が千里あるとすれば、わしはもう一里を歩いた。小なりとも美濃の小地《こじ》頭《とう》になった」
「西村勘九郎様でございますものね」
「また名前がかわる」
庄九郎は、枕もとの壺《つぼ》に手をのばした。一つぶ、塩豆をとりあげた。
噛んだ。
「でも、旦那様、いくたびお名前が変わろうともお万阿にとってはいつまでも庄九郎様でございましょうね。西村勘九郎様など、よそのおひとみたい」
「いやさ、お万阿」
庄九郎は、大《おお》真面目《まじめ》である。
「西村勘九郎は美濃にいる」
「おや」
と、お万阿には意味がよくわからない。
「するとここに在《いま》す殿御は?」
「山崎屋庄九郎だ」
かりっ、とまた塩豆を噛んだ。
「すると、別人でございますか」
「おれは二つの人生を生きている。美濃の西村勘九郎は天下をねらう大泥棒《おおどろぼう》だ」
「えっ」
お万阿は息をとめた。
「驚かずともよい。とにかく美濃の西村勘九郎といえば、天下の名族土岐氏の一門で、美濃でいう長井氏、斎藤氏、明《あけ》智《ち》氏、不破《ふわ》氏などとともにゆゆしい武門の姓である。しかもその西村氏の名跡を継ぐ勘九郎なるやつは、美濃守護職土岐家の別家土岐頼芸公の執事、さらには美濃の諸領主のなかで随一の領地をもつ長井利隆の執事を兼ねている」
「えらいひとなのでございますねえ」
お万阿は、ほっと溜息《ためいき》が出た。出たが、そのえらい殿様というのは、いまここに半裸でいる庄九郎その者ではないか。
「そうでございましょう」
と、お万阿は念を押した。
「そうであるものか」
庄九郎は笑わない。
「ここにお万阿と寝ているのは、山崎屋の主人庄九郎、とりもなおさずお万阿の亭主である」
ややこしい。
「すると?」
「そう、西村勘九郎という男には、別に妻なり妾《めかけ》なりが要るというわけだ。美濃で門戸を張っている以上、当然なことであろう」
「………?」
「勘九郎にも妻を持たせてやりたい。そのようにこの庄九郎は考えている。いずれよい女がおれば、わしは世話してやる気だ」
「ちょっと待って」
お万阿は、頭を整理しようとした。
が、庄九郎はその余裕を与えない。
「お万阿も心掛けておいてくれ。そのことをわしは勘九郎から頼まれたがゆえに、わざわざ、美濃、近江《おうみ》、山城《やましろ》、と三国の境をこえてお前の庄九郎は京へもどってきた」
「わからない」
「お万阿、世のこと宇宙のことは、二相あってはじめて一体なのだ。これは密教学でいう説だが、宇宙は、金剛界《こんごうかい》と胎蔵界《たいぞうかい》の二つがあり、それではじめて一つの宇宙になっている。天に日月あり、地に男女がある。万物にすべて陰陽があり、陰陽相たたかい、相引きあい、しかも一如《いちにょ》になって万物は動いてゆく。宇宙万物にしてすべてしかり。一人の人間の中にも、陰と陽がある。庄九郎と勘九郎はどちらが陰か陽かは知らぬが、とにかく、厳然とこの世に二人存在している。お万阿、疑わしくば美濃へ行ってみるがよい。勘九郎という男はたしかに実在している」
「しかも」
「おお、しかも庄九郎は京の山崎屋の主人としていまお万阿と添い寝している。なかなか世の中はおもしろいものだ」
お万阿にとって何も面白《おもしろ》くはない。
「そ、それはこまります」
「お万阿」
庄九郎は、塩豆を口に入れた。
「お万阿はたしか、おれが将軍になることをかつて承知してくれたはずだな」
「はい」
「それならばよい。将軍になるためには、赤《せき》手《しゅ》のわしはなまはんか《・・・・・》なことではなれぬ。二人になって活躍せねばならぬ。お万阿は利口な御料人様ゆえわかってくれような」
「はい」
と、いわざるをえないではないか。
(しかし)
と思うのだ。
「なにかまだ疑《ぎ》団《だん》があるのかね」
「ございます。かりに、庄九郎様が将軍様におなりあそばしたとして、その御台所《みだいどころ》はどなたでございます。勘九郎様の奥様でございますか、それとも庄九郎様のお万阿がなるのでございますか」
「あっははは、これはむずかしいところだ」
「お万阿にとっては笑いごとではございませぬ」
「それもそうだ。わしはそこまで頭がまわらなんだ。一体、勘九郎が天下をとるのか、庄九郎が天下をとるのか。いずれにせよとったほうの奴《やつ》の女房が御台所になるだろう」
「だろう?」
お万阿は弱ってしまった。
「いや、そうなる。理の当然なことだ」
「でも、どちらが天下をお取りになるのでございましょう」
「あっははは、どちらがとるか、楽しみなことだな」
「わるいやつ」
「とは、どちらの男のことだ」
お万阿はもう、わけがわからない。しかし考えているうちにだんだん腹が立ってきた。
(なまじい、このひとは——)
と思うのだ。
(妙覚寺本山でむずかしい学問をなされたゆえこういう化物のような人間になったのであろう。要するに勘九郎といい庄九郎といっても、下帯の下で息づいている大事なものは一つではないか)
そう思うと、ますます腹が立ってきて、そっと手をのばし、いきなりそれを、ぎゅっとひねりあげた。
「あっ、痛い。なにをする」
「旦那様」
お万阿は、月の光のなかで微笑《わら》っている。
「いま痛い、とおっしゃったのは、庄九郎様でございますか、勘九郎様でございますか」
「お万阿」
庄九郎も負けていない。
ふとんの中から二つの掌《て》を出して、虚《こ》空《くう》でひろげてみせた。
「この両の掌をみろ」
「はい、見ております」
「よし」
ぱん、と掌を搏《う》った。
「聞こえたか」
「はい」
「さればどう聞こえた」
「ぱん、と。——」
「その音、右の掌の音か、左の掌の音か」
「…………」
またややこしいことをいう、とお万阿はこんどは心を引き緊《し》めている。
「どちらの音だ」
「右の掌?」
「と思えば右の掌じゃ。左の掌、とおもえば左の掌じゃ。左右一如になって音を発している。これが仏法の真髄というものだ」
「不可思議な」
「そうそう。不可思議な教えである。しかしながら真如《しんにょ》(宇宙の絶対唯一《ゆいいつ》の真理)とはこれしかない。さればお万阿」
「…………」
「返事をせい」
「はい」
気乗り薄に、返事をした。
「二つの掌が作ったこの音こそ真如とすれば、勘九郎、庄九郎を統一する者が一つある」
「それはどなたでございます」
お万阿は思わず真剣になった。
「音よ」
「え」
「左右の掌が搏ち出した音よ。お万阿がしつこく御台所のことをいうなら、この絶対真理の音の御台所になればよい」
「音はどこにいます」
「虚空にいる。両掌をたたけば、虚空で音が生ずる」
「ではその音をお万阿の前にもってきて、お万阿を抱くように命じてください」
いかがでございます、とお万阿は詰め寄った。
「あっははは」
庄九郎は笑っている。
「なにがおかしいのです」
「音は屁《へ》のようなものだ。掴《つか》めはせぬ」
「そうでございましょう。それならばなぜそのような詭弁《へりくつ》を申されます」
「詭弁ではない。大事な仏法の真髄をわしは話している。まだわからぬのか。釈《しゃ》迦牟尼《かむに》仏《ぶつ》でさえ、女人の済《さい》度《ど》はむずかしい、女人はついに悟れぬものだ、とおおせられたのは当然なことであるな」
「まあ勝手な」
お万阿は怒ってしまった。
「お釈迦さまがそのようなことを申されたのでございますか。そうとすれば、あまりに男だけに都合のいい理屈ではありませぬか」
「わからぬかなあ」
庄九郎は、ぽりっ、と奥歯で豆をくだき、
「音とは、譬《たと》えだ。方便で真理を説明したまでのことだ。真理は庄九郎の中にある。庄九郎はお万阿の亭主であると同時に、音である」
「音である?」
「統一体ということだ。勘九郎をふくめて一如の姿が庄九郎であり、同時に勘九郎の別体でもある。これは華厳経《けごんきょう》というむずかしい経典にかかれている論理だ。この論理がわかればサトリというものがひらける」
「お万阿に、華厳とやらで悟れと申されるのでございますか」
「そう。これを悟らせるために、はるばると三カ国の境を越えてもどってきた」
かなわない——。
とお万阿はおもうのである。
淡い月の光のなかで、悩乱している。唇を噛《か》んでいた。
紅帳がゆれている。お万阿が動くたびにゆれる。この紅帳は、過去七カ月のあいだ揺れることがなかった。
「お万阿、湯殿で水を浴びせたむくいじゃ」
いたぶっている庄九郎は、お万阿の耳もとで囁《ささや》いた。
(なんと可愛い女であろう)
わが妻ながら、そう思う。男をよろこばせる天《てん》賦《ぷ》のからだをもっている。お万阿自身それに気付かないのがいじらしい。
「だ、だんなさま。うれしゅうございます」
お万阿は、恍惚《こうこつ》のなかでいった。
「おお、わしもうれしいぞ」
庄九郎も本気だ。
「あの、そのようにしてくださりまし」
「どのように?」
「きっと赤児《やや》ができますように」
「そのとおりだ。お前に子がなければこの庄九郎、いかに一国一天下のあるじになったとて後を継ぐ者がない」
「では、そのように」
お万阿は祈りながら、乱れている。生殖を祈るときに、夫婦は近づく。近づき、ついには神になる。庄九郎、お万阿の属するこの列島の種族は、太古以来、その信仰に生きてきた。いま、祭壇に、夫婦は自分たちの歓喜をささげている。ふたりの体が吐く阿《あ》〄《うん》のなかから、いま白光《びゃっこう》を放つ炎がもえている。祭壇へのみあかし《・・・・》といっていい。
庄九郎は、日蓮宗の坊主あがりだ。つい、生殖への祈りが、経文《きょうもん》になった。
「百千万億《ひゃくせんまんのく》、那由佗《なゆた》、阿《あ》僧《そう》祇《ぎ》国《こく》、導《どう》利《り》衆生《しゅじょう》、諸善男《しょぜんなん》子《し》、於是《おぜ》中間《ちゅうげん》、我《が》説然燈仏等《ぜつねんどうぶつとう》、又復《うぶ》言《ごん》其《ご》、入於《にゅうお》涅《ね》槃《はん》、如《にょ》是《ぜ》皆《かい》以《い》、方便分別《ほうべんふんべつ》、諸善男《しょぜんなん》子《し》、若有衆生《にゃくうしゅじょう》、来《らい》至《し》我《が》所《しょ》、我以《がい》仏眼《ぶつげん》……」
低い、底にひびくような声量である。お万阿は聞くうちにわが身のまわりに絢爛《けんらん》たる法華世界がひろがってゆくようにおもい、歓喜は何度めかの絶頂に達するのである。
やがて夫婦は、体をはなした。紅帳はゆれることをやめた。
「お万阿、きっと子を成すぞ」
「そのようにありたい」
お万阿の白い腕《かいな》が、庄九郎の首すじに巻きついた。
「法華経の功《く》力《りき》が、お前をつつんでいる。あの経文を唱えれば、多《た》宝仏《ほうぶつ》、十方《じっぽう》の諸仏、菩《ぼ》薩《さつ》、日と月と、月と日と、星と星と、さらにはまたまた漢土、日本国の善神が、ことごとくここに集まられてわれらが願いを聴きとどけ給うというありがたい宝経だ。その証拠にお前のその白い肌《はだ》がぼっと暈光《うんこう》を発している」
「うそ」
気味わるそうに、両の乳房をおさえた。お万阿の掌ではその隆起はおさえきれない。
「お万阿、将来《すえ》のことを話そう。諸仏諸神が照鑒《しょうかん》なされている」
「ほんと?」
お万阿は大いそぎでうすぎぬ《・・・・》の紅帳を見まわした。なるほどそう思ってみれば、闇《やみ》の中ながらも、ところどころに怪《あやかし》めいた淡い光芒《こうぼう》がゆれているようである。
ありようは月の光にすぎないのだが。
「話して」
お万阿は腰を寄せた。
その部分が熱い。
庄九郎はさすがに、ぶるっと慄《ふる》えた。お万阿の体には、無限無量の歓《かん》喜《ぎ》仏《ぶつ》が在《ま》すのではあるまいか。
「わしは将軍《くぼう》になれる」
「まあ」
お万阿にはお伽話《とぎばなし》にすぎない。が、寝室を楽しくするためにこの会話の拍子、小鼓、笛を奏《かな》でようと思っている。
「本当だ」
庄九郎にとっては、お万阿のようなお伽話ではない。必死な現実感をこめている。
「お万阿、おれは夢想家ではない。夢想家というのは、いつも縁側にいる。縁側で空をながめている。空から黄金でも降ってくるのではないかと思っている。場合によっては、空に賽銭《さいせん》を投げる。神仏に祈るというやつだ」
「あ、旦《だん》那《な》さまも夢想家」
「なぜだ」
「いま、経文をお誦《ず》しになりました」
「あれは祈ったのではない。神仏に命じたのだ。わしにとって神仏は家来でしかない。わしのために働く。働かねば叱《しか》る。叱って聴かなければ、仏像、仏閣、社殿を破壊して人の住む地上から天上へ追っぱらってやる」
「こわい」
「わしは現実に動いている。いまも経文を誦しはしたが、お万阿の体にわしのものを注ぎいれた。わしはいつも街道にいる」
「縁側ではなく?」
「そうだ、街道にいる。街道にいる者だけが事を成す者だ。街道がたとえ千里あろうとも、わしは一歩は進む。毎刻毎日、星宿《せいしゅく》が休まずにめぐり働くようにわしはつねに歩いている。将軍への街道が千里あるとすれば、わしはもう一里を歩いた。小なりとも美濃の小地《こじ》頭《とう》になった」
「西村勘九郎様でございますものね」
「また名前がかわる」
庄九郎は、枕もとの壺《つぼ》に手をのばした。一つぶ、塩豆をとりあげた。
噛んだ。
「でも、旦那様、いくたびお名前が変わろうともお万阿にとってはいつまでも庄九郎様でございましょうね。西村勘九郎様など、よそのおひとみたい」
「いやさ、お万阿」
庄九郎は、大《おお》真面目《まじめ》である。
「西村勘九郎は美濃にいる」
「おや」
と、お万阿には意味がよくわからない。
「するとここに在《いま》す殿御は?」
「山崎屋庄九郎だ」
かりっ、とまた塩豆を噛んだ。
「すると、別人でございますか」
「おれは二つの人生を生きている。美濃の西村勘九郎は天下をねらう大泥棒《おおどろぼう》だ」
「えっ」
お万阿は息をとめた。
「驚かずともよい。とにかく美濃の西村勘九郎といえば、天下の名族土岐氏の一門で、美濃でいう長井氏、斎藤氏、明《あけ》智《ち》氏、不破《ふわ》氏などとともにゆゆしい武門の姓である。しかもその西村氏の名跡を継ぐ勘九郎なるやつは、美濃守護職土岐家の別家土岐頼芸公の執事、さらには美濃の諸領主のなかで随一の領地をもつ長井利隆の執事を兼ねている」
「えらいひとなのでございますねえ」
お万阿は、ほっと溜息《ためいき》が出た。出たが、そのえらい殿様というのは、いまここに半裸でいる庄九郎その者ではないか。
「そうでございましょう」
と、お万阿は念を押した。
「そうであるものか」
庄九郎は笑わない。
「ここにお万阿と寝ているのは、山崎屋の主人庄九郎、とりもなおさずお万阿の亭主である」
ややこしい。
「すると?」
「そう、西村勘九郎という男には、別に妻なり妾《めかけ》なりが要るというわけだ。美濃で門戸を張っている以上、当然なことであろう」
「………?」
「勘九郎にも妻を持たせてやりたい。そのようにこの庄九郎は考えている。いずれよい女がおれば、わしは世話してやる気だ」
「ちょっと待って」
お万阿は、頭を整理しようとした。
が、庄九郎はその余裕を与えない。
「お万阿も心掛けておいてくれ。そのことをわしは勘九郎から頼まれたがゆえに、わざわざ、美濃、近江《おうみ》、山城《やましろ》、と三国の境をこえてお前の庄九郎は京へもどってきた」
「わからない」
「お万阿、世のこと宇宙のことは、二相あってはじめて一体なのだ。これは密教学でいう説だが、宇宙は、金剛界《こんごうかい》と胎蔵界《たいぞうかい》の二つがあり、それではじめて一つの宇宙になっている。天に日月あり、地に男女がある。万物にすべて陰陽があり、陰陽相たたかい、相引きあい、しかも一如《いちにょ》になって万物は動いてゆく。宇宙万物にしてすべてしかり。一人の人間の中にも、陰と陽がある。庄九郎と勘九郎はどちらが陰か陽かは知らぬが、とにかく、厳然とこの世に二人存在している。お万阿、疑わしくば美濃へ行ってみるがよい。勘九郎という男はたしかに実在している」
「しかも」
「おお、しかも庄九郎は京の山崎屋の主人としていまお万阿と添い寝している。なかなか世の中はおもしろいものだ」
お万阿にとって何も面白《おもしろ》くはない。
「そ、それはこまります」
「お万阿」
庄九郎は、塩豆を口に入れた。
「お万阿はたしか、おれが将軍になることをかつて承知してくれたはずだな」
「はい」
「それならばよい。将軍になるためには、赤《せき》手《しゅ》のわしはなまはんか《・・・・・》なことではなれぬ。二人になって活躍せねばならぬ。お万阿は利口な御料人様ゆえわかってくれような」
「はい」
と、いわざるをえないではないか。
(しかし)
と思うのだ。
「なにかまだ疑《ぎ》団《だん》があるのかね」
「ございます。かりに、庄九郎様が将軍様におなりあそばしたとして、その御台所《みだいどころ》はどなたでございます。勘九郎様の奥様でございますか、それとも庄九郎様のお万阿がなるのでございますか」
「あっははは、これはむずかしいところだ」
「お万阿にとっては笑いごとではございませぬ」
「それもそうだ。わしはそこまで頭がまわらなんだ。一体、勘九郎が天下をとるのか、庄九郎が天下をとるのか。いずれにせよとったほうの奴《やつ》の女房が御台所になるだろう」
「だろう?」
お万阿は弱ってしまった。
「いや、そうなる。理の当然なことだ」
「でも、どちらが天下をお取りになるのでございましょう」
「あっははは、どちらがとるか、楽しみなことだな」
「わるいやつ」
「とは、どちらの男のことだ」
お万阿はもう、わけがわからない。しかし考えているうちにだんだん腹が立ってきた。
(なまじい、このひとは——)
と思うのだ。
(妙覚寺本山でむずかしい学問をなされたゆえこういう化物のような人間になったのであろう。要するに勘九郎といい庄九郎といっても、下帯の下で息づいている大事なものは一つではないか)
そう思うと、ますます腹が立ってきて、そっと手をのばし、いきなりそれを、ぎゅっとひねりあげた。
「あっ、痛い。なにをする」
「旦那様」
お万阿は、月の光のなかで微笑《わら》っている。
「いま痛い、とおっしゃったのは、庄九郎様でございますか、勘九郎様でございますか」
「お万阿」
庄九郎も負けていない。
ふとんの中から二つの掌《て》を出して、虚《こ》空《くう》でひろげてみせた。
「この両の掌をみろ」
「はい、見ております」
「よし」
ぱん、と掌を搏《う》った。
「聞こえたか」
「はい」
「さればどう聞こえた」
「ぱん、と。——」
「その音、右の掌の音か、左の掌の音か」
「…………」
またややこしいことをいう、とお万阿はこんどは心を引き緊《し》めている。
「どちらの音だ」
「右の掌?」
「と思えば右の掌じゃ。左の掌、とおもえば左の掌じゃ。左右一如になって音を発している。これが仏法の真髄というものだ」
「不可思議な」
「そうそう。不可思議な教えである。しかしながら真如《しんにょ》(宇宙の絶対唯一《ゆいいつ》の真理)とはこれしかない。さればお万阿」
「…………」
「返事をせい」
「はい」
気乗り薄に、返事をした。
「二つの掌が作ったこの音こそ真如とすれば、勘九郎、庄九郎を統一する者が一つある」
「それはどなたでございます」
お万阿は思わず真剣になった。
「音よ」
「え」
「左右の掌が搏ち出した音よ。お万阿がしつこく御台所のことをいうなら、この絶対真理の音の御台所になればよい」
「音はどこにいます」
「虚空にいる。両掌をたたけば、虚空で音が生ずる」
「ではその音をお万阿の前にもってきて、お万阿を抱くように命じてください」
いかがでございます、とお万阿は詰め寄った。
「あっははは」
庄九郎は笑っている。
「なにがおかしいのです」
「音は屁《へ》のようなものだ。掴《つか》めはせぬ」
「そうでございましょう。それならばなぜそのような詭弁《へりくつ》を申されます」
「詭弁ではない。大事な仏法の真髄をわしは話している。まだわからぬのか。釈《しゃ》迦牟尼《かむに》仏《ぶつ》でさえ、女人の済《さい》度《ど》はむずかしい、女人はついに悟れぬものだ、とおおせられたのは当然なことであるな」
「まあ勝手な」
お万阿は怒ってしまった。
「お釈迦さまがそのようなことを申されたのでございますか。そうとすれば、あまりに男だけに都合のいい理屈ではありませぬか」
「わからぬかなあ」
庄九郎は、ぽりっ、と奥歯で豆をくだき、
「音とは、譬《たと》えだ。方便で真理を説明したまでのことだ。真理は庄九郎の中にある。庄九郎はお万阿の亭主であると同時に、音である」
「音である?」
「統一体ということだ。勘九郎をふくめて一如の姿が庄九郎であり、同時に勘九郎の別体でもある。これは華厳経《けごんきょう》というむずかしい経典にかかれている論理だ。この論理がわかればサトリというものがひらける」
「お万阿に、華厳とやらで悟れと申されるのでございますか」
「そう。これを悟らせるために、はるばると三カ国の境を越えてもどってきた」
かなわない——。
とお万阿はおもうのである。
その翌朝から、庄九郎は山崎屋庄九郎として働きだした。
搾《さく》油《ゆ》の監督もした。その木製機械がずいぶん古びてしまってもいたので、京極《きょうごく》から職人をよび、あらたに作るように命じた。
さらに洛中《らくちゅう》洛外を歩き、辻々《つじつじ》や村々で荏胡《えご》麻油《まあぶら》を売っている売り子を監督してまわり、下手な口上をいう者があれば、自分で範を示して人を集めた。
例の永楽銭の穴に、升《ます》から油をひとすじの糸のようにたらしては、穴に垂らし通しつつ、
「たらたらと銭穴に通りまするこの油、もしも一しずくでも銭のふち、穴のまわりにこぼれるようなことがおじゃれば、この油ただで進ぜまする」
といった。
面白い流行歌《いまよう》も唄《うた》ってみせた。
かと思うと、お得意さきの神社仏閣、町家、公卿《くげ》屋敷などにあいさつに参上し、
「手前、旅に出ますることが多く、無沙汰《ぶさた》のみを致しまするが、なにとぞよろしくおねがい仕りまする」
と、丁寧にあいさつしてまわった。
むろん、あいさつされる側にすれば、この油屋の旦那が、まさか美濃で地頭になっているとは、つゆ思わない。
「御鄭重《ていちょう》なことじゃ」
と、鷹揚《おうよう》に受ける。その一軒々々に手みやげを持ってゆくから、相手はいよいよよろこんでいる。
大山崎八幡宮にも、あいさつにまかり越した。みやげには、美濃の紙を車に積んでもってゆき、宮司、社家、神人頭《じにんがしら》などに洩《も》れなくくばった。
「庄九郎はよく旅に出るの。お万阿が可哀そうではないか」
と宮司がいったが、庄九郎は平伏したまま、
「旅のみが道楽でござれば」
と、神妙に答えた。
いちぶのすきもない油屋の旦那である。この旦那が美濃で天下をとる工夫をしているとは宮司も気づかなかった。
店の業績は、庄九郎が帰ってからぐんぐんあがった。使用人たちもひきしまって仕事に精を出した。
(やはり、時に帰らねばならぬものだの)
庄九郎はしみじみ思った。